流されすぎないように

 

テレビを始めマスコミという情報社会はなくてはならないもので、毎日さまざまな情報を得ることができます。

 

ニュースもファッション・旅行・健康などすべての知りたい情報は何らかの形で知ることができます。

 

健康にしても何を食べると身体に良いとかキリがないほど取り上げられて、翌週にはそれらを取り扱った商品等が売り切れ続出状態だったりします。

 

これは健康に皆さんが興味を持たれて楽しんでいる流れなのですが、とにかく良ということだけで摂取しすぎて検査の数値が上がってしまったという人もいます。

 

 さまざまなものが科学的に解明されてくると、さらに善し悪しが判明することでしょうが、本来はすべてのバランスがとれていれば問題ない存在だと大概の方はわかっています。

 

しかし健康食品に限らず、視覚、聴覚に訴えてうまくアレンジされて情報を伝えられるとついつい信じてしまう。それが流行りの原点であり商売が活性化することも確かですが、最近では新商品が次々と生み出されるために、

 

なじんでくる前にまた次のものへとすごい速さで流動しています。もっともキリのない前向きな需要と供給は必要と思います。いき過ぎもバランスを欠いてしまいます。

 

 私たち人の身体も細胞分裂で維持され、毎日、体細胞分裂が体内でなされ、古いものは新しいものにつくりかえられていますが、前述の需要と供給においても流行り廃りが生活にかかわることを考えれば、社会という世界での細胞分裂がやはり日々繰り返されているのではないでしょうか?

 

 けれども古いものは新しく生まれ変わるというだけで、私たちの骨格や内臓、筋肉はいつもと変わらず我が身に存在しています。

 

我が身で起きている細胞分裂の自然さがすごいことだと感じます。自然の流れはすべての状態や条件が作用を起こしてつながっているのです。

 

 話を元に戻しますと、私たちの身体は自然な流れを自分の意識しない意思を持って毎日身体の内部で活動しています。

 

この瞬間にもウィルスと戦っているし、がん細胞とも常に戦い守って流れをつくっています。自力で頑張っているのです。

 

自然な流れを自分で知っているのですから、世の中の情報や流行にくれぐれも流されすぎないように。逆らいすぎても面白くはありませんが、みさかいなく流れに巻き込まれないように。

 

最低限の流れの中で自分が泳げる程度に巻き込まれるくらいがちょうど良いのかも知れません。 

 

 遺伝子が生涯を定義づけているかのように言われますが、自分自身にも遺伝子レベルで癒していける力を備えられている可能性があるのではないかと思います。

 

マスコミやyoutubuなど様々な情報も見聞きできますが、どれが正しいのか判断するのは自分自身でもあります。

惑わされないように

 

 

人がいつも自分のことを噂している

※ご本人の了承を得て掲載しています

A子さん(30代)は生まれ育った東北地方から首都圏郊外に住み始めたころから、

A子さん「自分が歩いていても「バ〇」とか「お前のせいだ」とか言われたり、電車に乗っても、自宅にいても、窓の外から人が罵声をあげていくのです。

「だからお前はバ〇なんだ」「この野郎」といった内容ですが・・・・、

常に悪口を言われているのがたまりません。

職場でも後ろで私の悪口を囁かれていたりします。

 

みんなが私のことを知っていて、どんどん噂が広まっていく気がします。

そばにいる人にも聞こえてしまう大きな声なので、

私が変に思われているのだと思います。

聞こえてくる声が同じ声かは定かではないですが、必ず男の声です。

 

本気で自分が怒って相手に言うと

何も話していなかったりしたこともありました。」

 

A子さん現実の声か、霊的な声か

見極めがつかないほどリアルな体験されています。

 

まず聞こえてくる現象は、特に街中では直接話をしていない見ず知らずの人とすれ違ったときですら起こっているのですが、

人間的には出会うすべての人たちががバトンタッチで

A子さんの悪口を世間にふれ回るわけではありません。

そこから冷静に受け入れていきましょう。

 

それでもA子さん自身には声も聞こえ悪口を言われるのが

はっきりと聞こえてきているのは事実ですから、それも受け入れましょう。

まずは受け入れて考えていく努力をしてください。

その声が聞こえているときの状況に素直に気持ちを向けてみると、

人の会話ではないことがわかってくると思います。

 

