落ちこんでしまいつらい

落ちこみやすいというのは誰にでも、何かのきっかけであるものです。

 

「自分は落ちこむことなどまったく関係ない!」という人でも、

 

失敗が重なったりショックな出来事が起こったり、ふとしたきっかけが気持ち

 

を落ちこませてしまい、

 

ものごとをマイナスに考えやすくなってしまい「うつ的」になってしまった

 

り。

 

体も心も動きづらく、人との時間のスピードに

 

合わせられないような感覚にもなるのではないでしょうか。

 

いろいろな治療を受けたりされている方もおられるでしょうが、どんな解決法

 

もどれもが正しいのだと思います。

 

そういうことにちょっとだけスピリチュアルなことをとりいれて、と言っても

 

難しいことではなく、

 

ご自身の心身と魂を結びつけている世界に気持ちを向けて考えて、

 

 

こころの置き場をつくっていくことも解決法のひとつでもあります。

 

感性が強い人は、人の内側の気持ちも伝わってしまうこともあるので、

 

内面的に苦しくなってしまいがちにもなるので、

 

神仏を祀る気の流れの整ったところへいかれて、

 

神社仏閣など気持ちもリセットして

 

人生進んでいかれますように

 

 

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「魔界・魔物」について

魔界とか魔物とよばれる世界は、「低級霊」 と混濁してしまいがちですが、

 

簡単に説明してしまうと 「低級霊より、もっと地獄」 なのです。

 

低級霊なら、自分が何者かどうしたいかに関しては、我欲が強いために逆にど

 

うしてよいのかわからずに迷いの世界にいます。

 

低級霊 と違って、「魔物」 の違いは自分はどうしたいのか、なぜここに存

 

在するのかをよく知っています。

 

「低級霊」を操れるほどのパワーがあるのです。

 

むしろ低級霊は単純ですからこの「魔」の力には弱く服従して動かされること

 

もあります。

 

「魔界とか魔物」は説得して言うことを聞くような存在ではないのです。

 

魔には説得は効きません。

 

低級霊はまだ説得が効きますが、「魔」には心がない、怒りと冷酷な恨みや

 

ら、人が知る限りでの「苦が幾重にも無限に合体された世界」が「魔界」とい

 

う存在です。魔物がときどきそこから顔を出すこともあります。戦争に継ぐ

 

も「魔」の力でもあるのです。

 

プラスとマイナス、ブラックホールとホワイトホール、天と地のように、両方

 

の存在が必要なところはありますが、「魔」に出る隙を与えないようにしてい

 

かなければなりません。

 

「魔の世界」はその世界でだけおさまっていくべきなのですが、人の心に入り

 

んで自分たちが操っていこうとする動きも捨てておけません。

 

人の我欲がいけないのか、

 

人の心を占領しようとする魔がいけないのか・・・・・・・・・・。

 

どちらも良い訳がありません。人の慢心は恰好の餌食にもなってしまいます

 

、それに魅入られないようにしていくためには、正しいものと正しくないもの

 

見極めていくこころが働いてくれるだけでいいのです。

 

心が魔を受け入れないためには簡単なことですが空が青くてきれいだとか、澄

 

だ空気が心地良く感じられる自分があるだけで充分です。

 

心が魔を受け入れないためには何の武器も必要としません。

 

 

山の龍神が山から離れてしまった

ご本人の了承を得て掲載しています。

ある地方にお住まいのKさんは、

 

自宅の庭から500メートルほど先に見える山々があり、

 

その山の一つに大きな公園が出来ることになったそうです。

 

当然山の頂上は、木が伐採されてしまうでしょうし、

 

景観も変わってくることがさみしいと感じていたそうです。

 

あと何ヶ月で工事がはじまるという頃だったそうですが、

 

Kさんがいつものように明け方目覚めて雨戸をあけて山を見上げると、

 

 

もうすぐ工事が始まるという山から龍神が飛び立って

 

隣奥の山に飛んでいったのをはっきり見えたそうです。

 

「山の守り神、木の精霊か長い時代守られてきたものが

 

変化してしまうことがさみしいと思いながら、

 

龍神に自然と手を合わせていました」とのお話しでした。

 

自然界の神霊は姿だけでなく、

 

光だったり風だったり雷鳴だったりと多様です。

 

