どうぶつ

野生の動物が地震の前に大移動したり、

 

異様な鳴き声をあげたりすることもあります。

 

ある種の周波数の異変を察知しているらしいのですが、

 

自然界では敏感に異変をキャッチしてすばやく動くことのできる能力をもっています。

 

野生ではないですが、ペットとして飼われている犬猫小鳥等も

 

もちろん同じ能力はあると思います。

 

野性ほど研ぎ澄まされてはいないかもしれませんが、

 

あきらかに人が聴こえない波長を感じ取っていますし過敏に反応しています。

 

人間と違ってかけ引きや思惑のない、より純粋な心を持っていますから、

 

純粋にとらえることができるのかもしれません。

 

ペットの犬や猫が、部屋である一点を見つめて見定めているときもあるという話もよくあります。

 

異様なものに対しては鳴き声をあげることもあります。

 

ペットはとても敏感な心で、飼い主さんを愛しています。

 

ときに飼い主さんより先に危険を察知していますから、

 

身代わりになることも本当にありえます。

 

けれど動物には「うらむ」ということは存在しません。

 

ただし、故意に動物を傷つけるような場合には、

 

動物が持つ「鏡のような純粋な心」がありますから

 

その心の放つ光によっていずれ身にふり返ってくることになります。

 

生きるもの同士すべてが共存されていくことが精神世界です。

 

共有されていかれないとしあわせは訪れてくれません。

 

周囲や相手の気を受けやすい

霊感がある人でどこへ行っても何かしらの「霊の姿」を視てしまう人がいます。

 

あるいは直接霊は見えなくても、電車で隣りに人が座ったとたんに肩が重くなってしまう人もいます。

 

言い表せないような寒気に襲われることもあるかもしれません。

 

ある日霊感の強い知人が、電車で向いの席に高齢の人が座った途端に非常に気分が悪くなり吐き気がして途中下車してしまったことがありました。

 

駅のホームでしばらく休んでいると落ち着いてきたのですが、

 

後から考えると、向かいの席に座った人の顔色が非常に悪かったのを思い出したそうです。

 

おそらくかなり体調が悪い人だったのだろうと思われます。

 

この時この知人も風邪気味でいつも以上に過敏な反応が起きたかもしれませんが、

 

感受性や霊感が強い場合には、疲れたり体力低下してくると、いつも以上に周囲や相手の気を受けやすいこともあります。

 

 

余談ですが、霊的に感受しやすい人の場合には極度に疲れたり、体力が落ちたりしてくるといつもは聞こえないものが聞こえてくることもあるかもしれません。

 

電磁波にも過敏になりやすいですし、耳元がゴワゴワざわざわしたような感じ方をするようなときには、お塩(大匙いっぱいくらい)を紙か布に包んで枕の下に敷いて寝たり、お香をたいたり

 

精神的にも落ち着けるように、

 

気持ちの良い景色や水の流れ、気のよかった神社などの境内で参拝しているご自分を思い出し、

 

心を整えてみることも大事です。

 

厳島神社(いつくしまじんじゃ)   <広島県宮島>

1400年の歴史をもち、日本全国に約500社ある厳島神社の総本社です。

安芸国一宮

 

ご祭神

宗像三女神市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)

 

市杵島姫命は神仏習合時代には、現在は大願寺に移された弁才天と習合して弁天様と信奉されていました。

 

江島神社江の島)・宝厳寺竹生島)とともに日本三弁天の一つとされている。

厳島神社のある宮島は別名「安芸の宮島」と呼ばれ、日本三景の一つとなっています。平家納経でも有名。

船から見える神社の鳥居も、神社の回廊などもとても美しいです。

 

 

ただ遠く戦乱の時代には数多くの船が入り乱れ合戦が行われてきたところでもあります。

(神社のご紹介なのに失礼いたしました。)

厳島神社のある宮島は、古代より島そのものがとして信仰の対象とされてきたところでもあります。

 

推古天皇の時代に593年、土地の豪族であった佐伯氏が神託を受けて、御笠浜に社殿を創建したと伝わっているそうです。

平安時代末期には平家一族の崇敬を受け、1168年ごろに平清盛が現在の社殿を造営。平家一門の隆盛とともに盛えて神社は平家の守り神でした。

 