職場でも言われるときは、A子さんの後ろで

大きく聞こえるように言われるとのことですが、

結局直接A子さんに話してはいません。

 

聞こえてきているのは「霊聴」なので、

同じ場所にいる人でもその声はご本人しか聞こえていないのです。

まずそのことから理解をしていくことです。

 

(仮に五人で同じ場所にいても、霊感の強い人しかお化けを視ることはないのと同じですから、A子さんに聞こえる「男の声」は他の人には聞こえていません。) 

 

霊的に気になるのは故郷から首都圏に越して来てからということです。

いまの住まいに問題があるようには感じられませんが、いろいろお話しているうちに故郷の実家の近くに大勢の人を供養した塚があることがわかりました。

 

*A子さんの実家は山奥のほうで、昔は鉱山もあり多くの犠牲者を出したところでもありました。

実家の墓所の近くに犠牲者を弔う塚もやはりあったようですが、

この家の人が塚の供養をすることがなくなっていたのと、

A子さんがご実家を出てしまうと、

いまは誰も住んでいないためにこのような形で現象が起きた(知らされた)のです。

 本来は、できないものはできないし、

人は同じところに住み続けていくわけにはいきません。

常識では確かにそうですが、この聞こえてくる

「罵倒する声」の場合は亡くなった人の意識そのもので、

特に罵声を浴びるような言葉がとても多く聞こえてきていることが気になり、

探ってみると、彼ら(亡くなった人たち)が

鉱山で働く中でかなり現場で罵倒されてきた感覚が強く、

亡くなっても、悔しさでその意識が強く残ってしまったのです。

 

先祖の墓地の近くに供養塚があっただけで

A子さんとは直接的には関係がないようにも思えますが、

どうもこの鉱山の採掘の指揮に当たっていた人物が先祖にいたようなのです。

 

A子さん本人が子供の頃にそんな話を聞いたことも覚えていました。

 そのようなわけで、実家に一度戻って供養をしてくることで、

声が聞こえることはかなり軽減され、時折耳鳴りがするようなときには、

部屋でお香を焚く程度でおさまるようになりました。

 

ただいままでのように、人に何か言われるのではないかという思いが

強く残って不安が消えるのに少し時間がかかりましたが、

もともと感受性が強いので自分で意識を下げていくことがないように、

不安を持つことよりも自信を持つことへと転換して

物事を受け入れるように伝えていきました。

 

 自分という存在のオーナーは自分であり、人生を引っ張るリーダーも自分自身でしかありません。過去の現象にいつまでも自身の大切な時間を奪われないようにしていくことも大切です。

 

 

 

母親が亡くなってからの出来事

 

もう30年以上前のことですが、私の母親が50代で病気のため、

3ヶ月弱の闘病生活の後に亡くなりました。

 

葬儀も終わり、いろいろな準備であわただしく動いていましたから、

悲しみに浸る時間もなく2、3日が過ぎた頃、

気がつくと胸が苦しいことに気がつきました。

 

胸が苦しく息苦しかったり少し楽になったりの繰り返しが続き、

看病や葬儀で疲れたのかと思っていました。

 

体を休めるためにも何もしないで寝ていようとするのですが、

呼吸は浅くなるし、余計苦しくて気持ちまでつらく悲しくなるのです。

 

自分が感情的になっているのかとも考えましたが、

母親の死は悲しいながらも受け止めているのに、

それでも気持ちのやり場がないような感じです。

 

母の霊が近くにいることもわかりましたがそんなとき、

夢うつつの状態で母親が入院中のベッドに寝ている情景が鮮明に見えたのです。

はっきり目覚めたときに、この苦しさは亡くなる前の母親の状態なのだということがわかりました。

 

ただ母親の霊的意識が迷っているのではなく、

早く亡くなってしまいもっと話したいことがあるようでしたが何もしてあげられないということに、つらさを感じていたようです。

 

訳あって別居して暮らしていたのでその思いが意識として強くあるために、

伝わってきて同調したのです。入院中の意識も記憶に新しく、

苦しい感覚が残っていても肉体を離れているので

体の辛さ重さは解放されてきます。

つらく悲しいのは思いの意識です。

私は大丈夫だからと霊に伝えて祈り、

初七日も過ぎたころ楽になってきたのでした。

 

お身内の方を亡くされたときに、

つらさや苦しさなど伝わってくることもありますが、

亡くなった事を理解されている霊でしたら

初七日や四十九日も過ぎてくると霊も肉体の感覚から離れてきます。

 

