このサイトは精神世界・霊視・霊能をとおしてスピリチュアルカウンセリングを行うスピリチュアルカウンセラー・加藤眞澄の公式ホームページです。関東(東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県など)はもとより、全国からのご相談もお受けしています。
精神世界には多くの次元があります。私たちの生きている世界もそのうちの一つの次元です。私たち一人一人が生きているということは、物質世界で単に生きているということだけではなく、精神世界と共に生きていると感じることが大切です。スピリチュアルな世界を知ることで、あなたの生き方や考え方が変わり、本当の生きる意味がわかってくると思います。
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今月のメッセージ
自身のスピリット(霊性、霊魂)を大切に
若い方もご年配の方でもいままで歩んできたけれど、現実的な部分では多少の不安は抱えているものの生活は出来ていても、その反面これから生きていく上で何を大切にしていけばよいのか、何が正しいのか?ストイックに考え込んでしまう人も増えているようです。
人が新たな世界観を切り開いて行くためのステージが上がっていく時代へと変化している証拠でもあります。いまどき流行りのチェンジです。
物質、資本主義経済によって大きな進化を遂げてきたことは事実ですが、そろそろ次の変化が現実化されてくる状態に入りましたから、自分自身の心やスピリット(霊魂)がどこにあるのかを感じ始めようとしている時代でもあります。
感受性が強い人は、目で見ることのできない非常に表現しにくい不安にかられて、言葉では説明のしがたい感情に動かされてしまうようなこともあるかもしれません。
まるで得体の知れない何かがわからないまま、心がこもりがちにもなってしまいます。
善き魂を持たれている人が陥りやすい傾向でもあります。
うわべだけの優しさが通用しない霊的な世界(スピリチュアル)が変化を起こし始めています
魂の変化というより、我が身の真実の姿を感じとるようなもので自分から逃げをとりたくなるケースの最悪な状態が自殺でもあります。
このようなケースの方がいました。
「もう毎日が苦しくて、惰性というか何もかもが面白く感じられない。毎日死にたくてそればかりが頭から離れない・・・・・」 死ぬことばかり考えていたある日の明け方に、夢の中の声が「自分を知りなさい。逃げていては何もつかめない!」という声で目覚め、「それからインターネットで何を検索したか、いろいろ検索して私のホームページに目がとまり、自分が感が鋭くてもがいているというのがわかってきました」といわれご相談にこられました。
夢の中で「自分を知りなさい、逃げはいけない」とコンタクトしてくれたのは、この人の「生きたい」思いと守護霊の力です。
毎日が苦しいのは世の中の変化に対しての不安定さでもあります。
しかしこの方の「死にたくて死にたくて」という感情は不安定な心に居場所を求めようとした不浄霊で、操ってしまおうとする力も働いていましたがご説明して浄霊していきました。その後は「死にたい」という気持ちは払拭されてこられたそうです。
不安定でマイナスで落ち込んでいる心に霊が憑くこともあります。
電車の人身事故も多くなり、自殺人口そのものが増えているのですから比率からしても当前かもしれません。できることなら周囲に悲しい思いをさせないように、何よりも自分自身に一番悲しい思いや自殺という体験をさせないために、心の内側を大切に物質資本主義の進化の後は、精神的なスピリットの進化の時代でもあります。
はじめての方へ
霊的な現象を起こしている方のご相談や前世に関わることなどさまざまな側面で拝見していますが、生きる上で精神的にスピリチュアル(霊的)な方向から解決されていかれることが必要な方も多くおられます。
また霊的な相談をするのはお化けでも視たとか、はっきりしない状態では霊的相談ではないかと思われるでしょうが、霊的側面からも解決する糸口になることもあります。
すべてが霊のせいで解決できるとは思いませんが、霊的な側面から影響されていることも多いのです。些細なことにも、どうしてこれほどに悩み苦しんでいるのかと思う方も多いかもしれません。
「霊感が強いためか、感受性が高いからか、時代の変化か」、人の言動一つにも非常に過敏に受け止めて抑えていることに苦しんでいるご相談の内容も増えてきています。
精神世界が見直されてくるということは、「心」を見直していくためのきっかけをもたらされてくることにより、自身の内的な世界を振り返ることにもなるのではないでしょうか。
