友人とか親しい誰かのことを信頼して、「この人なら、自分のことをわかってもらえる」と思い信頼して心の内を話たはずが、相手の人は特別に気にするわけでもなく、それをまた他の人に話されて、裏切られたような気持ちになったりすることはありませんか?
ご自分が信頼して、心を開いて話をしていたつもりが裏切られたような感じでとても悲しいですね。人を信頼することはとても素晴らしいことだと思います。けれどもその信頼の意味がズレてしまうと、よい人間関係が保てなくなることもあります。
自分のこころをどこまでゆだねてしまうかが問題かもしれません。
人に自分のことをわかってもらえれば嬉しいものですが、反対にわかってもらえなくて当たり前なのだという気持ちでいるほうが楽でもあります。
人それぞれ霊界も魂も個性があってこそですから、人と似ているところはあるにしても、一人として同じであるということはありません。
あの人嫌い、この人嫌い」にならないように・・・・・・・
ご自分を心から好きになれますように・・・・・・・・・・・・
ひとり孤独に追い込まないように・・・・・・・・・・
自身の気持ちを上手く伝えられずに徐々にマイナス意識に入り孤独に引きこもってしまうことにならないために。
心の健康も大切に
普段私たちは体の健康は考えるけれど、心の健康は以外と考えていないかもしれません。
それこそ見えないからですが・・・・・・いつもいつも心が健康かどうかなんて考えたり意識を向けていくことは、気付いているようで気付いていないものではないでしょうか?
簡単に言ってしまえば、霊的には、霊体が良い状態で、心が健康であれば体を治せることにもなるのです。ときにはご自分の心と体の状態を俯瞰(ふかん)で考えてみることも大切です。
もちろん食事も大事です。
しかし、生まれ持った体の状態や抱えてきた因縁と言うか宿命はそれぞれに違いますから、同じ考え方をすれば同じように変わるかというと、それもまた個人によってちがって当然です。
みなさんそれぞれの方が個性の違う肉体を持っていますから、考え方や感じ方もそれぞれ微妙に違うけれど、鈍感な人もいれば 敏感な人もいます。
しかしそれでも自分が抱え込んできた、または抱えている状態に対して「自分の心」でどう考えてあげるかという、逆発想の思いをもつことは大切です。
「自分で自分を守ろう」という、気持の努力がなければ守護だけが一生懸命に守っても意味がありません。
体の状態はどうかと考えることも大事なことですが、「心の状態はどうかな?」と思いを巡らせてみることも大事なことです。
ときには機嫌が悪く、イライラしている自分を 自分の「心」 はどう捉えているかというと、そういうとき 心は 「傷ついているのです」 でもなんとか立ち直ろうとしている。
複雑な心境にあるのです。
温かいご自身の心の働きがある限り意識の高い守護もそこにいられるのです。