それまではこの世に思いが残っても仕方のない時期なのかも知れませんが

あまり長い間続いているようですと

少し問題を抱えていることもあるかもしれません。

 

 

無我の境地で徳を積む

 

自分のことばかり心配していてもよくないですが、

 

人のことを思いやることは大事とは言っても

 

人の生活に入り込みすぎてしまうのもお節介。

 

相手の思うように動いてあげたとしたら喜ばれ感謝されますが、

 

例えば、相手が困っているときにお金を渡すことは

 

喜んでくれるのは確かです。

 

それでも精神的な感謝の受け取り方は

 

自分が思っているほどではないかもしれません。

 

手をさしのべてあげたいと思うなら、

 

自分が満足できることでなければならないのです。

 

徳を積むのは嫌々やってあげたのではつらいだけですね。

 

イヤならやらないこと、笑顔が残るならよき決断!

 

無我の境地で徳をつめるのです。

 

見返りを望まないで自然に出来ることが知らないうちに徳を積んでいます。

 

存在とか意識の向上

 

自分がのけ者に思えるとしたら、

そこにあなた以外の気持ちの存在があるかもしれません。

 自分という立場は、自分がそこに存在をしていることを確認できることから生じています。自分を確認したいし、その方法として他の人と比較して捉えることもよくあります。

 

 家族の中でも自分だけが、

「のけ者、よけい者」になっていたり、自分だけが他の兄弟と比べても冷たくされているという人もいます。

実際に気の毒なほど極端にそういう状況に置かれることがあります。

 

これはケースがそれぞれ違うことを承知しておいていただきたいのですが、皆と同じ扱いをされないことで、あえて自身が同じような仲間に入ることを妨げられていることもあります。

 

一番守るべき大切な人をあえて端に置いたり、あえて冷たくしてつらく悲しませたりしなければならないことも、ときにはあります。

  最近では少ないかも知れませんが、仕事がどうしても優先で本当に大切な奥さんやお子さんや家族のことを後回しにしてしまうとか、

 

もし母子家庭なら生活のために働く母親が、仕事のために子育てに時間が充分にとれないなどさまざまな状況と事情はあるものです。

 

 いずれの立場に置かれてもとても淋しくつらいことですがすぐに逃れることは不可能です。

 

 精神的向上には、あえて辛苦が付いて回ります。つらい状況に身を置かせる宿命の時期でもあるかもしれません。

 

ここで自分が我慢し耐える、つらさや苦しみ、うらやみ等から気持ちを救い上げていこうとする自分の本来有する高い霊性が、どんなに大変な現実にも負けることなく浮き上がってきます。

 

これにより苦しいときに苦しみを責め続けることなく、自身を見失うことなく、寄り付いてくる意識体(不浄霊)にも打ち勝つことになります。

 

寄り付いてくる意識体とは、人が悩んで苦しめば、

その気持ちに誘われてマイナス霊も近づいてきます。

 

(それは人かも知れませんし霊かも知れません)人の気持ちが変わらずにいるとその距離はますます近くなってくる、完全に同化してしまうととり憑かれるという現象になります。

意識の世界は4次元でリンクされてくるのです。

 

けれども人は落ち込み続けることから這い上がろうとする気持ちが自分の中で必ず生まれてきますから、そのときにプラスの霊である守護世界の精霊たちとリンクしてくることになります。

 

  考え方の例として、嫌な体験をするときに、もしも家族や恋人を責めるようなことがあったとき、その嫌な体験の相手がこの家族や恋人でよかったとも思えたら心の動きは変わり、この相手だったからここまで我慢できたのだ!と気持ちの過程どのような流れで心をおさめるかで霊的な成長が育まれてきます。

より良き日々でありますように。

 

神棚のお水は毎日取り換えてください

ご本人の承諾を得て掲載しています

都内のA家は、
元々は旧家で広い土地ももたれていました。

昔は農地もありましたから敷地に氏神様も祀っていたと思いますが、

住宅地となった今は残っていませんが、

自宅の神棚でお札をお祀りしていました。

こちらの家のA子さんはある日気がつくと

頭の頭頂部に50円玉ほどの円形脱毛を起こしていました。

 

でも痛くもなんともないのと、以前も円形脱毛は何度かなっていたのと、

自然に治っていたのでしばらくほおっておいたのです。

 

ところがある日、円形のところだけが異常に痒い、

急にどうしたのかと思うくらい痒くて痒くてどうしようもない。
こんなことははじめてだったのでした。

A子さん頭の上だから神様?・・・となんとなく思い
自宅の神棚をあらためて見てみると

お塩お米は供えてありましたが、水玉(水入れ)がからっぽ!