 

けれども平家滅亡後も源氏をはじめとする時代の権力者の崇敬を受けて、守り継がれてきた神社です。

 

 

宮島の神社仏閣

世界遺産(文化遺産)となっている厳島神社のある宮島は、歴史のある社寺が多いです。

大願寺(だいがんじ)

大願寺。開基は不明ですが、建仁年間(1201年~1203年)の僧了海が再興したと伝えられる真言宗の古刹です。明治の神仏分離令までは厳島神社の普請奉行(寺院の修理や造営を一手に担っていくところ)の歴史があります。このお寺の厳島弁財天は弘法大師空海の作と伝えられ、日本三弁財天の一つ。

神仏分離令によって厳島神社から遷されたこの厳島弁財天をはじめ、木造薬師如来像、千畳閣の本尊だった木造釈迦如来坐像などもここに収蔵されています。

 

多宝塔(たほうとう)《重要文化財》

大元神社(おおもとじんじゃ)《御本殿は重要文化財》

厳島神社よりも前に創建されたといわれる古社です。国常立尊(くにとこたちのみこと)、大山祇神(おおやまづみのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、宮島の地主神として信仰を集めてきた神社です。

 

 

清盛神社(きよもりじんじゃ)

光明院(こうみょういん)

宝寿院(ほうじゅいん)

徳寿寺(とくじゅじ)

真光寺(しんこうじ)

存光寺(ぞんこうじ)などなど

広島県廿日市市宮島町1-1

 

厳島神社ホームページ

http://www.itsukushimajinja.jp/index.html

 

宮島観光公式ホームページ

http://www.miyajima-wch.jp/

広島駅~JR山陽本線宮島口駅広島電鉄宮島線 広電宮島口駅 フェリー乗り場はJR宮島口駅から徒歩5分・広電宮島口駅からすぐ

宮島口桟橋から、JR西日本宮島フェリー宮島航路、もしくは宮島松大汽船宮島航路にて宮島(宮島桟橋)まで約10分。

 

人の悩みが重たく感じてしまう人

人の悩みの中に気持ちが入り込んでしまう人がいます。

 

例えば、友人や知人と話をして悩みやグチを

 

親身になって聞いているうちに、

 

とても相手の感情や感覚意識に入り込みやすくなってしまう人がいます。

 

ときには話している当の本人よりも

 

気持ちが入り込んで、悩まされてしまうことになったりするかもしれません。

 

単純に心配性で考えすぎではないかと思われがちですが、

 

このような方はとても感受性が強く霊的な感性があることが多く、

 

人の気持ちが伝わりやすいのです。

 

人の世界も霊的な世界も思いの意識につながります。

 

一人に解放されたときには、気持ちを切り換えて深呼吸!

 

聞かされた悩みやグチを「吐き出して」

 

新しい新鮮なやさしい空気を「吸い込んで」切りかえて、

 

そしてお参りや森林浴ができたらよいですね。

 

気を入れ換えていけますように。

 

嫌われている

周りの視線が冷たく感じられて、

 

自分は周りの人たちからどのような人間に思われているのか、

 

そして嫌われているのではないだろうか・・・・

 

感受性が強く霊的な感性も強い方がそういうことを思いやすいのです。

 

そこまで考えてしまう人は人に対して気を使いすぎてしまうために

 

そういう感覚がエスカレートしてくることもあるのではないでしょうか。

 

人を責めないけれど、自分を責めてしまいがちになったり、

 

人に気遣いをし過ぎてしまい、話も合わせるし

 

人の心(内面)までもが気にかかってしまうのです。

 

感の鋭い人は他の人と同じ部屋に居るだけでも

 

圧迫感を覚えてしまうことにもなり、

 

少しでも異和感に反応してしまうことになってしまいますから、

 

ご自分の個性でもある自身の気持ちと感受性の高さに

 

気づかなければなりません。

 

何よりも、相手はもちろん自分がいけないのだと責めすぎず、

 

負に囲まれているような気持ちから

 

わっていくことも大切ではないでしょうか。

 

