日常的なことではないですが、
「低級霊、動物霊」といわれたりすることがありますが、我々が思う低級霊の定義は、人は亡くなってから多くの場合はそうですが、順調にいけばまず肉体から霊体が離れます。
肉体から離れた自分が「自分は亡くなった」ということを気付いてきます。
気付くと同時に、先に亡くなった人たち(霊)が迎えてくれます。ご先祖父母、友人、守護が共に人生を生き抜いてきたことを心から祝福してくれます。そして霊界といわれる世界に成長した自分が戻っていくのです。
けれども生きているときの自分の思いや我欲が強かったり、人への思いやりももたず、ひたすら自分だけの欲にまみれて、憎しみや妬みなど必要以上に強いままに亡くなってしまうと、
体は無くしても、悔しい悲しい憎い欲しい恨みなど思う気持ちが強すぎると、生きたときの思いが残り強すぎるがために、先祖や守護が迎えようとしても霊体が帰るべき世界にも戻れずに、長いこと気付かないでいるうちにレベルの低いマイナスと波長が合ってしまいます。
「何で自分だけが苦労をしなければならないんだ」「自分さえよければ他はどうでもいい」という世界で、俗にいわれる「地獄」です。
自分がどういう姿なのか、愛もわからないし大切にも出来ない。そして「自分は生きているのか死んでいるのか」 それさえもはっきりわからないような世界、そのためにときどき現世で「心の隙」にはいりこんで悪さをしかけたり、体を自分のものだと勘違いして食べたり飲んだりすることも霊現象にはあるのです。
「低級霊」と呼ばれる世界の(霊)たちは、このようなことを辿っています。
ときには自分の姿がはっきりしませんから、尻尾がはえていたり、目だけがギラギラと光っていたり、動物の姿に化身していたり、いろいろな姿に変化します。
肉体がありませんから思いが姿になってしまいます。生きている私たちの生活でも「あんまり怒ってばかりいると頭から角が生えてしまうよ」とか言われますが、人としての冷静さを失ってしまった状態をあらわすことでもあります。
低級霊はそれだけ自分が何者かなぜこうしているのかさえ見失っている存在でもあるのです。
できたら助けて欲しい、自分の存在を確認したい。そんな気持ちも複雑に入り混じっているから、人を茶化したりする。
本物の動物は素直ですが、人がこころを失ってくると人の姿ではありませんから動物に似せた姿をしてくるのです。
それでも低級霊は自分たちも迷いの中にいますから説得が効くのです。
心の力と、霊的な力と合わせて説得して浄化させていくために時間がかかることもあります。