物質的には発達して、構築された概念の時代から、感じとったものがそのまま表面化されてくる時代へと進化されてゆくように変化して、人の持つ感性そのものがより高いレベルでの精神世界への移行をしていくために一時期、精神的なバランスを崩しやすい時代でもあるのだと思います。
次の進化は物質よりも精神性の進化が求められているからではないでしょうか。
すべてが流動しています、苦難は「不幸を知るから幸福を知る」ための通り道でもあるのです。
押さえつけられたような感覚、霊感、感受性が強い、神経が過敏、二重人格ではないか、トラブルつづき、気力がない、人間関係がうまくいかない、自分が出せない、ご家族の悩み、結婚問題、夫婦問題、暴力を受ける、感情的、心身疲労、精神的に不安定、体が重い、イライラする、落ちつかない、孤独感が強い、運が悪い、不安感、落ち込む、水子さんのこと、前世、過去世、先祖のこと、因縁、霊障、霊聴、引きこもり、オーラ、守護霊を知りたい、地縛霊のことなど
肉親や友人に相談しても、とても解決できない心、伝えようのない感情や感覚、また病院に行ってもどうしようもないときには「霊的な側面も視野に入れて解決法」を考えてもよいかもしれません。霊的というと違和感があるかもしれませんが、心と魂の「真の現実の世界」でもあります。
科学の進歩は、生活面では便利になりますが、しかしその反面「心が追いついていかない」。文明が急成長されたときに、情報は受け取れても心身のバランスがずれて取り残されてしまうような状態になるのかもしれません。
そのような社会の中でバランスを欠いてくると、人の言動も乱れ、極端な犯罪も起こり、隠れきれない「霊的な悪」も表面化されてきます。
「善も悪」もいままでのペースではいられないのです。
それならば悪いものだけが先んじているのかといいますと、「善き存在があるからこそ、悪の洗い出し」が始まってきています。
けれども「善悪」が同じくらいの比重なら悪の暗さが目についてしまうのと、心やさしく感受性の高い人は理由の大小はあれども、霊的にいたたまれない感情に捉われ傷ついてしまうことにもなりかねません。
霊界も過去からの精算をされていかなければならない時期にはいってきています。それは俗に言われる「因縁とかお化け」という状態でこの世に気持ちが残り、「彷徨える意識の亡霊」が浄化されていかなければならない時代がきたようなものです。
「死後の世界」でも正しい方向へ霊体がゆけば何も問題はありませんが、この世に気持ちが残り留まってしまうと、「居残り組みのおばけ」となってしまう状態です。
人間界だけではなく、先に霊的な世界(霊界)が淘汰し進化されてきていますが人間としての肉体もなく、しかし霊界にも戻れずに、ただ思いを残してこの世に意識を残している霊は、人の意識を利用して自身を見出そうと、居場所を求めようとすることもありますから霊的現象を引き起こしたり、「感情が左右されたりする」こともあるのです。
低級霊に成り下がったものは人の感情を面白がって操ってきたりもします。
社会においても、モラルの低下と、プライドや威厳を引き抜かれ易い世の中にもなっています。虐待やいじめなどに関しても、虐待をする側、いじめる側も「自分に不安を持ち、自身を憎んで人に対してもやさしくなれない」、もどかしい苦しみを他人に向けてしまう事になっているのではないでしょうか。
反対に虐待をされたり、いじめられる側も「自分に自信をなくし、自らを責めてしまう」心の置き場所が狭くなってしまうことにもなり、「自分を好きになれない」ために「不安の連鎖」が生じてしまいます。
感受性の強い方や、霊感の強い方は特に霊的に動かされることもあります。いじめ問題も大人社会と家庭の心の動きが子供社会に反映されている部分も多いと思います。
そして子供さんは純粋ですから鏡のように映し出されてくることにもなるのではないでしょうか。
人の感性だけでは、はかりきれない多次元の動きによって宇宙は生み出されてきたように、人は目に見える「外面」と目に見えない「内面」で存在しています。自分自身でありながら思ったことがうまく行動できないこともあります。
科学の時代になり、世の中がシステム化されてくることは必然の進化でしょうが、そこには精神的に自身の霊性が安定していかなければ、物質世界での進化は無駄になり、科学を使いこなすことができなくなってしまうか、もしくは破壊の道をたどることになってしまうのではないでしょうか。
目に見えない世界によって目に見える世界は支えられています。
