結婚すると守護霊も変わってきます

女性の場合は結婚されると

ご主人の姓に変わる方が多いですが

姓を変わられるということは、

守護もご主人のお家のご先祖や

ご縁に変わってくることでもあります。

いままで守ってくれていた守護はいなくなるのではなく、

一歩引いたところで見守ってくれる存在でもありますが、

あらたなお家の影響は大きいです。

性格が変わったように明るくなる方もいます。

またそれとは反対のケースもあります。

結婚だけではありませんが、

人生の流れは常に流動しています。

 

 

 

いつも心配ばかり

悩みを抱えていた問題が解決されて楽になったときに、

「ほっと」して喜んでいいはずが、

また次の心配を想像してしまい、

まだ起こってもいないことに頭を抱えてしまっても

どうしようもありません。

常によい想像よりも悪い想像ばかりしていると、

人生が楽しくない方向に行ってしまいます。

自分が思う方向へと人生は進みます。

(ただし法外な欲ばりではないこと)

人のために何が出来るかを大切にされたらよいです。

心持ちだけでも

小さなことでも

チャリティでも

募金でも

ボランティアでも

仕事でも

悪循環を変えていくことが大事です。

 

 

 

感受性が強すぎて

霊的な感受性が強い方の中には、

体に痛みを感じられる方もまれにいらっしゃいます。

薬を飲んだり

病院に行ったり

漢方薬を飲んだり

おまいりされたり

浄霊したり

そのときどきで一時的にはよくなっても

感受性が強いときには体に説明しがたい痛みが出る。

すべてが対処療法でしかないかもしれませんが、

ご自身の体質を理解した上で、

いまは何が必要かを考えて

必要な対処で(薬なのか、お参りなのか)

上手につきあっていかれることが必要です。

ある方はご自分がとても落ち着くというお寺のご仏像をみて

しばらく眺めているととても楽になるという方もいます。

心身のバランスを保てる事に出会えますように。

 

 

魂の違いを感じることもあるかもしれません

人を好きになったときに人間的は大好きだけれど、魂は好きになれない・・

反対に魂は好きだけれど人間性が好きになれない・・

交際している相手の人をとても好きで、

趣味も合うし、同じことに興味も持つことが出来る。

けれども

どうしても『魂がちがう』と言う感覚と寂しさを感じたりする虚しさ

仲の良いご家族の中にいても、ご自分だけ孤独になってしまうかもしれない。

私自身そういう感覚に悩んでいた時期もありました。

ソウルメイトなど魂の合う人もいますが,

感性が強い方は魂の違いを感じることは多いかもしれません。

現世ではいろいろな魂が生まれてきています。

同じ魂の世界だけでは心地よいところにばかりいて、

変化も学びも起こりづらいですから、現世でまるで異業種の魂と出会って交流し

切磋琢磨してお互いに育っていくことになります。

すべての価値観が同じではないことも、考えさせられるので新たなよき変化と成長でもあります。日々大切に

お魚と甘いものが大好きだった母親

先日は母の日でしたが、私の母はもう30年も前に亡くなっております。

ですから母の日に何かをプレゼントをすることもできないのですが、そんなことを思って

いましたら、昔のことを思い出しました。

母が亡くなって49日のときに、母の親しい友人がいらしてくださって「先週お母さんの

夢を見てね。家にきて大好きなお魚を食べたい。煮魚が良いって私のところへきたわよ。

だから翌日お魚を煮てテーブルにお供えしておいたわよ」と言ってくれたのです。

その親しい母の友人は、お料理屋さんを営んでいて、お料理はプロですから、おいしい煮

魚を食べたくて一度でしたが夢で現れたのでした。

 

また一周忌の前くらいに、私が異常に甘いものが食べたくて仕方ないのです。

それも自分ではいつも食べたいとは思わないはずの「おはぎ」がすごく食べたいのです。食べたくて仕方ない

 

いつもならケーキのほうが好きでしたから、そこではっと!気がついて、おはぎは母の

大好きな食べものでした。おはぎとか羊羹とか無類の和菓子好きだったのです。

忙しさもあってお供えもできていませんでした。

お供えもして、それに人に食べていただくことが好きでしたから。

時折いらしてくださる母の友人たちにもご一緒に召し上がっていただいたりして

それからはそういうこともなくなりましたが母の日にそんなことも思い出しました。

いくつになっても母親はよく思い出します。

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行き止まりの繰り返し

順風満帆な人生はなかなかありません。満足いく人生を歩んでいるつもりでも、ある日突然に、夢も希望も潰されるような自体が起こったり、自らがやっていることに魅力を感じなくなることさえあります。

