あれやこれやと変わり目 転換期

あれこれ考え事をしているうちに、過去の出来事のつまらないことを思い出し

 

ていたり、またそれを思い出したことで次々に思いが巡らされてくることがあ

 

ります。

 

体験した記憶とも違う情景が浮かんでくることや、いつもの場所にいながらど

 

こか違う場所にいる自分を感じとってしまうような現象を体験する人もいま

す。

 

最近は特に見えない世界の急速な進化の動きがありますから、体と霊体とのバ

 

ランスが崩れるように感じられる人もいます。

 

意識が離れた状態にもなりやすく霊界に足を踏み入れたのかも知れないという

 

錯覚をおこすこともあるかもしれません。

 

偶然は必然、思うことが無意識でも現実世界での共通性がつながりを持たらし

 

ていくことが大きく広がりはじめていますから、霊体と肉体の入れ替わりがお

 

こってくることになります。

 

人の体は本来、霊体と魂とつながっています。そしてその魂は肉体をとても必

 

要としています。

 

体が主(あるじ)の時代がチェンジしてきます。自分の霊が主(あるじ)であ

 

ることを感じとられる現象がはじまります。

 

(物質だけが主体でしたから)

 

焦って考える必要はなく、自然体で進んでいきます。

 

コロナ禍自粛で、自分と向き合う時間も増えて心と対話する時間も増えてこれ

 

まであまり気に留めなかったことも気づかされたりすることもあると思います

 

が、意識の上昇する転換期は心と向き合う時を大切に。

霊的ガイド

生まれつき「運」が強いとか弱いとか言われるように、数ある過去世から未来

 

へつながるための経過途中でこの時代に生まれて、宿命の違いはありますが自

 

身の使命(ミッション)を選択してきたのです。

 

その宿命の枠の中の人生を、どのように自分が支え、努力して乗り越えて生

 

き抜いていくのかが生きる意味でもあります。

 

どのような境遇に育つかは異なりますが、似たような境遇の人もいます。

 

それでもその状況に対しての選択肢はそれぞれ異なりますし、

 

どの方向にいくかは心の動きでもあります。

 

そのときに霊的ガイド(守護霊)はこうしたらよいのだということの

 

「意識」のアドバイスはしています。

 

その働きかけに気持ちを動かされ導かれるかどうかは、自身の感性がどの位置

 

にいるのかで受け取り方が微妙に変わってきます。

 

守護というのは必ず引き上げてくれて、強運を授けてくれるという神頼み的

 

な存在ではありません。常に働きかけはしていますが、ご本人が下ばかり見て

 

いるようでは守りにも限界があります。

 

できる努力は惜しむことがないように、後を(過去)振り返る時間をなるべく

 

最小限にしていくことが大切です。

 

そうでなければ守護霊がいくら導こうとしても自分が心を閉ざしていたのでは

 

どうにもならないのです。

 

守護は霊的ガイドとして、あくまでも案内役ですから意識下で必要なアドバ

 

イスはくれますが、決断するのは守護ガイドではなくてご自分自身でなければ

 

ならないのです。

 

例えば朝眠いあなたを駅まで担いでいくことが守護霊の役目ではありません。

 

100メートル走で先に走ってくれることでもありません。

 

後押しをして守ってくれます。

 

けれども気持ちが落ち込んでいるときにも、これ以上傷つくことがないように

 

霊的なあなたを内面の見えない世界から支えていくために守護は働きかけています。

 

そしてしあわせを願って導いています。

徳を積むのもそれぞれに

 

コロナ自粛の前のことですが、混雑しているラッシュ時間帯に新宿駅の構内を

 

歩いていると、先を急ぐ男性が「すみません」の一言もなく人を押しのけて

 

ズンズン先を進んでいきたことがありました。押しのけられた人たちは皆あっ

 

けにとられるほどの勢いでした。

 

そうかと思うと、横のほうの階段から降りてきた背の高い大学生くらいの若い

 

