代々にわたって何百年も続いてお墓を守られているところは少なくなりました。枝分かれするように分家されていきますからやむを得ませんが、近頃では祖父母のお墓も知りませんという人もいます。
親に連れて行ってもらったことがないから知らないということもあります。
お墓がなければ不幸になるとは思いませんが、せめて祖父母のことくらいはご両親がお子さん方に、お話しをするくらいのことはしないといけません。
事情があるにせよわかる範囲でも、生みの親や先祖のことを次の世代に話をして、だから自分達が生まれてきていることの実感を伝えて、ご存知ならご先祖のお墓参りもご一緒にいかれるべきです。
お墓への認識は変化してはいますから、自分が亡くなってもお墓はいらないという人も増えています。
立派なお墓があれば思いも残さずに成仏できるかというと、それは違います。何もなくても、潔く人生を全うできたのならお墓の「ある、なし」は関係ありません。
それならご先祖のお墓があり、場所もわかっているのならお参りに行かれたほうが良いというのと矛盾している!と思われるかもしれませんが、現在まで守られてきたお墓というのは、それだけご先祖の思いが代々に渡って、大切に継いで守ってこられた意味があるのです。
それは先祖を供養して行かなければいけない思いと、先祖が作った不幸ごと(因縁など)への償いや、霊や魂の世界への心の窓口にもなってきた場所でもあるからです。そこには守り続けてきた先祖の思いが溢れています。
その墓所を継ぐとか継がないの問題ではなく、縁ある家に生まれてきたことにお参りすることは先祖も喜んで迎えてくれます。時代は急に変わるのではなく、過去もできる限り大切にされていくべきではないでしょうか。
もし墓所がわからなくても、ご先祖に思いを馳せることも供養のひとつです。近くのお寺から静かに手を合わせたり、お線香を手向けたりすることでもよいです。
しあわせは物だけでは決して得ることはできませんから。