「心と霊と魂」をつなぐ霊的な健康状態を回復させていくような役目だと考えています。
あえて一切の祀りごとはしておりませんが、神を信じています。関東はもとより全国の神社仏閣もおまいりをさせていただきました。神社仏閣は今後も心のよりどころとして、美しい存在としても守られていかれるところが多いと思います。
神はいるというよりも「宇宙のごとくある存在」「宇宙の真理」として捉えております。
そして精神世界が形に捉われることのない世界であることと、まずご相談者の霊性と神性を見出すことを第一に大切にしています。
自身を見出すことができてくると、何かにすがりついていなければ「心の居場所がない」などということからは開放されてくるでしょうし、神社にいかれても冷静に高次元の自分と向き合えるように重厚な存在と時の流れを感じとれるのではないでしょうか。
宗教性を求められることは自由ですが、ご自身の神性が常に磨かれていかれることを一番に考えています。物質世界が発達しているからこそ、自身の内面と出会うことが大切です。
メディテーション(瞑想)センターがあるともっとお伝えしやすくなるのではないかと設立を夢みております。大きな希望と願いを未来に託しながら日々お伝えしていけるようにしております。
特定の宗教や団体には一切属しておりません。現在ご自身が信仰されている存在に対しての否定もすることはありません。だまされているような非道な宗教などであれば忠告はさせていただくかもしれませんが、最終的に自身の思いで判断、そして決断されるべきだと考えております。
古代から世界のどこの国でも、「神に祈り魂の甦りや死後の幸福」を祈られてもきました。現代においても宗教も含めて精神世界は大切にされています。
科学も進んでいる現在に至るまで消滅することなく続いています。
物質的には体を持ちながら、精神的には「心と霊体と魂」を持つ、「外面と内面で存在」しているために、人は何が一番大切なことで何が一番先だったかを知っているからなのではないでしょうか。
とりわけ日本は神聖なるものの価値観が浸透している世界屈指の国のひとつで、万物すべてに霊性をみとめ神や霊の存在に関しての捉え方がとても身近な国でもあると思います。
宗教というと異質の目でみられがちですが、「心の中で思い願うこと」も宗教の原点でもあるのではないでしょうか。
これまでのメッセージ
人を信頼して話すことをあきらめないように
誰かのことを信頼して、「この人なら、自分のことをわかってもらえる」と思い信頼して心の内を話たはずが、相手の人は特別に気にするわけでもなく、それをまた他の人に話されて、裏切られたような気持ちになったりすることはありませんか?
ご自分が信頼して、こころを開いて話をしていたつもりが裏切られたような感じでとても悲しいですね。人を信頼することはとても素晴らしいことだと思います。けれどもその信頼の意味がズレてしまうと、よい人間関係が保てなくなることもあります。
自分のこころをどこまでゆだねてしまうかが問題かもしれません。人に自分のことをわかってもらえれば嬉しいものですが、反対にわかってもらえなくて当たり前なのだという気持ちでいるほうが楽かもしれません。
人それぞれ霊界も魂も個性があってこそですから、人と似ているところはあるにしても、一人として同じであるということはありません。
「あの人嫌い、この人嫌い」にならないように・・・・・・・
ご自分をこころから好きになれますように・・・・・・・・・・・・。
ひとり孤独に追い込まないように・・・・・・・・・・。
祖先から受け継いだものを粗末にしないように
お稲荷様に限りませんが、ご自宅の敷地でお祀りをされていたり、いつの時代からあるのかわからないし、後を継いでおまつりし続けていくことは自信がない方もおられると思います。きちんとおまつりしつづけることができないとか、宗教上の理由で問題がある、家を離れたりもしくは敷地を利用するために、祀り続けていくことができなくなるなど。
これらの理由でおまつりができないことになり、「粗末にするくらいなら」きちんと祀られている系統の神社にお願いをして、丁重にお礼と感謝を心より伝え、きちんとお清して終わらせることです。
ただ取り去ることを奨励しているわけではありません。時代的にお祀りが不可能になられる方も多いため、無視をしていただきたくないためです。粗末にして、例えは悪いですが踏みつけるようなことがあると、霊的にも災いがあることもありますが、後を継がれてつづけていかれる自信がない方もいます。
お家に古くなってホコリのかぶった神社やお寺のお札はありませんか?
何年も置きっぱなしになっていませんか?