自分も忙しかったため、ご家族がきちんとお水も取りかえているだろうと思っていた・・・

すぐにお水を入れてお供えして、その後にA子さんとお会いしましたが、
お供えのお水を家族任せで確認もできていなかった。

でもそれがきっかけで、しばらく神社へもいけずお札も変えられていないので

時間を作ってでもきちんといくことをお話ししました。
そういうことに気がついたとたんに痒みが治まってきたのです。

 

家を守っていただいている神様です、

朝一番でお水を取り替えるなり優先順位を大切に。

霊的な感受性が強い人は過敏に反応しやすいですし、

あれ~というようなことも起こることもあります。

 

A子さんの場合はとても現象が起こりやすく、
これまでも水漏れでもないのに室内で上から水滴落ちてきたり、

靴の飾りベルトがある場所で(あまりいきたくなかったところ)で

靴の両方のベルトが同時にはずれたり・・・・・

 

日々の生活に忙しく、神仏のことを怠っていると

何らかの現象もでやすくなるのです。

 

そういえば言われていたのに

しばらく参拝していなかったことを思い出したりするのですが、

少し怠ってしまうと現象がおこってしまう方もいます。

 

あるいは現象とは言えないまでも、感受性が強い方は

何となく不調や、何となく人間関係の不調和が出やすいかも知れません。

日々の生活の中でご自分の心の置き場が落ち着いて穏やかでありますように。
日々感謝できますように。

 

 

 

よかったかな

 

いつも自分の決断に迷ってしまい、

 

後からも後悔やいつまでも決めたことに戸惑ってしまうと

 

なかなか気持ちが 前に進みづらいことになってしまいます。

 

過去を振り返ってばかりになり過ぎてしまうかもしれません。

 

例えばこの会社でよかったかな

 

この洋服を買ってよかったかな

 

結婚してよかったかな

 

この人と旅行にでかけてよかったかな

などなど

 

自分の過ごしてきたことをとても気になって、

 

決断してきたことを悔いてばかりになってしまう。

 

そういう考え方を持っていると違う決断をしてきたとしても、

 

結果はそう変わりません。

 

自分が自分で決めた判断を疑ってばかりはいけない。

 

なにより自分が自分を信じなくて誰が信じるのでしょうか。

 

あなたの人生も魂もあなたの決断で成り立ってきています。

 

意思を持って生まれてきたのです。

 

過去を振り返りすぎないでこれから進んでいくべき方向へ

 

気持ちの時間を進めていかれますように。

 

 

 

お稲荷様 白狐さん T子さんの話

ご本人の承諾を得て掲載しています。

T子さん(40代主婦)は最近疲れているせいか何となく落ちこんでくる。

とくに大きな悩みでもなく、いつもと同じ日常の中で

 

だんだん落ちこんで鬱のような心境でした。

それでも仕事にも行けるし家事もできる。

けれどもだんだんと、とても落ちこんできて、

 

そのうちに仕事のとき以外では首も下を向いてしまい。

考えることもマイナス思考ばかりで何もおもしろくないし、

心の中が日々ネガティブになってしまう。

 

そんなある日、T子さん自分の右肩に白いものが見えた気がして、

はじめは気のせいかと思って確認するとまたも白いものがみえる。

 

顔だけでしたがふっくらした白狐の顔が見えるのでした。

そういえば毎年行っていたお参りに今年お詣りに行ってない!

