お稲荷様 白狐さん T子さんの話

ご本人の承諾を得て掲載しています。

T子さん(40代主婦)は最近疲れているせいか何となく落ちこんでくる。

とくに大きな悩みでもなく、いつもと同じ日常の中で

 

だんだん落ちこんで鬱のような心境でした。

それでも仕事にも行けるし家事もできる。

けれどもだんだんと、とても落ちこんできて、

 

そのうちに仕事のとき以外では首も下を向いてしまい。

考えることもマイナス思考ばかりで何もおもしろくないし、

心の中が日々ネガティブになってしまう。

 

そんなある日、T子さん自分の右肩に白いものが見えた気がして、

はじめは気のせいかと思って確認するとまたも白いものがみえる。

 

顔だけでしたがふっくらした白狐の顔が見えるのでした。

そういえば毎年行っていたお参りに今年お詣りに行ってない!

事を思い出しました。

 

T子さんご家族はご主人のご実家を手放して引っ越しをしました。

手放したご実家の土地では周囲も

お稲荷様を祀っているお宅も多かったのですが、

しかし時代と共に敷地にあった外宮も無くされて、

のかわり毎年きちんと本社へお詣りしましょうという話しをしていました。

それが今年はいけないまま忘れていたのでした。

T子さんがだんだん落ちこんできていた理由なのです。

 

ようやく思い出して参拝に出かけたT子さん、

早速ご本殿でお詣りして、気持ちが晴れてきて

落ちこんで下を見ていた気持ちも

首も上に上がってきたのには自分でも驚いたそうです。

 

いくつもあるお社の中に自分の右肩にみえたのと同じ

姿をした白狐のお社がありました。

 

今回はご祈祷も受けて、これからは忘れないように

年一度は参拝に来なければと思い帰路についたのです。

 

※ご先祖代々家の氏神様として恩恵を受けてきた神様を

形は違うかもしれませんが大切にしていくことが必要なこともあります。

 

 

 

自分だけの位置

 

たいしたことないとか、なんでもない立場に生きていると感じて悩んで、

 

人生をつまらないと考えてばかりいると、

 

他の人の生き方の良いところにばかりが気になってしまいます。

 

自分がつまらなくなると他人と比べて、

 

羨んでしまったりすることにもなってしまいます。

 

素晴らしく見える人も、もしかしたら心が満たされなくて

 

人知れずに悩んでいたりすることもあるかもしれないのです。

 

自分の生きる位置は自分にしか守れないことを大事にしていかな

 

ければ、満たされていくことはないのです。

 

他の誰もが自分の身代わりにはなれないし、

 

魂と霊体が個性を持った窮屈な体にいて

 

どんな人生を過ごすかもそれぞれに違いますが、

 

どんなに比較しても他人の人生は変わることが出来ないです。

 

自分の良き個性にしあわせを見つけ出せるのも心次第ですが、

 

羨んだ気持ちで他人をみていると

 

いつまでも自分のいる位置に満足が出来ないことになってしまいます。

 

ライバルがいるから苦労も出来たというのは羨む気持ちとは異なり、

 

生き方の目標を持った進み方にもなります。

 

他人と比べて苦しむ時間は自分をいじめているにしかすぎません。

 

守護霊もご自分自身の魂は苦しむことを望んではいません。

 

目に見えるもの価値観の基準で焦り過ぎないように。

 

自分の生きるペース、

 

自分にしか生きられない人生の位置を大切にしてください。

 

里山、山神 土地神、守り

 

最近は里山田舎暮らしにあこがれている人も多くなってきました。

実際に里山暮らしの為に都会から地方に引っ越していかれたご家族もいます。

 

そのご家族は地方の暮らしにも馴染むのが早く、

お仕事は会社までは車で一時間弱かかりますが、

ご主人は休日は自宅で家族用の畑仕事をする事が楽しみで

「大変だけど自然を感じられて力をもらっている気がしている」そうです。

 