年に一度はお参りに行かれて新しいお札をいただいてきてください。
これ以上祀ったり、お札はいらないと思われるのなら、お礼も込めてきちんとお返しをしに行かれることが大切です。
霊的ガイドはいます
生まれつき「運」が強いとか弱いとか言われるように、数ある過去世から未来へつながるための経過途中でこの時代に生まれて、宿命の違いはありますが自身の使命(ミッション)をえらんできたのです。その宿命の枠の中の人生を、どのように自分が支え、努力して乗り越えて生き抜いていくのかが生きる意味でもあります。
どのような境遇に育つかは異なりますが、似たような境遇の人もいます。それでもその状況に対しての選択肢はそれぞれ異なりますし、どの方向にいくかは心の動きでもあります。そのときに霊的ガイド(守護霊)はこうしたらよいのだということの「意識」のアドバイスはしています。その働きかけに気持ちを動かされ導かれるかどうかは、自身の感性がどの位置にいるのかで受け取り方が微妙に変わってきます。
守護というのは必ず引き上げてくれて、強運を授けてくれるという神頼み的な存在ではありません。常に働きかけはしていますが、ご本人が下ばかり見ているようでは守りにも限界があります。できる努力は惜しむことがないように、後を(過去)振り返る時間をなるべく最小限にしていくことが大切です。そうでなければ守護霊がいくら導こうとしても自分が心を閉ざしていたのではどうにもならないのです。 守護は霊的ガイドとして、あくまでも案内役ですから意識下で必要なアドバイスはくれますが、決断するのは守護ガイドではなくてご自分自身でなければならないのです。
例えば朝眠いあなたを駅まで担いでいくことが守護霊の役目ではありません。けれども気持ちが落ち込んでいるときにも、これ以上傷つくことがないように霊的なあなたを内面の見えない世界から支えていくために守護は働きかけています。そしてしあわせを願って導いています。
人生のテーマ
どれほど食べるものやお金があり、生活に不自由しなくても、その上健康でいられても、それでも悩みがないと言いきれる方は少ないです。
満足しても次にはそれなりの試練や、もしくは責任がかかってきます。責任とは人より豊になったことの維持と還元でもあります。そうしないとしあわせはまた過ぎ去ってしまいます。
物質的には人の役に立つことへの仕事で還元されることもありますし、ボランティア活動もそうです。企業なら事業展開で利益を生み出し、社会に還元していくことかもしれません。
個人個人はそれぞれ生まれ持った宿命が違います。お互いに違う宿命があるからこそ意見の食い違いや葛藤が生じます。そこからお互いを理解していくために付き合い方を模索していきますから、気が合わない相手でも、やむを得ずつきあうためには妥協できる部分をなんとか見出そうと努力します。
出会いたくない、付き合いたくない人はいるものです。苦痛でもしばらく仕事をしなければいけないことにもなるわけですが、自分が苦手な人と接していくうちになんとかうまく対応できるようになってくるものです。
日常のさまざまな局面で、誰の元にも「人生のテーマ」が与えられてきます。もっと大きく人生全体の流れを捉えてみると、「人生のテーマ」が軸となって生涯に大きな影響をもたらしています。 例えば商店を経営している家の跡継ぎに生まれ否応なく(最終的には本人の意思ですが)、跡を継ぐことになったり、または家になじめず親子関係がうまくいかずに悩んで早くから実家を離れて暮らしていく人もいたり。
人生の基本的なテーマは変えることはできませんが、けれどもその環境に反発もするし、自身が置かれた立場や状況にうろたえて精神的な壁に自身が囲まれてしまいます。
このようなときに人間的な自分が人として存在している、状況だけに縛られて苦しむのではなく、精神的な存在・霊的存在である自分が支える力にもなっていることを忘れないでください。
「そんなことは思い出すこともできないし、記憶もない」かもしれませんが、人は前世、過去世や過去の時間の構築があってこそ、その存在が成り立ってきています。
大切なことは人や自分を傷つけてその場を切り抜けようとすることよりも、どう切り抜けていけばできる限り後悔のない、自身の存在する流れを未来につなげ、育んでいくことができるかをポイントに置いて、最終的な人生のテーマはしあわせな心を育むことでもあります。
*人生は流動していますから同じところであまり長くたたずんでいられません。
そして「不幸を知るから幸福を早く知ることができます」
いろいろな霊的現象
もしも霊という表現に違和感があるのでしたら、3次元空間的現象と思ってください。霊的なご相談に来られる方で、これは霊的なことかどうか判断ができずにおりましたと言われる内容がありますので、いくつかの霊的現象が要因となっていることを挙げてみます。通常の霊体験といわれることとも重なりますが書き添えておきます。
