大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)  <東京都府中市>

夏至もすぎて、もうすぐ今年も夏越しの大祓いの時期になってまいりました。

大国魂神社

ご祭神

<大国魂大神>出雲の大国主神とご同神

景行天皇の時代41年(111)5月5日、

武蔵国の護り神として大国魂神を祀ったのが始まりとされていますから

歴史は1900年以上の古社です。

平安時代には武蔵国の総社でもありました。

平安末期には著名な六か所の神社を合祀して「武蔵六所宮」と呼ばれるようになりました。

 

武士の戦勝祈願の話も多く残っています。

毎年5月の例大祭、くらやみ祭りが有名でたくさんの観光客で賑わいます。

夏越の大祓いは30日です。

早々と茅の輪くぐりをさせていただきました。

アクセス  京王線府中駅
JR武蔵野線・南部線府中本町駅より 各徒歩5分

府中市宮町3-1
TEL 042-362-2130
HP http://www.ookunitamajinja.or.jp/ 
縁結びの神様としても広く知られています

金縛り

夜中に寝ていて金縛りに会うことは

 

疲れているために、じゅうぶんな呼吸ができないために脳からの指令で、

 

その現象を怖いお化けが押さえつけていると脳が見せてくる、

 

金縛り現象を起こすのだとも言われます。

 

確かに金縛りに合うということは緊張状態でもあります。

 

それも一理あるでしょうが、しかし何人かの人が、

 

同じ場所で同じもの(同じ姿のお化け)に金縛りに合うというケースはどうで

しょうか。

金縛りにあったときに同じ霊的な姿をみたり声を聞くこともあります。

 

感受性が強い方は経験されたこともあるかもしれませんが、

 

寝ていなくても急激に周囲の空間の「気」が変わりだして、

 

瞬間的に首や体が縛り付けられた感覚が金縛りです。

 

私も寝ていなくてもその状態になることもありました。

 

金縛りはときには先に悪寒がして、恐怖感もあるかもしれませんが、

 

身動きもとりづらいでしょうが、もし頻繁に金縛りに合うなら、

 

金縛りを感じた時点で心の中か眉間の間に、明るい光をイメージしてくださ

い。

どちらかに浮かべた光のイメージ一点に気持ちを集中させて、

 

意識を霊的に運ばれないようにします。

 

できるなら息を吐きすことに意識を向けて、

恐怖をとらえるよりも光のイメージに集中したほうが金縛りがとけやすくなります。

 

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誰もいないのに誰かがいる気配

人の視線が気になったり、誰もいないのに

自分のそばに誰かがいるような感覚がする人もいるかもしれません。

私は10代の頃が一番そういうことが多かったのです。

現実に誰かがいるわけでもないのに、

自分の後ろに誰かがいるような感覚に悩まされていたこともありました。

歩きながら何度も後ろを振り向いてみるけれどもちろん誰もいないのです。

自宅でも誰かがいるようで振り向いたり・・・気配なのです

時には白い影や黒い影が見えたり・・・

多感な時期ですから感受性が強くなり霊的にも不安定になり過ぎたのでしょうが、

一時期他人の目を見ることが怖いと感じたこともありました。

何かが映し出されてくるような、霊的な何とも説明しがたい感覚でした。

そういうときにはお参りに出かけたり、

ご祈祷を受けたりそのときどきで対処して行きながら

おさまってくることもできました。

人それぞれですが、落ち着く音楽で安定する事もあります。

浄霊することでおさまる事もあります。

不安は不安を呼んでしまわないように。

 

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  真清田神社(ますみだ神社) 

  真清田神社(ますみだ神社)     愛知県一宮市  真清田

 ご祭神

天火明命(あまのほあかりのみこと)  天照大御神の孫神

 鎮座は、社伝によれば神武天皇33年(紀元前)

この地域はいまは繊維の街で有名ですが、昔は木曽川の灌漑用水による水田地

帯として、清く澄んだ水によって水田を形成していたため、

真清田(ますみだ)と名付けられたといわれているそうです

 

手水舎のところにかかれていますが、平安時代の昔に

弘法大師が雨乞いを祈願した際、

ご祭神が八頭八尾の大きな龍に乗って現れ雨を降らせたといういわれのある

真清田神社。真清田の森に棲む水神さま。

 

ご神水をいただけるのでうれしいですね。(きれいな井戸水)

右には重軽石があります。

軽いと感じたら願い事が叶う!