事を思い出しました。

 

T子さんご家族はご主人のご実家を手放して引っ越しをしました。

手放したご実家の土地では周囲も

お稲荷様を祀っているお宅も多かったのですが、

しかし時代と共に敷地にあった外宮も無くされて、

のかわり毎年きちんと本社へお詣りしましょうという話しをしていました。

それが今年はいけないまま忘れていたのでした。

T子さんがだんだん落ちこんできていた理由なのです。

 

ようやく思い出して参拝に出かけたT子さん、

早速ご本殿でお詣りして、気持ちが晴れてきて

落ちこんで下を見ていた気持ちも

首も上に上がってきたのには自分でも驚いたそうです。

 

いくつもあるお社の中に自分の右肩にみえたのと同じ

姿をした白狐のお社がありました。

 

今回はご祈祷も受けて、これからは忘れないように

年一度は参拝に来なければと思い帰路についたのです。

 

※ご先祖代々家の氏神様として恩恵を受けてきた神様を

形は違うかもしれませんが大切にしていくことが必要なこともあります。

 

 

 

自分だけの位置

 

たいしたことないとか、なんでもない立場に生きていると感じて悩んで、

 

人生をつまらないと考えてばかりいると、

 

他の人の生き方の良いところにばかりが気になってしまいます。

 

自分がつまらなくなると他人と比べて、

 

羨んでしまったりすることにもなってしまいます。

 

素晴らしく見える人も、もしかしたら心が満たされなくて

 

人知れずに悩んでいたりすることもあるかもしれないのです。

 

自分の生きる位置は自分にしか守れないことを大事にしていかな

 

ければ、満たされていくことはないのです。

 

他の誰もが自分の身代わりにはなれないし、

 

魂と霊体が個性を持った窮屈な体にいて

 

どんな人生を過ごすかもそれぞれに違いますが、

 

どんなに比較しても他人の人生は変わることが出来ないです。

 

自分の良き個性にしあわせを見つけ出せるのも心次第ですが、

 

羨んだ気持ちで他人をみていると

 

いつまでも自分のいる位置に満足が出来ないことになってしまいます。

 

ライバルがいるから苦労も出来たというのは羨む気持ちとは異なり、

 

生き方の目標を持った進み方にもなります。

 

他人と比べて苦しむ時間は自分をいじめているにしかすぎません。

 

守護霊もご自分自身の魂は苦しむことを望んではいません。

 

目に見えるもの価値観の基準で焦り過ぎないように。

 

自分の生きるペース、

 

自分にしか生きられない人生の位置を大切にしてください。

 

里山、山神 土地神、守り

 

最近は里山田舎暮らしにあこがれている人も多くなってきました。

実際に里山暮らしの為に都会から地方に引っ越していかれたご家族もいます。

 

そのご家族は地方の暮らしにも馴染むのが早く、

お仕事は会社までは車で一時間弱かかりますが、

ご主人は休日は自宅で家族用の畑仕事をする事が楽しみで

「大変だけど自然を感じられて力をもらっている気がしている」そうです。

 

ただしばらくすると畑仕事をしていると

となく誰かの声がするように感じるようになった。

 

誰かに声をかけられているような気配がして

振り返ってみても誰もいない・・・・・

そんなことが何度か続き、あるとき一緒に畑仕事をしていた奥さんに

「いま誰かの声がしなかった?」と聞いても

「いいえ別に、私は何も話していなかったし誰の声も聞こえなかったけれど」

と言われたり、そういうことが何度か続いたのです。

 

お話を伺っていると、声無き声の存在は悪い感じもしない、

けれども何を言いたいのかを思ったときに「山に来い」

という声なき声で伝わってきました。

 

霊的な姿は白髪の老人のようで毅然とした姿が出てきます。

山と土地の守りのようです。

 

「とにかく一度家の裏手側の一番近くの山へいかれてください祠があるはずです」とお伝えしましたら、

「そこにはまだ行ってないですが、小さな神社の祠がある」という話を

地元の人から聞いていたそうです。

 

山とこの土地を守る、昔からの山の土地神がいますから

一度ご挨拶にいって、お供えをして

お参りをしてくるようにお伝えしました。

山も土地も守る為の神霊もいるのです。

 

実際このご主人はお参りに出かけて、

お供えのお酒をもっていくと

その山で声がはっきり聞こえてきたそうです

「やっときたか。よーくきたな」と聞こえてきたのと、

「大切に暮らし土地を大事にすることを見守っているぞ!」

という気持ちも伝わってきたそうです。

 

里山も古くから何代も大切に暮らしてきたところを、

守ろうとする意識も強く残っていることもすくなくありません

新しいところへいったら、

まずは氏神様からお参りをして住まい始めていくことも、

新たに住む土地の縁とつながり

過去の歴史への崇敬の念をもって

大切に住まうことの意味でもありますから

ご縁をいただいた土地の神様も大切に。

 

※写真は本文とは関係ありません