あるがままをより良くするために

日々の中でイライラしたり

落ち着かない

満たされない

自分だけが浮いてる存在

自分だけが取り残されている

自分が嫌い

気にして欲しい

気に入らない

自分を見ないでほしい

けれど無視しないでほしい

涙ばかりあふれてくる

悲しい

誰もがもつ感情はあって当たり前のことかもしれません

 

ただその表現力というのか感受性が強すぎて

 

コントロールがときどき制御不能のような状態で

 

涙が止まらなくなってしまったりすることもあり得ます。

 

もちろん霊的なものも問題はありますが、

 

自分をどこに見出していくことが出来るかで人生の過ごし方も変化してきます。

 

身の回りで起こるよくない出来事は、気に入らない、親のせい、家族のせい、

 

誰かのせいなど常に誰かのせいに考えてしまいがちになってしまうこともあるかもしれません。

 

それでも自分の与えられてきた、大きな運命の流れと受け入れて自らを知り、

 

次から次からへと訪れる試練のような出来事を

 

こなしていこうとする賢明さをもつ人では行き着く先はおのずと変わってきてしまいます。

 

あるがままをより良くさせていくために、人も責めずに、自分も責めずが大切です。   

 

 

霊的な話をしていると顔がしびれたり手がしびれてくるような感覚がある方もいます

霊的なお話をしていると、顔や手などがしびれてくる感覚になる方がおられます。

 

すべての方がそうなるわけではありませんが、

 

いっときそういう状態になることがあるのです人によって、

 

「いままで自分についていたもの(霊)の意識が出てきて一生懸命に話を聴いているような感じがします」 と言われる方もいます。

 

霊的な世界は肉体ではありませんから、思いの意識が人の感覚意識に働きかけてくるような状態です。

 

その意識が、強く出てきたときにこのような現象が起こることもあり、

 

 

肉体が「死」を迎えても、すぐには霊界に移行できない場合で、

 

 

人の気持ちと霊たちの気持ちが動き始めたときに起こってくる現象で、

 

 

心(感情が)表現し出して人の感覚に影響を及ぼしてくるような状態でもあります。

 

 

ご自分で霊が見えるわけではなくても、霊がいるなと感じたり、

 

 

姿は見えないために霊的なことのご相談でいいのか迷われるかたもいます。

 

 

けれども感受性が強い方はお会いして話をしていると、

「自分より先に特に顔の前面にふわっと何かが出てきたように感じられたり、手のしびれ感が強くなってくることもあります」。

 

 

霊的なことを感受すると全身で電気のようなしびれ感を感じやすい方もおられます。

 

 

霊もまた電磁波を持っているため、霊的なスポットに行かれて体感されることもあるかもしれません。

 

 

もちろんあくまでも感覚ですから、病気とは違います。

 

 

しばらくして徐々におさまってくるのでしたら問題ありません。

 

 

霊的なものたちの時間が進み始めたことと、自分たちの意識感覚がまだ人間的な世界に近いところにありますから、人の感覚の中で現れてくるときもあります。

心に聞えた声なき声

ご本人のご了承をいただいて掲載しています

時折お会いするご相談者のAさんが、亡義父さんの古いお守りを見つけて、

 

どうしようかと写真を撮ろうとすると心の中に「撮ってはいけない!失礼なこと!」と伝わってきたそうです。

 

後日ご相談に来られたときに、お守りで反応しているので、

 

 

幸い半日でいける神社でしたから、

 

お礼参りとお守りをお返ししてきてもらうようにお伝えしました。

 

その後あらためてお守りをお返しにいかれたそうですが、

 

Aさんも10年ぶりくらいに参拝に訪れた神社で、

 

早朝に出かけたため境内は参拝の人もまばらでしたが天気もよく

 

心地よくお守りもお返しできて参拝して、後ろへ下がろうとしたその時、

 

「努力に勝る宝なし!!」という言葉がストレートに心にポーンと入ってきたそうです。

「今のは何?」自分の思考ではないのは確かなのです。声ではない声で力強く伝わってきた。

 

心に聞こえた。

ちょうどその頃はAさん義父母がご高齢で相次いで亡くなり、

 

相続の話しがでて、ご主人の異父兄がいることが判明し、

 