私はちょっと重いけれど持てる!大丈夫!(笑)

町中にある神社ですが、境内も広く眺めているだけでも気持ちがよいところです。

境内のカラスや鳩ものんびり歩いていたり人を怖がらずに穏やかなところです。

山の気 水の気がよい神社です。

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http://www.masumida.or.jp/

名鉄一宮から徒歩10分ほど

人生の選択・天命

人それぞれ人格も個性も異なるように天命があるものです。天命は神様だけが決めたというものでもないと思います。そこには自分という存在が加わって始めて成り立つのです。

天命だからこの不幸はこのままだと諦めるものでもなくて、同じ不幸でも、落ちこんでいるのと、笑い飛ばしていこうとするのとでは気持ちの変化がおこります。

落ちこんでいるとドンドン下降していき、もし水の中にいたなら溺れてしまうかもしれません・・・・・・・・。

笑い飛ばせる心境になれないにしても、上を見上げて沈まない用心をすることか、泳ぎつける岸を探そうとすることで選択肢が変わって行くことができ、運命が好転していくことにつながります。

与えられたと言うより、むしろ自分の魂が望んでこの人生を得ている中で、分相応という言葉があるように、 

「身の程」を知る自分を見極めていかなければならなりません。

それなら好きなことをやりたい放題にしてもいいのかな?ということもありえますが、どうしても自分が生涯をかけてもトライしていきたいのならそれも生き方です。

天命の話に戻りますと、自分以外の人の天命を羨んでもキリがなく、

どうして自分の運命はこうなんだろうと、またまた考え込んでしまいます。

自分にしか出来ないこと、自分だから楽しく思えることを日常の中でも見出して、天命という花が花開くか、少し開くか、それともつぼみのままか、

それぞれ左右されるのではないでしょうか。

私は学生の頃にアルバイトをしていた喫茶店で、そこの経営者ご夫婦が、がお店と家庭のお仕事を目のまわるような忙しさで仕事をこなしていたので、

「すごいですね~」と言うと「これが小さいけれどね、私の天命だと思っているし、楽しいのよ!」と言われたのを思い出します。

「一度に10人くらいお客さんが来ても焦らず順番に応対して行けばいいのよ、1人も10人も同じこと」 と話されたことがありました。

なるほど人生もそのとおりで、自分を悩ませる問題が天命で、どのように対応していくことができるか、また何も対応せずに溜め込んでしまうかでは大違いです。

与えられた環境の中でどのように生きて過ごすか、環境を打ち破るためにはどうすべきか、次にはどこに進もうかと考えていくことも選択肢がドンドン変化します。「生まれて生きて」がすなわち天命そのものなのです。

「自分にしか」つくれない人生は霊的な心の成長でもあり誰にも取って代わることができない大切な生涯です。

 

決断迷う

買い物にいってもすごく悩んで買わずに帰ったり、予定とまったく違うものを買ってしまったり、優柔不断なことは起こります。

それがましてや車や家の購入となれば考えあぐねてしまうことも多いと思います。

どうして自分はすぐに決められないのか、決めたのにもかかかわらすあっちがよかったかもしれないと振り返ってしまうこともあるものです。

何かにつけていつもこだわりをもって決め手も、やっぱりあっちがよかったかもしれない・・・気持ちがいったりきたり

自分の心がフラフラしているから決断できないと心配されるより、より良くするために悩むということ、それでも決断できなければしばらく保留にするか人に相談することです。

欲深い発想からの迷いでなければ、ご自分が使いやすくてより良くなるために考えすぎてしまうのですから、追いつめて考えすぎないように。

 