それらが霊的かと言えばもちろん組み込まれた試練かもしれません。

 

人はご自分の人生を受けて生まれてきた以上は、自分とつながりの深い意識に動かされ、表面的には理不尽とも思えることに見舞われることもあります。

苦労と喜びの行き交うような人生が「結果を考えると、魂の大きな成長にもなるのです」

でもそれはいろいろ落ちついていかないと気づけないことでもあります。

 

「大変な経験をしたけれど、大きな人生勉強になってよかった!」などと思えるのは・・・・・。

生きる方向性の「壁」にぶつかったら、身動きできずに止まってしまったり、とりあえず右か左か後ろにちょっと戻ってみるか、勢いがある人は無理やりに壁を押してみるか、立ち往生してしまうか、進み方もそれぞれです。

 

人生あみだくじではないですが、いい加減な意味ではなく、壁にぶつかったらどの方向に行くべきかを、柔軟に考え、同じあやまちをしないために次のしあわせを見つけるためにも次の流れを見出していかなければなりませんが、

疲れ切ってしまうと良き流れや波動が悪くなってしまうのです。

ご自分なりのリフレッシュをしながら次に進むことも大切です

キーンという音の霊聴

霊聴の中でいくつかの種類があります。

 

・複数の音がザワついて聴こえている感じ

霊的な存在を感じたときや、気の流れの悪い場所に出かけたときに体験する事があります。

不快感を伴なうようなザワつきなら、お部屋にお香を焚いたり、お塩を部屋の隅に小さなお皿に少し盛って清めていくか、神社仏閣にお参りをして「気」を変えていくことが必要です

 

・頭の中で花火がはじけるような音がする

何とも言いあらわしようがない音ですが、花火のようにはじけるような音の場合は自分自身の霊的な動きや目覚めの途中に起こることもあります。精神的な部分である「心」と対話することが大切な時期でもあります。

 

・キーンという高周波の音が聴こえる感じ

キーンという音は気分の悪い音では無いことが多いですから、高次元の意識とのつな

がりでもあるのです。高次元のすごい神様というのではなく、自身の中にある意識の高さがより洗練されているような状態で、精神的にも高まってきている事を伝えています。

 

・人の声が聴こえてくるようなもの

いわゆる「霊現象」ですが、まず自身の気持ちを持っていかれないように、神社でも自然の多い場所でも出かけて自身を整えて行くことが必要です。自然浄化されることもあります。

 

・あきらかに後でバチッっという音がする

ラップ現象といわれるものですが、一時的であれば心配はありません。霊が物質をたまたま通り抜けていくこともあります。つづいて起こるときには原因を突き止めていかなければなりませんが、土地にかかわることが多い現象でもあります。

過敏な方は違和感のある場所にいかれると、他の方は何んともないのにご自分だけ一瞬耳がふさがれたような感覚になることも経験されたかもしれません。

それでも一時的で治ってしまうから病気ではないし、周りにはなかなかいえない現象でもあったりします。

霊聴 ・何故だか邪魔が入ると思うとき

普通に生活している様子でも人に言えないで霊現象に悩まされて、目に見えない世界ですから伝えようがなく深く悩んでしまうこともあるかもしれません。

耳元や頭の中で囁かれるような声が聴こえてきたり、はっきりとした声で自分が思うこととはまったく違うことを話してくるような霊現象の一つを霊聴といいます。

この感性は一つの能力でもありますが、止めることを考えるより一体何者の声が聴こえているのか、自分の気持ちがそういう霊を呼び込んでしまうのか否か、呼び込まないにしても人の弱い意識に入り込んで話しかけてくる霊もあります。

 

それをどのようにして切り離していくのか、浄霊ですぐにとれていくこともありますが、ご本人の気持ちの不安がまた似たような霊を呼び寄せてしまう場合もあるのです。

 

切り離す事に重視するよりも、まず霊聴が起きていることを否定するのではなく、受け入れて「霊聴」と「自分」との存在を区別していかなければなりません。

 

話しかけてくる霊と、自分の意思との違いを明確に一つずつ判断区別していくこともまず大事なことです。

 

そして自分の意思でない霊聴に関しては、心の中で「それは私自身ではない」「次元の高い霊は勝手なことを言わない」「私は言うとおりにはならない!」と言うように、毅然とした反発も必要です。

 

何故だか邪魔が入ると思うとき

スーパーで買い物をして、カゴに入れようと手を伸ばしたとき、瞬間的に他の買い物客が「さっと!」横から手を伸ばして取ろうとした品物を先に買われたり、電車の切符を買おうとしたときに、