ただ人為的に手が加わり破壊しすぎてしまうと

 

戻らなくなりますから、うまく共存できるように願いたいものです。

 

 

例えば庭づくりでも気の流れを大事にされることも大事だと考えて、

 

お庭をすべてコンクリートで堅めすぎないように。

 

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霊的な影響が強くでやすい人

ご本人の了承を得て掲載しています。

B子さんは霊的な感受性が強いのですが、

 

人の感情にも動かされやすいところもあります。

 

職場でも特に揉めたりしたわけでもないのに、

 

一方的に相手から嫌われたり、昨日まではうまくいっていてもいきなり

 

意見が合わなくなることがありました。

 

新たな仕事に変わっても同僚との相性が合わず精神的にきつくなってしま

 

うとのことで、新たに変わったら、必ずその土地の氏神様にお詣りしてお

 

くようにお伝えしていたのですが、なかなか時間がとれずいけてないとの

 

こと。

 

このような方は霊的にも人の感情もとても受けやすいので浄霊もしていき

 

ますが、折々に神社仏閣へ行かれて気持ちと乱れた波長のリセットも大切

 

です。

 

その後B子さんは早朝の出勤前に氏神様へお詣りされてから 

 

職場に出ると、合わない同僚とのシフト変更をしてもらえたのです。

 

なによりお詣り後に精神的に楽になったそうです。

 

B子さん「自分でも霊的に影響されていることはわかっても気持ちが動か

 

されてしまう時もあります。

 

長年、神社、お寺も好きで参拝してきましたが、

 

参拝して気持ちや波動が変わるのか、

 

無理なお願いでなければ自然に叶うようになってきました。

 

人の感情や霊的に感じてイライラすることもありますが、

 

できるだけ深呼吸して一息つきながら判断するようにしています。

 

は神仏はとても大事な存在だと思っています」とのことでした。

 

長年真摯に受け止めてこられた結果でもあると思います。

 

 

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霊は意識の中に存在します

霊というだけで、怖い顔やお化けを連想することは、多いと思います。常日頃

 

に「霊」をとりあげるとお化けで出るようにあらわされてきたせいでもあるでし

 

ょうが、姿が出てくれば確かに霊だとわかりますし、それこそ体を通り抜けて

 

いくような体験に遭遇したのなら嫌がうえにも納得せざるおえないでしょう。

 

けれど霊といわれている存在は姿そのものが残るというよりも、肉体はすでに

 

ありませんから気持ちが残るのです。

 

例えば、まだ小さなお子さんがいるのに、親がある日突然の病気や事故で命を

 

落としたとしたら、おそらくお子さんのことが心配で心配で思いが残ることに

 

なるでしょうが、けれども体がすでにありませんから、気持ちはあるけれど、

 

実際に抱きしめてあげたりすることはできません。

 

このような場合には、おそらくお子さんを、今後面倒を見て育ててくれる人の

 

意識の一部をかりて子供さんを見守り、ときには気持ちを伝えてこようとする

 

かもしれません。

 

それとはまた違う意味で、亡くなった後も気持ちが残り、人を恨んだり、行き

 

場所さえ迷っている意識世界に入り込んでしまう霊もいます。

 

四面楚歌のような霊的世界で身動きがとれず、自分が何者かも説明できない世

 

界でもがき、肉体も存在しないために人の意識に入り込むこともあります。

 

人間もいつも精神的にベストな状態ばかりではありませんから、ときに落ち込

 

みやマイナス思考や極端なストレス状態になったときに、意識がコネクトして

 

しまうこともあります。自分であって自分ではないような感覚にもとらわれや

 

すくなることも現象の一つです。

 

特にもともと霊感の強い人が体験しやすいのですが、意識に憑いた霊を救うこ

 

とも必要ですが、まずはじめに自分自身が気付いて受け入れること。そして見

 

えない世界に手を差しのべていくことが霊的な解決の糸口になると思います。

 

嫌だと思うことを、受け入れて考えてみると以外とスムーズに悩みの扉が開い

 

てくるときもあるのではないでしょうか。

 

気持ちや考え方を変化させながら乗り越えるごとに、しあわせが「心の中に姿

 

をあらわしてきます。

霊のきもち

霊感というのは霊が視えることや、声が聞こえてしまう現象、

 

感が鋭い人のことを主に霊感が強い人と言われています。

 