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ご先祖のお墓を知らない

若い人がお墓参りをした事がないということがあります。

ご両親とも実家から出てきているのと、

実家には連れて行ってもらったことがあっても

お墓参りはしたことがないという方もおられるのではないでしょうか。

ご両親もご先祖のお墓参りには無関心だったりすると、

ご自分のお子さんに先祖のお墓を教えることもできなくなります。

子供さんにとって、ご両親は一番身近な身内です。

そしてそのご両親がいるのは

そのまた祖父母さんがいらっしゃるということでもあり、

そのまた昔の祖父母さん・・・・がいらしたことで

今の自分たちが代々受け継がれてここにいるという意味。

守られてきたということも大事に。

一人で生まれてきたんではないということや

つながりを教えていかれるためにも、

ご先祖のお墓参りも大事に教えて差し上げてください。

見えない世界も大切に

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自分の所有者は自分自身

自分という存在は当たり前ですが、自分でなければなりません。

けれども誰かに、もしくは流行ごとや他人の言動に大きく影響されてしまう場合もあるかもしれません。

良い影響ならば何の問題も無いのですが、信頼をよせている人からの頼みごとが断れないとか、

ときには命令されるように買い物に付き合わされたり、まるで雇われているかのように人の言うことをきいてしまう。はっきりと断れないことが問題です。

しばらく行くことができないことを伝えても相手から何度も言われると断れない・・・・。

いつも相手が自分の周囲に相手がいるような感覚になってしまい、生き霊のようにいつも感じるなど。

相手の念を感じとってしまったり、身動きがとれないという意識が呪縛のように気持ちの中に絡みつき、自分でも気づかないうちに、自身の気持ちのコントロールをゆだねてしまったことに問題があるかもしれません。

時間をかけて自の自信を取り戻していかなければならない場合もあります。

自分という存在は自分自身が考え動かす、しっかりした心のコントローラーをもっていることが大事です。

ご自分の意識のコントロールは自分自身が所有者でなくてはならないですし、人に生きることを支配されてしまうといつまでもしあわせを見つけ出せなくなってしまいます。

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変化を信じて、自分を信じて

悩みをかかえて、苦しくて苦しくどうしようもないことがたくさんあります。人間関係、病気のこと、恋愛、学校、仕事、金銭問題、もめごとなどなど理由をあげたらきりがないですが、

苦しいときは「こんな苦しみがいつまで続くのか」、まだまだ果てしなく続く長い長い道のりで苦しみが自分に襲いかかっているように感じられ、いつまでも解決などできないような思いに駆られたりします。

かかえた問題をご自分自身に問いかけていかれる人は、よきアドバイスを周囲から得ることもあるでしょうし、気持ちを常に開いていけるのではないでしょうか。

ともすると心を閉じ込めて考え悩みがちにもなってしまうものです。霊的な感受性の強い人はとくに心の痛みがなおさらに伝わりやすいかもしれません。

苦しみの果てに、ご自分の「心の姿」が現れてくることに気がつくことでしょう。

そして自分を信じられるのは、絶対的に自分であることではないでしょうか。

心は常に変化しています。

 

魂が違うような異質感

心の底から霊的叫びとも言えるほどに、湧き上がってくる異質感を感じて人が苦手で仕方のない人もいます・・・・・・・・・。

自分が悪いのかも知れないと思って、人と話も合わせていくように努力し、仕事も休まずに続けていても、どうしても張り詰めてくる感情のつらさがつきまとい、自分の異質感を感じるということもあるかもしれません。