当然そちらの兄弟にも相続が発生するため、予定していた支払い運用などがすべて変わってしまう。

そのため、Aさんはご主人が受け取れるはずの資産が

 

かなり少なくなるのでまるで「宝をゴッソリ失ったという気持ち」とでも言う表現に近い気分で

 

Aさんもご主人も義姉さんも
落胆していた時期でした。

 

お話しは戻りますが、

 

こういうときに「努力に勝る宝なし」と神様に言われたことに気付きました。

 

神様からみれば、宝は物質的なもの以外を示して言ってたのです。

 

Aさんご夫婦は家業の手伝いもしながら義父さんには金銭的にもお世話になってもきました。

 

おんぶに抱っこして生活いたかも知れない・・・

 

現在はAさんご夫婦、出来るお仕事をしてがんばっています。
「努力に勝る宝なし」
宝は金銭だけのことではないですね。

 

勉強して学んだこと、
習得したこと、信頼など

 

落ちこんでしまいつらい

落ちこみやすいというのは誰にでも、何かのきっかけであるものです。

 

「自分は落ちこむことなどまったく関係ない!」という人でも、

 

失敗が重なったりショックな出来事が起こったり、ふとしたきっかけが気持ち

 

を落ちこませてしまい、

 

ものごとをマイナスに考えやすくなってしまい「うつ的」になってしまった

 

り。

 

体も心も動きづらく、人との時間のスピードに

 

合わせられないような感覚にもなるのではないでしょうか。

 

いろいろな治療を受けたりされている方もおられるでしょうが、どんな解決法

 

もどれもが正しいのだと思います。

 

そういうことにちょっとだけスピリチュアルなことをとりいれて、と言っても

 

難しいことではなく、

 

ご自身の心身と魂を結びつけている世界に気持ちを向けて考えて、

 

 

こころの置き場をつくっていくことも解決法のひとつでもあります。

 

感性が強い人は、人の内側の気持ちも伝わってしまうこともあるので、

 

内面的に苦しくなってしまいがちにもなるので、

 

神仏を祀る気の流れの整ったところへいかれて、

 

神社仏閣など気持ちもリセットして

 

人生進んでいかれますように

 

 

加藤眞澄HPへ

「魔界・魔物」について

魔界とか魔物とよばれる世界は、「低級霊」 と混濁してしまいがちですが、

 

簡単に説明してしまうと 「低級霊より、もっと地獄」 なのです。

 

低級霊なら、自分が何者かどうしたいかに関しては、我欲が強いために逆にど

 

うしてよいのかわからずに迷いの世界にいます。

 

低級霊 と違って、「魔物」 の違いは自分はどうしたいのか、なぜここに存

 

在するのかをよく知っています。

 

「低級霊」を操れるほどのパワーがあるのです。

 

むしろ低級霊は単純ですからこの「魔」の力には弱く服従して動かされること

 

もあります。

 

「魔界とか魔物」は説得して言うことを聞くような存在ではないのです。

 

魔には説得は効きません。

 

低級霊はまだ説得が効きますが、「魔」には心がない、怒りと冷酷な恨みや

 

ら、人が知る限りでの「苦が幾重にも無限に合体された世界」が「魔界」とい

 

う存在です。魔物がときどきそこから顔を出すこともあります。戦争に継ぐ

 

も「魔」の力でもあるのです。

 

プラスとマイナス、ブラックホールとホワイトホール、天と地のように、両方

 

の存在が必要なところはありますが、「魔」に出る隙を与えないようにしてい

 

かなければなりません。

 

「魔の世界」はその世界でだけおさまっていくべきなのですが、人の心に入り

 

んで自分たちが操っていこうとする動きも捨てておけません。

 

人の我欲がいけないのか、

 

人の心を占領しようとする魔がいけないのか・・・・・・・・・・。

 

どちらも良い訳がありません。人の慢心は恰好の餌食にもなってしまいます

 

、それに魅入られないようにしていくためには、正しいものと正しくないもの

 

見極めていくこころが働いてくれるだけでいいのです。

 

心が魔を受け入れないためには簡単なことですが空が青くてきれいだとか、澄

 

だ空気が心地良く感じられる自分があるだけで充分です。

 

心が魔を受け入れないためには何の武器も必要としません。