霊感が強くて視えてしまうことが当然のできごとと思う人も少なくありません

 

が、感が強すぎてしまうがためにどこに出かけてもいつも霊的なことを感じと

 

ってしまう人もおられます。

 

霊というと嫌な存在ととらえてしまうと解決しにくいもので、むしろどうして

 

霊として残っているのか、どうしたいのか、何かを伝えたいのかなどをコンタ

 

クトしていくことでもっと気持ちが伝わってくることもあります。

 

ある地方の方で、ご実家の所有する山に入ると誰もいないのにもかかわらず、

 

いつも怖くて誰かに見られている感じが強く、

 

それでも山の管理に入るときには必ず木刀を持って、

 

「エイッ」と空を切ることで恐怖心と自分を囲むようにいる気配のする

 

霊たちを追い出そうとしていた方がいます。

 

これでは追い出すよりも気持ちが戦ってしまうことになりますから逆効果でい

 

つまでも浄化できないこともあります。

 

霊でも自分という存在をわかって欲しいこともあります。

 

悔しさや、泣いたり悲しい意識を残しているためにこの世に気持ちが残ってし

 

まっているかもしれません。

 

霊感が強い人の中でも霊の気持ちを理解していくことによって、その霊が「悲

 

しいと言っている、怖がっている、助けて欲しいと伝えてくる、救われたいと

 

思っている」など感覚的なことを次々に振り分けていくことが出来てくると、

 

上手に霊界とコンタクトすることが可能でもあります。

 

ときには霊の気持ちにも心の耳を傾けてみることも方法のひとつです。

 

すべて意味があること

くだらないことをしていて何になるのか、毎日同じことをしてもつまらない、そんなことの繰り返しが自分をつくりあげていく基盤になってくれることに気づかないものです。

 

大きな変化がなければ意味がないと思いがちですが、日々の小さな変化が積み上げていくものは大変なものです。

 

登山に例えると、富士山でもエベレストでもで、一歩ずつ一歩ずつがあってこそ、山も登れるのです。今日の一歩はたくさんの可能性をつなげてくれます。

 

そして身のまわりに起きてくることは、すぐには受け入れられないできごとに巡り合うかも知れないけれど、信じてきた道にはこういう問題とぶつかるためだったと受け入れて、人生に取り込んでいく気持ちが自分を生きることではないでしょうか。

 

人と比べてはいけないといわれても、人がいるのだから仕方ない。

 

ただし、人はそれぞれの人生、自分は自分の人生「もし人をうらやましいと思う」くらい「自分の人生が大変!」ならば、他の人以上にパワフルな魂が自分を支えているからこそ自分にしか乗り切れない、そう思って前進することです。

 

人から自分に対して嫌なことを聞かされても落ちこんでいられない、もし相手の悪口や、言い訳をしても余計に誤解の糸がからまってしまいます。からまり続けてもがき続けないために嫌なことを聞かされても、言う人がおもしろがっていることもあるかもしれません。

 

 「余計なことかもしれないけれど心配して言っている」

陰ながら助けていてくれればいいではないですか。

 「心配して言われたほうは気にしてしまい、傷ついてしまいます」

 

そういうことにも気がついてくることもあるかもです。すべての出来事が「意味あること」です。

 

私の母親が昔、ちょっとしたことで電車にいつも乗る車両よりかなり後の車両に乗ったことで、電車事故で一命を救われたことがありました。

いつも乗る車両だったら、亡くなっていたか、大怪我をしていたかもしれなかったとよく話していましたが、日常でも小さな出来事が、大事から守っていてくれるのではないでしょうか。自身の気力と守りの力が働いていると思います。

 

すべてのことは意味があることでつながっているのではないでしょうか。

よくない出来事が自分にとっては好転していくためのきっかけをもたらしてくることさえあります。

 

あれやこれやと変わり目 転換期

あれこれ考え事をしているうちに、過去の出来事のつまらないことを思い出し

 

ていたり、またそれを思い出したことで次々に思いが巡らされてくることがあ

 

ります。

 

体験した記憶とも違う情景が浮かんでくることや、いつもの場所にいながらど

 

こか違う場所にいる自分を感じとってしまうような現象を体験する人もいま

す。

 

最近は特に見えない世界の急速な進化の動きがありますから、体と霊体とのバ

 