自分がそう思っているだけなのか、職場でも特にイジめられたわけでもない。

ましてや自分でやりたいと思ったことをしても何も楽しくない。

霊的に視ると異質感を感じるのは、ご自分の心の置き場所が不安定なのです。

しっかり仕事をこなしても、生きることには前向きに体を向けても、意識や心が追いつかないこともあります。

「霊的な意識の影響(霊)」を受けていることが大きな要因であることもあります。霊というのは意識ですから、人の気持ちの中に存在してくる場合もあります。

このケースのようなときには浄霊していきますが、魂が違うとか、異質感を感じるのは霊的な影響を受けていることもあります。

霊も助けて欲しいために人に憑いてくることもあるのですが、本音はしあわせに導いて欲しいと言う願いが大きいのです。

そして霊的な現象をきっかけに精神世界のことを深く知ることになった人も多いのです。

深くといってもも何か宗教にのめり込むというのではなく、内的な自分という存在は、見えるものではないですから、それこそ 「見逃しがちになりやすいところに意識が向けられ始めるきっかけ」 にもなり、人生に奥行きをもたらしてくれますし、何ごとも表面だけで動かされにくくなるというメリットも常に備えています。

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思うようにはいかない流れの悪さ

ご自分が思うように都合よく物事は運ばない。

人生は予想外のことばかりの連続ではないでしょうか。予想外のことが起きると驚きと戸惑いで立ち往生してしまう事もあります。

人一倍に感受性が強い場合には起こる出来事に対しての反応が傷つきやすく精神的なダメージを受けやすくなってしまうこともあります。

戸惑って止まってしまう。そのため「感情が内向」してしまうような感覚で「喜怒哀楽」が希薄になっていくのです。自分の身のまわりで起こったことが、すべて憂鬱になってくるし、ダメだ!ダメだ!という思いだけが先行してしまいます。

いまの生活が問題ならば、すべてから離れれば良いかというと、自分自身が不安要素をクリアできないことには、精神的に問題解決はされていきませんしすべてから逃げる事になってしまうだけです。

人生の中で予想外のことが起きても、生きるための一部として、受け入れることが大切ですし、例えそれがマイナスなことだとしても、

「でもどうすれば早く解決できるか」答えはその場で出なくても、哀れんで嘆いているよりも、できることから、それこそ目の前の必要なことから一歩ずつ進むことです。

仮に「外へ出るためには、立ち上がって玄関に行って、靴を履いてドアを開けて」という動作が必要なように「いま何ができるか、そして何から始めるか」小さなことから考えるだけです

楽しく感じられないことのもう一つの要因は霊的に背負い込んでしまう事があります。

感受性が強い方は、心の痛みも強く感じたり、気持ちのひずみとドンドン連動してしまい物事の進み(仕事や人間関係など)が非常に悪くなってしまう事もあります。

滞るような流れの悪さのように身動きとりづらいことにもなりやすいのです。

 

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霊動

特に体が悪いわけでもないけれど、体が揺らいでいるように感じて、地震かなと思うようなことも体験されることもあります。自律神経の問題ですといわれて、お薬をいただいて改善されるのなら本当に肉体的な問題で解決されていくことができますが、

それでも改善されないことがあるのは霊動ということが起こってきたときです。

まず霊動と聞かれるとすぐにお化けとか霊の仕業?と思いがちですが、肉体的な自分と霊的(霊体)の自分がバランスを崩したときにおこりやすくなります。

確かに疲労や、精神的な集中力を使いすぎてしまったときもバランスは崩しやすくなるものですが、その深部に位置する自身の霊的な存在=霊体が反応をしてくるという状態です。

通常であれば目の前にマグカップがあったとして、自身の手がマグカップを持ち上げるのは当たり前ですが、霊体が先立ってしまうこともあるのです。

よく守護霊が出てきていると言われたり、憑く霊が動かしているとも言われますが、霊動は自身の霊体の反応が引き起こされていることが多いです。

幽体離脱現象でもこのような感覚で体験する人もいますし、とにかく焦らないで、自身を取り戻す必要がありますから、深呼吸など深い呼吸を心がけて忙しすぎたと感じたときには心身を休ませてあげることも大切です。

肉体としての自分、霊体としてのスピリチュアルな自分両方が同一体でいることが本来のあり方ですが、人としての自分の心が霊体よりも先んじてしまうこともありますからご注意ください。