ただしばらくすると畑仕事をしていると

となく誰かの声がするように感じるようになった。

 

誰かに声をかけられているような気配がして

振り返ってみても誰もいない・・・・・

そんなことが何度か続き、あるとき一緒に畑仕事をしていた奥さんに

「いま誰かの声がしなかった?」と聞いても

「いいえ別に、私は何も話していなかったし誰の声も聞こえなかったけれど」

と言われたり、そういうことが何度か続いたのです。

 

お話を伺っていると、声無き声の存在は悪い感じもしない、

けれども何を言いたいのかを思ったときに「山に来い」

という声なき声で伝わってきました。

 

霊的な姿は白髪の老人のようで毅然とした姿が出てきます。

山と土地の守りのようです。

 

「とにかく一度家の裏手側の一番近くの山へいかれてください祠があるはずです」とお伝えしましたら、

「そこにはまだ行ってないですが、小さな神社の祠がある」という話を

地元の人から聞いていたそうです。

 

山とこの土地を守る、昔からの山の土地神がいますから

一度ご挨拶にいって、お供えをして

お参りをしてくるようにお伝えしました。

山も土地も守る為の神霊もいるのです。

 

実際このご主人はお参りに出かけて、

お供えのお酒をもっていくと

その山で声がはっきり聞こえてきたそうです

「やっときたか。よーくきたな」と聞こえてきたのと、

「大切に暮らし土地を大事にすることを見守っているぞ!」

という気持ちも伝わってきたそうです。

 

里山も古くから何代も大切に暮らしてきたところを、

守ろうとする意識も強く残っていることもすくなくありません

新しいところへいったら、

まずは氏神様からお参りをして住まい始めていくことも、

新たに住む土地の縁とつながり

過去の歴史への崇敬の念をもって

大切に住まうことの意味でもありますから

ご縁をいただいた土地の神様も大切に。

 

※写真は本文とは関係ありません

空回り

 

別のことを考えながら話を聞くから頭に入らない

自分否定をしすぎて常に畏れをいだいてしまう

誰かに叱責を受けるか、期待をされていないのではないか

苦と生

身に起こるすべてのことが陰(ネガティブ)の気に覆われたように、

暗い森の中に心魂を閉じ込めてしまうような・・・・・

 

陽(ポジティブ)を閉じ込めているのは何のせいか? 

おそらく「自分のせいだ」と答えてしまうかもしれません。

「すべて自分が悪いのだろう」と片付けてしまうとしたら、

その考え方そのものが人の意識に入り込んだ霊的存在の可能性もあります。

 

自分がすべて悪いのだという理由で

あきらめようとする意識を持たないように。

生きるという人生を獲得してきたからには

自然に先に進んでいこうとすることが出来るはずなのです。

 

コロナ禍で落ち込みやすいときでもありますから

確かに日々の出来事の中に原因やきっかけはあったにしても、

人生がやるせないほど生き方に「苦」だけを見出してしまう

そんなことが続いてしまうのは

霊的な影響で気持ちが前進できないこともあります。

 

生まれて生きて、自分自身の意識だけではなく霊たちの

意識を伴って往往にしてその霊の意識に

心が左右されてしまこともあります。

動かされないように

 

助けられたり助けたり ご縁

いくつもの過去世を生き抜いて

 

愛別離苦も経験されて

 

さらに強くより穏やかに

 

魂はいくつもの試練を越えて

 

たどり続けて光を受けて見つけた世界

 

日々の出来事に

 

自分を責めることなく 心を傷つけないように守り

 

常に目に見えるものばかりにとらわれ過ぎず

 

過去からのつながり

 

あるがゆえの今の人生たいせつに

 

助けられたり    助けたり   もご縁です

 

 

出会うこと 思うこと

良きことが自分の周りに集まる人は

心が後ろ向きにはなっていないときです。

良くない出来事ばかりだと

どうしてもあれがいけなかったからだ、

過去の後ろを振り返ってばかりになりやすく、

 