男性が急ぎ足で来たので2、3人の方とぶつかってしまいましたが、見ている

 

とこの学生はきちんと止まり「すみません、ごめんなさい」と一礼してから去

 

っていきました。

 

対称的な出来事でもありましたが、後者のようにきちんと謝られるほうが、ぶ

 

つかられた方も気分がよいのは当然です。

 

人の本質がそのままにあらわれてくるのは究極追い込まれたときにでてくるも

 

のかもしれません。

 

他人を助けたり善い行いをすることを「徳」を積むという言葉がありますが、

 

きちんと謝るべきところで謝れるという何気ないことも徳は積まれてくるもの

 

だと感じます。

 

徳は現金ではないので一円の利益もないかもしれません。

 

けれども天に徳を積んでいくようなことなので、いずれ巡り巡って人から助け

 

が増えたりという運も戻ってくるものです。

追いかけられたり追いかける夢

追いかけられる夢はいくつかの理由がありますが、

 

・現状の中に焦りがあるとき

 

・課せられた重圧から逃げたい、または逃げているようなとき

 

・忙しさからのストレスで不安が溜まっているとき

 

・目的や目標から離れていく状況を含んでいます。

 

人生は一生懸命に積み上げられていく問題を日々の生活でこなされて行かなければなりませんから、

 

その中で気付かないうちに目標や試練に立ち向かっているはずの自分が、

 

逆に追いかけられているような状態を霊的な存在が夢という形であなたに伝えてきているのです。

 

霊性と霊的守護があなたを精神的な側面の一部を、つなげて支えている事を、心に力強く働きかけてくれるために夢という存在があるのだと思います。

 

反対に何かを追いかける夢は、ご自分の目標に向かっていることは確かですが、追いかけても追いかけても手が届かない、

 

たどり着けないような場合には、思いと、気持ちと現実がともなっていないことになります.

 

将来の希望に向かっていくために気持ちを再確認して安定した自分を取り戻していくように霊的なメッセージも込められています。

 

追いかけることは正義をあらわされていますが、追い続けてももしドンドン引き離れていく夢ならば、

 

いまは無理に追い続けるべきではないことを示唆しています。

 

ゆめは間違った方向へ行かないためのメッセージでもあります。

               

人それぞれ違う人生のテーマ 

生活に不自由しなくても、その上健康でいられても、

 

それでも悩みがないと言いきれる方は少ないです。

 

 満足しても次にはそれなりの試練や、

 

もしくは責任がかかってきます。

 

責任とは人より豊になったことの維持と還元でもあります。

 

そうしないとしあわせはまた過ぎ去ってしまいます。

 

物質的には人の役に立つことへの

 

家庭や仕事で還元されることもありますし、

 

ボランティア活動もそうです。

 

企業なら事業展開で利益を生み出し、

 

社会に還元していくことかもしれません。

 

個人個人はそれぞれ生まれ持った宿命が違います。

 

お互いに違う宿命があるからこそ、

 

意見の食い違いや葛藤が生じます。

 

そこからお互いを理解していくために

 

付き合い方を模索していきますから、

 

気が合わない相手でも、やむを得ずつきあうためには

 

妥協できる部分をなんとか見出そうと努力します。

 

出会いたくない、付き合いたくない人はいるものです。

 

苦痛でもしばらく仕事をしなければいけないことにもなるわけですが、

 

自分が苦手な人と接していくうちに

 

うまく対応できるようにもなってくるものです。

 

日常のさまざまな局面で、誰の元にも「人生のテーマ」が与えられてきます。

 

もっと大きく人生全体の流れを捉えてみると、

 

人生のテーマ」が軸となって生涯に大きな影響をもたらしています。 

 

例えば商店を経営している家の跡継ぎに生まれ否応なく

 

最終的には本人の意思ですが)、跡を継ぐことになったり、

 

または家になじめず親子関係がうまくいかずに

 

悩んで早くから実家を離れて暮らしていく人もいたり。

 

 人生の基本的なテーマは変えることはできませんが、

 