ランスが崩れるように感じられる人もいます。

 

意識が離れた状態にもなりやすく霊界に足を踏み入れたのかも知れないという

 

錯覚をおこすこともあるかもしれません。

 

偶然は必然、思うことが無意識でも現実世界での共通性がつながりを持たらし

 

ていくことが大きく広がりはじめていますから、霊体と肉体の入れ替わりがお

 

こってくることになります。

 

人の体は本来、霊体と魂とつながっています。そしてその魂は肉体をとても必

 

要としています。

 

体が主(あるじ)の時代がチェンジしてきます。自分の霊が主(あるじ)であ

 

ることを感じとられる現象がはじまります。

 

(物質だけが主体でしたから)

 

焦って考える必要はなく、自然体で進んでいきます。

 

コロナ禍自粛で、自分と向き合う時間も増えて心と対話する時間も増えてこれ

 

まであまり気に留めなかったことも気づかされたりすることもあると思います

 

が、意識の上昇する転換期は心と向き合う時を大切に。

霊的ガイド

生まれつき「運」が強いとか弱いとか言われるように、数ある過去世から未来

 

へつながるための経過途中でこの時代に生まれて、宿命の違いはありますが自

 

身の使命(ミッション)を選択してきたのです。

 

その宿命の枠の中の人生を、どのように自分が支え、努力して乗り越えて生

 

き抜いていくのかが生きる意味でもあります。

 

どのような境遇に育つかは異なりますが、似たような境遇の人もいます。

 

それでもその状況に対しての選択肢はそれぞれ異なりますし、

 

どの方向にいくかは心の動きでもあります。

 

そのときに霊的ガイド(守護霊)はこうしたらよいのだということの

 

「意識」のアドバイスはしています。

 

その働きかけに気持ちを動かされ導かれるかどうかは、自身の感性がどの位置

 

にいるのかで受け取り方が微妙に変わってきます。

 

守護というのは必ず引き上げてくれて、強運を授けてくれるという神頼み的

 

な存在ではありません。常に働きかけはしていますが、ご本人が下ばかり見て

 

いるようでは守りにも限界があります。

 

できる努力は惜しむことがないように、後を(過去)振り返る時間をなるべく

 

最小限にしていくことが大切です。

 

そうでなければ守護霊がいくら導こうとしても自分が心を閉ざしていたのでは

 

どうにもならないのです。

 

守護は霊的ガイドとして、あくまでも案内役ですから意識下で必要なアドバ

 

イスはくれますが、決断するのは守護ガイドではなくてご自分自身でなければ

 

ならないのです。

 

例えば朝眠いあなたを駅まで担いでいくことが守護霊の役目ではありません。

 

100メートル走で先に走ってくれることでもありません。

 

後押しをして守ってくれます。

 

けれども気持ちが落ち込んでいるときにも、これ以上傷つくことがないように

 

霊的なあなたを内面の見えない世界から支えていくために守護は働きかけています。

 

そしてしあわせを願って導いています。

徳を積むのもそれぞれに

 

コロナ自粛の前のことですが、混雑しているラッシュ時間帯に新宿駅の構内を

 

歩いていると、先を急ぐ男性が「すみません」の一言もなく人を押しのけて

 

ズンズン先を進んでいきたことがありました。押しのけられた人たちは皆あっ

 

けにとられるほどの勢いでした。

 

そうかと思うと、横のほうの階段から降りてきた背の高い大学生くらいの若い

 

男性が急ぎ足で来たので2、3人の方とぶつかってしまいましたが、見ている

 

とこの学生はきちんと止まり「すみません、ごめんなさい」と一礼してから去

 

っていきました。

 

対称的な出来事でもありましたが、後者のようにきちんと謝られるほうが、ぶ

 

つかられた方も気分がよいのは当然です。

 

人の本質がそのままにあらわれてくるのは究極追い込まれたときにでてくるも

 

のかもしれません。

 

他人を助けたり善い行いをすることを「徳」を積むという言葉がありますが、

 

きちんと謝るべきところで謝れるという何気ないことも徳は積まれてくるもの

 

だと感じます。

 

徳は現金ではないので一円の利益もないかもしれません。

 

けれども天に徳を積んでいくようなことなので、いずれ巡り巡って人から助け

 

が増えたりという運も戻ってくるものです。