自分は今日もダメな一日だと思うと

本当にダメな一日となってしまうことが多く、

たとえ誉められても

「ダメな自分がどうして誉められるのか、

どうせお世辞かからかわれているんだ」

と捉えてしまうことになります。

 

苦しいこと探しで一日が

終わってしまうことがあるのなら、

自分の心の置き所をお参りに出かけるなどして

神仏にゆだねることも大切です。

 

見えるところだけで生きているわけではありません。

自分の心の中だってすべてみえるわけではありません。

けれどもその自分が鮮明に自分の良いところ、

他人の良いところを見つけ出さないことには

人生苦しみ探しの旅になってしまいます。

 

怖いと思っているとすべてがそのように見えてしまう心の不思議。

犬が大好きな人はどこに行っても犬に出会い

猫が好きな人はどこに行っても出会うことが多い。

 

物事はどこにもあるものに、

どの気持ちがあるかで

「出会うか、出会わないか、出会っても気づかないか」

になってしまいます。

 

良き流れに出会えることは

霊的な影響次第でも変わります。

そして大事なことは自分自身の気持ちが

マイナスを呼び込むほど落ち込む前に

見えない力に頼りゆだねることを奢らずに忘れないこと。

よき日々でありますように。

 

霊的に惑わされる

霊感や感受性の強い人は社会や生活上の悩み事や、

嫌なことでも相手と自分の性格の合わなさに

戸惑いやもめごとに悩まされながら、

時には我慢しながらバランスをとろうと頑張っていますが、

 

霊的な感覚の強すぎる人の場合に

相手の性格や霊的な憑きものの違和感を

肌身に受けやすくなってしまうこともあります。

 

特に体が疲れすぎたり、神経を使いすぎたり

コントロールしづらくなるほど疲弊してしまうと

冷静さを見失いがちにもなることがあります。

 

もちろん霊的なことも無視できませんが、

肉体的精神的に対処を先に考えなければならないときもあります。

しんどい相手でも押さえる心の力が強いときには、

それ以上には心の中には浸透してくることはできませんが、

 

自分が弱ってしまったときには

今までは相手と自分と対等に接することができていたのに、

自分自身の心が何らかの理由で落ち込んでいくなど、

相手の霊的な憑きものが何十倍にも大きく感じられてしまうこともあります。

 

また人が悪心を持つと、悪意を持つ憑きものは我が意を得たりと近づき、

人の心の隙間に入り込んでくることがあります

入り込まれて押し出そうとする力が弱く

悪心ばかりが強いときには

人も霊も深みにはまりこんでしまうことにもなりかねません。

肉体的にもエネルギーを使います。

 

落ち着いたスペースで瞑想深呼吸をしたり、

柏手を叩いて波長を切り替えることも大切にしてください。

 

夢の一つに入浴やトイレで排泄をしている夢というのもあります。

 

夢から覚めても、

排泄している夢の中の自分が

恥ずかしいような気がする方もいるかもしれません。

 

けれどもこの夢は霊的なことを現していますし

浄化されている夢ですから心配しなくて大丈夫です。

神社にお参りにいったり、

先祖のお墓を訪ねたりしただけでも浄化の夢をみることもあります。

夢はスピリチュアルなメッセージです。

 

特に浄化を表している場合

そのメッセージを排泄などで現わされたときには

霊的な浄化でもあり、わかりやすいメッセージのひとつでもあります。

 

 

いつまでも過去のできごとに心が引きずられないように

 

感性がつよくて霊的な影響を受けやすい方の中でも、

 

非常に自分の過去の出来事から思いが抜け出せないかたもいます。

 

あのときこうしなければこうならなかった・・・・

 

それを考えても自分の判断と決断を

 

いつまでも責めてしまってなにも完結できないままで苦しんでしまいます。

 

