ご高齢の親御さんの介護をされてきた方は多くいらっしゃると思います。

 

献身的にできる限りの介護をされてこられたと思います。

 

それでもいずれお別れの時は訪れてきます。

ある方はお母様を介護して見送られてしばらくしてから、

 

「お世話をしてきたけれど、それでも長生きをして欲しいという気持ちと、

長患いするなら早くお迎えが来て欲しいという気持ちが

時々交差した時もありました。

 

母親にはたくさんの愛をもらって育ててもらってきたのに、

もちろん積極的に命を奪おうなどとは思ったこともありませんが、

 

介護生活で疲れた時もありましたし、

そのようなことを考えたことがあったのも事実です。

 

それにもっと自分が許せないのは、ようやく母親が旅立ったときも、

それから1,2年で相次いで母の飼っていた犬も猫もやはり高齢で旅立った時も、

私の中で「片づいた」という意識が出ていたことです。

 

もちろん悲しい出来事でさみしくつらいことの中に、

片づいた解放されるという気持ちが

自分の心に出てくるのがつらくてつらくて・・・・・」

と、泣き崩れるほどにそうおっやっていた方がいました。

 

この方はそれこそ献身的に出来る限りの

面倒をみられてきたのですが、介護自体大変なことです。

 

お世話も大変ですが、精神的に愛する相手を看ることは、

感情も平常心ではいられません。

 

それでもきちんと見送られて、 

その後でさえもこれほど心痛めて・・・・

これ以上の供養はないのです。

 

「片づけた」という言葉が心に浮かんだことがおつらいのでしょうが、

片づけたというのを、やっかい者を片づけたわけではありませんから

思ってしまったご自分を責めすぎてしまっていました。

 

亡くなったお母様はとても感謝されておられることをお伝えしました。

悪くとらえないで頑張って生き抜いて、寿命でお別れがきたのです。

 

片付いたと悪く思われるような言葉を言われましたが、

寿命は誰にも止められません。

 

お母様は一生懸命生ききったのですし、この方は介護しきったのです。

 

人は生きている時も日々いろいろな片づけごとをして生きているのですから、

物として粗末に扱ったわけでもないことには傷つく必要はありません。

 

一生懸命にできること少しずつ、

人生はよき片づけごとのくりかえし大切に大切に。

 

お母様の霊も、愛犬、愛猫の霊もとても穏やかな姿と波長をくれました。

感謝されて愛情に満ちた波長です。

 

寒川神社

 

投稿者 dimension-shin