けれどもその環境に反発もするし、

 

ご自身が置かれた立場や状況にうろたえて、

 

精神的な壁に自身が囲まれてしまいます。

 

苦しいことが多い人生の方もいます。

 

宿命は変えられなくても、その中でも少しでも

 

良い方向に進めることもできます。

 

 このようなときに人間的な自分が人として存在している、

 

状況だけに縛られて苦しむのではなく、

 

精神的な存在・霊的存在である自分が支える

 

力にもなっていることを忘れないでください。

 

「そんなことは思い出すこともできないし、記憶もない」かもしれませんが、

 

人は前世、過去世や過去の時間の構築があってこそ、

 

その存在が成り立ってきています。

 

大切なことは人や自分を傷つけて

 

その場を切り抜けようとすることよりも、

 

切り抜けていけばできる限り後悔のない、

 

自身の存在する流れを未来につなげ、

 

育んでいくことができるかをポイントに置いて、

 

最終的な人生のテーマはしあわせな心を育むことでもあります。

                

*人生は流動しています 心の成長は同じではありません。

 そして「不幸を知るから幸福を早く知ることができます」 

自分の中の沢山の自分

人と話をしながら違うことを考えてしまうことは

 

誰でもあることだと思います。

 

友人とコーヒーを飲みながら旅行に行く話を楽しみながらも

 

来週の仕事は上手くいくだろうかと、

 

心の片隅で思ったりしていることもあります。

 

そのくらいは日常あるお話ですが、

 

霊的に影響が強い方の中には、

 

自分の気持ちの中に沢山の自分がいるようで、

 

自分ではないような感覚であったり、どれが自分なのか

 

自分で自分がわからないときがあるということを感じる人がおられます。

 

「本当に自分は二重人格ではないかと本気で考えていました」

 

というケースもあります。

 

またはいつも気持ちが急いていて、

 

何かしら漠然とした怖さとか、

 

見えない何かに追いかけられているような

 

不安感がでてくることも霊的な問題を抱えていることもあります。

 

自分をしっかりと見出していかなければならないときですから、

 

自分を追い込んでしまわないように。ゆっくりと深呼吸  ゆっくり~と

 

気持ちのコントロールがしづらくて

妙に突き刺さることを言う人、

 

また聞かされてしまうようなタイミングというのはありますね。

 

確かに過剰反応しやすいのはとてもつらいものですが、

 

そのときにそういう言葉をどのように受け止めるかで流れが

 

少しばかりチェンジしてきます。

 

自分に辛いことを言ってくる相手は

 

反対に相手自身が自分につらい人です

 

どこかにぶつけてみているだけです

 

もちろん人がどう思うかなどお構いなしです。

 

辛い言葉を聞かされて後に残るのは

 

何かを考えさせられるかもしれません

 

自分の反省点もあるかもしれません

 

もちろん相手にも問題あるかもしれません

 

あなたご自身の感受性が高すぎてバランスがとれないときがあるかもしれません

 

もしそれがすべて含まれているとしても、受け止める側の自分の問題になるとすべての事柄に対して

 

例えば他の人が、あなたを誉めてくれるようなよい言葉にも

 

胸に突き刺さるような言葉にも、

 

下を向きすぎて捉えて、そしてまた下を向いてうつむいての繰り返しではよくありません。

 

気持ちがざわついてくるのは霊的な問題があるかもしれません。

 

けれども反省ばかりし過ぎてはいけません。

 

見直して反省してみることはよいことですが、

 

食べ物に例えるとお酢が体に良いからととりすぎたら胃を荒らします。

 

反省ばかりが良いからといって過ぎたるは及ばざるがごとしということでもありますからご用心を。

 

良い言葉にも「どうせ自分なんか・・」と思っていると暗くなってしまいます。

 

*良い言葉も悪い言葉も心に残っていくものはなるべく出来る限り、感情で受けとらずに理性で受け取るようにすると少し楽ですよ。良き言葉には「心から理性でありがとう」、悪い言葉には「傷つくより先に、理性で判断」できるかぎり・・