・ 霊(お化け)が視える
・ 誰もいないのに声が聞こえる(霊聴)
・ はっきりしたものではないが、急に耳がざわつく
・ 人の気配が影のように感じる
・ 体は元気だが、背負い込んでいるような重さを感じる
・ 何かに触れられているような感覚がするときがある(霊気)
・ 感情、感覚の上下が激しい
・ 自身で感情のコントロールがしづらくなる
・ 飲食でも極端に食べ過ぎたり、バランスがとれない
・ 急に落ち込んだり、マイナス思考がつづく
・ 自分を責めてばかりになる
・ 人の意識がとても気になる・・・・・・・ etc
すぐにおさまるような現象なら問題ありませんが、霊的な現象にはいろいろなことが含まれていることもあります。霊の心もしあわせ探しをしているのです。
人が怖い
人と目を合わせることが苦手だったり、怖いと感じることは、消極的な人だからとは限りません。
霊感の強い人もときとしてこのような現象をおこすことがあります。
普通の奥様が急に人に対して恐怖感をもたれ、ご主人以外の人とは顔もうつむいたまま、もちろん目を合わすこともしないし、明るくテキパキとされていた奥様とは思えないほど、ほとんど話もできない状態で別人になってしまったというご相談を受けたことがありました。
病院も行かれ治療や薬も処方してもらったがあまり変化がなく、もしかしたら霊的なことがあるのかという半信半疑で来られたのでした。
ご主人と共にこられましたが、ご主人の背中に隠れるようにうつむいた状態でした。仲の良かった弟さんが少し前に亡くなられたようで、奥様がこうなった要因の一つでもあると思われます。
要因の一つというのは、亡くなった方の意識がまだ思いが残る淋しさと、この奥様の心配と悲しみとが連動してしまい、マイナス思考に入り込んでしまった状態です。
亡くなった方への思いの説得と、奥様ご本人へは気持ちの入れかえをされていかなければならないことをお話して浄霊をし、ご相談を終わる頃にはお顔を上げてお話をされておられました。表情がずいぶん明るくなってこられたケースもありました。
霊が集まる
もう20年以上前のことになりますが、機会があるごとに関東はもちろん全国のさまざまな神社仏閣をお参りしていた頃でした。ある有名なお寺の一つで「奥の院」といわれるところがあり出かけて行ったことがあります。
どこでも「奥の院」といわれるところは山の上にあり、階段だったり勾配が少しばかりキツいところを登ってゆくのですが、ここも大変な山道でようやくたどり着くことができました。
私も一度は来てみたいと思っていましたが、さすがに奥の院といわれる場所だけあって周辺の景色はとても美しいところでした。そこは気の流れが通る心地よい場所でしたが同時に人はいないのに見られているような気配が気にかかりました。
その奥の院の周辺には何軒かの宿があり、そこの宿の一軒に予約をとり宿泊をしたのですが、そこは少し古い感じの建物でした。古いということが怖いわけではありませんが、お風呂に入ると壁に無数の人の顔の影のような姿が視えてきました。
食事をしていても、とても息苦しいような感覚になりました。
少し疲れたので布団に入ったところ、今度はしきりにお腹が張ってくるのです。ポコポコ音を立てるように自分には聞こえていました。
その都度お腹が膨らんでくるような感覚で、着ていた服もきつくなってくるように感じました。ガスが出るわけでもなく体の中に溜まってくるといった感じでした。
これがいわゆる不浄仏霊なのはわかりましたが、あまりに沢山の意識でどうすることもできないのと、霊自体がどうして欲しいとも思っていないようなのです。ここはあるお寺の奥の院ですから、このお寺の本山である奥の院に気持ちを置いてその地に宿っているような存在なのです。(お墓のような存在でもあるのでしょう)
こちらはそれを勝手に感知してしまうものだから辛くて眠ることもできないし、今から宿から出て暗い山道を歩いて降りるわけにも行きません。
そうこうしているうちに夜が明けてきました。早々に宿を出て山を降りていくと、10分ほど歩いたところで少しずつお腹の張りもなくなり、息苦しさも薄れて楽になってきました。やはり奥の院の周辺だけを離れずにいる不浄仏霊の存在だったということを確信しました。それほど信仰厚くそこに留まり、集まっている霊をもう少し浄化出きる力が、本山にないことも感じました。
神聖な信仰の集まるような拠り所は、修行者の方以外にも多くの方も来られて、願いごとや悩みごとをゆだねていかれる所にもなります。
神聖な場所は厳かに祈られ守られていかなければならないと思います。