必要なのはだからこれからどうするべきなのか

 

自分を責めない

 

人を責めない

 

過去を責めない

 

過去にたたずまない

 

今から未来へ

 

進むべき方向を見つめること

 

心も同じ

 

自分の心に引きずられないように

心に悔やまれて残る反省は自分を苦しめるばかりです

*ご本人の承諾を得て掲載しています

過去の出来事がいつまでも心に残ることもあります。

ただしどこまで過去に縛られてしまうのか、

人を恨まずに自分ができなかったことを悔やんだり

長い間責め続けていても、

自分を責め続けていることになって、

いつまでもその意識から抜け出せずに引きずってしまいます。

60代の主婦Aさんは、お仕事も辞めて10年前に

ご主人の母親(義母さん)が病気もあったので

ご自分たちのお家で同居することになりました。

食事のお世話もカロリー計算も必要な義母さんに、

Aさんは毎日一生懸命に介護されていたのですが、

もともと口の達者な義母さんは、

ことごとく食事のこと、

やることなすことに小言を言われたり、

息子であるご主人にはやさしく接しても、

いちばん世話をしているAさんにはいつも厳しい。

 

数年がんばったある日、

Aさんはもう自分では介護できないことをご主人に話したところ、

これまでの状況を見てきたご主人も理解してくれて、

施設に入ってもらうことにしました。

それでも施設に入ってもご主人が面会に行くと、

そこでもAさんへの恨み言が義母さんが言っているようで、

Aさんには面会に行かない方が良いと言ってくれたのです。

ご主人の他のご姉弟たちにも

Aさんのことを悪くしか話さなかったそうです。
3年ほどして義母さんは亡くなり、

義母さんのお位牌やご供養はAさんご夫婦のお家ですることになり、

さんは毎日お花お線香、お供えを欠かすことなくされていますが、

それでもAさんは自分がもっと義母さんにやってあげれば良かった。

なぜ追い出すように施設に入れてしまったのか、

もっとこう仕上げたらああしてあげたら良かったのではないか、

どうしてできなかったのだろう・・・などなど
苦しい反省ばかりでAさんは苦しんでご自分ばかりを責めていました。

確かに義母さんにとって息子のお嫁さんであるAさんのことが、

初めから気に入らなかった感もあります。
嫁姑というものはなかなかむずかしいお宅が多いものです。

ただAさんはご自分を責めすぎて、心身ともにまいっていたのと、

何もAさんだけが悪いわけではありませんから、

もっといろんな力や支えや協力が必要だったのです。

Aさんに介護を任せて他の義姉弟は無関心でした。

義母さんはもう霊的な世界にいますから、

生前の気持ちが徐々に薄らいできています。

ですから義母さんが恨んで取り憑いていることもありません。

そういう事もご説明したのですが、
それでもAさん「もっと面倒見れなかったか、

私が小言にガマンできなかったのがいけなかったのではないか・・

私が悪かったのではないか」
そう繰り返しては苦しんでいらっしゃいました。

 

これではご自分をいつまでも縛り付けて
自分でおまえが悪いと鞭でたたいているようなもので

いつまでも心が痛いままです
過去はできる限り心から手放して記憶は残りますが、

執着にならないように、過去は学びです。

やさしいAさんはボランティアもされたり、

ご家族のことも大切にされてきました。

義母さんのことは、お寺で護摩木でご供養をしていただき

Aさんの思いを込めて、

これで義母さんと心の仲直りをしていただくように

参拝していただくことにしました。

 

「一つ区切りをつけることで気持ちが解放されたようです」とおっしゃっていました。

Aさんはがんばって日々を前向きに過ごされています。

生きると言うことは、乗り越える問題が次々とありますが、

どう思いどう乗り越えていけるか、

乗り越えた後に思い残しがないように

できる限り一生懸命になさって来たのですから

苦しみ過ぎないように 

良き日々でありますように