そうすると良き言葉にも有頂天になりにくく、悪き言葉にも傷つきにくくなります。少しずつ

 

ご仏壇にペットのご遺骨は入れないこと

ときおりご仏壇のお祀りの仕方が気になることがあります。

 

ご本尊様もご先祖のお位牌もきちんとお祀りされているご仏壇の中に、

 

亡くなった可愛いペットの遺骨をお墓に納めることができずに、

 

ご仏壇の下段にご一緒に入れていらっしゃる方もいますが、

 

ペットのお位牌でもご先祖のご仏壇とは別に祀っていく必要があります。

 

例えばご家族のご遺骨も49日には、お墓に納骨されていると思いますが、

 

ペットのご遺骨もペットの霊園に納められて、

 

お墓参りの形でご供養なさって行かれることが大切です。

 

ペットも寿命を全うされて旅立っていったのですから、

 

良きご供養とつながりのために本来あるべきところへ納められてください。

 

家族として暮らして、悲しまれる気持ちもわかりますが一番のご供養は飼い主

 

さんの笑顔です。お別れがつらすぎてご仏壇に遺骨をいつまでも置かれないほ

 

うがよいです。

人と居るととても疲れてしまう

「気の会う友人と出かけても長時間だととても疲れてしまう」

 

そういう人は一人で買い物に出かけても、レストランで食事をしても、同じよ

 

うな状態がおこりやすいのではないでしょうか。

 

自分以外の気(エネルギー)を感じとりやすいのです。

 

ご家族で暮らしていても、ご家族のどなたかが朝出かけて、夜帰宅し家の中に

 

帰宅してきた瞬間に違和感(空気感)をとらえてしまうかもしれません。

 

外にでかけたご家族が職場の雰囲気や通勤のときに家庭とは異なる気を運んで

 

ようなものです。

 

もしそういうことを感じとりやすい人は、

 

むしろ感性が目覚め始めているのです。

 

違和感があることが増えてきたり、良いこと悪いことの判断力も見極めやすい

 

はずです。

 

ただ苦しい場合は感じ取っている感覚と現実の生活とのバランスが上手くとれ

 

ていないこともあります。

 

楽しいことが楽しく感じられなくて皆が笑っていることが何も面白く感じない

 

から、自分も一緒にいるのに顔は笑っているふりをしているけれど本当は理由

 

つけようがないけれど「心がきつい」かもしれません。

 

人と話を合わせるためには多少の我慢とお愛想笑いをすることもあるかもしれ

 

ません

 

それでも、常に自分が上手く出せていない、どこか自分が自分の中で離れてみ

 

ているような、あるいは第三者で心の中で遠くに追いやられているような感覚

 

があるのなら、ご自身のスピリチュアルな部分が、違う意識に動かされている

 

可能性もあるかもしれません。

 

亡くなった方に思いを伝える

亡くなった親戚や友人の方が、夢に姿が現れたり夢の中で話をしたりすること

 

もあるかもしれません。

 

夢の中で亡くなった方と会っているときに、楽しい夢なら亡くなってからも、

 

まだ一緒にいたいという気持ちが残って、楽しい会話や思い出を共有し、感謝

 

喜びを伝えて来られています。

 

けれども夢で出会ったときに悲しそうであったり、表情や感情が伝わってこな

 

いようなときには、まだ亡くなったことに気付いていないか納得していないの

 

かもしれないのです。

 

もしそういうことが続いてくるようであれば、寝る前に亡くなったその方の姿

 

や名前を思い浮かべていきます。次に声を出す必要はありませんが、

 

「自分では貴方のことをこのように思うことしか出来ないけれど、どうぞ悲し

 

まないで苦しまないで、貴方が幸せになるための方法を出来る限り祈っていま

 

す」という思いを伝えてください。

 

供養とか浄化法は切り離していくことだけを考えるのではなくて、受け入れて

 

考える必要もあります。