これより何年か後に、年配の女性がここへ行かれて自宅に帰ってからも霊が憑いているので何とかして欲しいというご相談を受けたことがあります。霊査してみると波長が合ったのか、やはり女性の親子づれの姿が視えました。
昔、子供さんの病気の回復を願い信仰されていたようでした。気持ちがなかなかこの場所(山)から離れられなかったようですが説得して浄霊しました。
信仰は人の拠りどころであり、すがる思いで行かれる方の幸せのためにも、パワーを与えてくれる本山は守られて欲しいと思っています。
二重人格のような現象
自分以外の人と接するときに多くの場合、「接待モード」になって気を使っているものです。たとえば朝、家族と喧嘩をした日でも学校や仕事場に行っても何事もなかったように、他の人達には挨拶をし、なるべく平静を装って普通の会話をするように心がけるものです。
一部親しい友人には愚痴をこぼすかもしれませんが、なるべく関係のない人には喧嘩やトラブルのことは話さないし、話したくないものです。常に心は感情のコントロールをしていくようにがんばっています。
ただ感情の起伏が激しく、感情をコントロールできなくなると抑えているつもりでも、継続してしまい、これではいけないと思う自分の気持ちの中にそれを否定するかのような感情が、「怒りであったり」「人を責めることだったり」「自分を責めることであったり」など
とめどなく気持ちの中に別の意識がいるような感覚が続いてくるときには、霊的な影響も受けていることもあります。
霊的なものの意識は人間がマイナス意識に陥ったときに入り込みやすくなります。
(意識や感情が動かされやすくなるような状態)
自分は二重人格ではないかと思うくらい、いつもの自分とかけ離れた感覚があったり、ただ霊の意識に操られてしまうと、自分の感情に戻りづらくなってしまい、人格が変わることもあります。
自分らしく
霊的に影響を受けている場合には、ご本人の意識に戻していかなくてはなりませんが、第一に理解していくには自分ではなくて霊的な仕業であることを受け入れることです。
意識の中で振り分けて霊と自分の違いを浮き出して行かなければなりません。
精神的な病気といわれることにもかなり霊的な問題が関わっていることも多いのですが、霊的に違うものが入れ替わっている場合もあり、同じ霊意識(低級霊)が違う人格であるがごとくに動いている場合もあります。
ある人の場合には、常に不安と猜疑心がだんだん強くなってしまったり、極端なケースではまるで子供のようになってしまうこともあります。
ご相談する際にはご本人とお話しながら、霊的な意識との交信をしていきます。
はじめは「自分が思うことだから自分ですよね」と言われる方もいますが、感覚意識にも霊は憑くということをまず一番に知っていただきたいのです。徐々に自分らしく変化されていくことを大切に考えています。
純粋な魂を守るために
最近の子供さんは頭も良いし、おしゃべりも達者です。少子化でもありますから子供さんの教育にかける時間も多いと思います。知人の子供にも会いますが遊ぼうという好奇心と元気さはいつの時代でも、成長力を感じます。
霊的な感覚で思うことは子供は常に純粋ですが、最近のお子さんはとても純粋で、しかも魂はいわゆる過去世にさまざまな体験をして磨かれてきている魂のレベルが高い方が多いと思います。人の痛みを理解できる、思いやりがある、強さがある、愛を知っている、とても容量が深く、そして純粋さを保っていることを感じます。
けれども純粋であるがために、人間的な生活と社会の中において、成績を重視されすぎたり物質的なことばかりに比重がかけられたりすると、まず人間的にバランスを崩しはじめます。魂のレベルが高くても、純粋であるがゆえに社会の物事への判断が流されてしまい、自身をとらえることができなくなります。
気持ちの居場所がないような状態で、その状態が続くと心と意識をつなぐ精神的な存在の霊的な自分(霊体)が傷ついてきます。悪くすると、その弱ったところに霊的なものが憑くということになります。
ニュースでも親子のトラブルや、傷ましい事件沙汰が増えています。
親御さんも社会生活について行かれることで大変だと思いますが、子供さんも純粋であるがために、いまは特に霊的に暗雲が立ち込めている時代ですから、心をつなぎとめていかれる会話とふれあいを大事に考えることが大切です。
子供さんにどのように接していいかわからないと思う方は、ご自分ならどう接して欲しいのかを想像されて心から伝えて行くことも必要ではないでしょうか?
親子で空を見上げて深呼吸する・・・・・・。
そんな時間はとても大切ではないでしょうか。
純粋すぎることはとても傷つきやすいことでもあります。
魂と呼ばれる世界で磨かれてきたからこそ、この社会で耐えられる精神的な力もあることを信じられますように。
霊の影響は複雑に心に絡んでくることもあります。行き場を失わないように。