 

さっと横から来て先を越されたり、何度も人にぶつかってばかりいる日や、行くところ行くところに同じような人を目にしたり、さまざまな場面でそのような経験を持つこともあるのではないでしょうか。

気持ちがフラフラしているだけとは限りません。

 

しかし誰でも気持ちが一定で、常に安定している訳ではありません。

一瞬の油断とか隙があるのは当然です。しっかりしていても何故かこのように遮られるような状態ばかりに遭遇してしまうこともあります。

 

特に感受性や霊感の強い人は、その隙をつかれるようなことに対して、とても「ダメージ」を受けやすいことがあります。

そして霊的なものが介入していると、信じられないほどの速さで誰もいなかったはずのところに走ってでもやってくるような現象さえ起こります。

精神的に落ちこんでしまい、なぜいつもそうなるのか? 見えない苛立ちに襲われたりすることもあるでしょう。

 

その気持ちのままに感情をどこかにぶつけても、さらにエスカレートして苛立ちだけが募ってしまいます。

取り込まれないように、なるべく気持ちを集中させて、そして自らの性格性質を上手にコントロールすることです。

家で5分でも瞑想をしたり、もし激しい落ち込みや苛立ち感が起こるのなら、ほんの少しどこかで休んで心(胸に)片手をあてて深呼吸を何度かすることでも少し落ち着きがでます。「気持ち」をよそにもっていかれないように、少しの休息は精神的な栄養剤にもなってくれます。

 

反面良いことの共時性もあることを忘れずに、よき思いはよき事柄につながっていくことができます。

ご自分を守る方法をいくつもなさってみて、一番合う方法をさがしてみることも大切です。

お部屋のお清め

お香を焚いたりアロマを試したり

神社やお寺に参拝してみる

お守りを身に着ける

瞑想や呼吸法などなど

平成天皇陛下ご退位の日

新元号『令和』が始まりました。

あらたな時代がより穏やかで平和でありますように。

 

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神祀(まつり)を粗末にせずたいせつに

ご自宅の敷地のお庭で氏神様をお祀りをされていたり、

いつの時代からあるのかわからないし、後を継いでお祀りし続けていくことは自信がない方もおられると思います。

きちんとお祀りしつづけることができない、宗教上の理由で問題があったり、

土地を離れたり、もしくは敷地を利用するために祀り続けていくことができないなど

様々な理由でできないことになるようでしたら

きちんと祀られている系統の神社にお願いをして、神主さんに御祓いをしていただいて、丁重にお礼と感謝を心より伝えきちんとお清めすることが必要です。

 

「粗末にするくらいなら」という意味です。

ただ取り去ることを奨励しているわけではありません。

時代的にお祀りが不可能になられる方も多いため、無視をしていただきたくないためです。

粗末にして、霊的にも災いがあることもありますが、後を継がれてつづけていかれる自信がない方もいます。

けれどはじめから投げ出すのではなく、月に一度でも敷地の神様にお塩・お酒・お米・お水をお供えして手を合わせられるのであれば、すぐにお祀りすることをやめようとする必要はありません。

 

一年くらいでも精一杯しっかり守り、守られていかれてみてからでも結論は遅くありません。

霊的な問題になりますと、それぞれのことがあり、祀られたいわれや、神様をお招きしたことで土地のしずめをされている場合もありますが、お家によって異なります。

いずれにしても、ご先祖が厚く信仰されてきた存在ですから、心を込めてきちんとされることが大切です。神祀りされた以上は礼を尽くしてこそしあわせが訪れてきます。

 

夢の話 

正夢

見た夢が本当に現実に起こることをいいますが、近いうちに起こる出来事を予知夢のようにみて、良いことや良くない出来事をみてしまうことが正夢です。

先に知らされているようなものですが、寝ていても、自分の霊体は意識化で動いているわけですから霊的な世界からある程度の情報をえてきます。

その霊的な感覚と、寝ている自分の無意識とが上手くコネクトされて知らされてくるのが夢となると思いますが、ときには霊的メッセージ性が強すぎて抽象的過ぎてわかりにくかったり、霊的な内面を夢の中で表現していたりします。

正夢は霊的なことが、現実に転化してくることを知らされるわけですから、自身の霊体が人としての自分の意識に働きかけていくのです。

「そろそろ何かあるかもしれないから、気をつけて頑張って乗りきっていけるから」・・・・・・と言葉でいうなら、そのような感覚でもあります。

驚いてしまう夢

目覚めたときに驚いてしまう夢の一つに、火事の夢があります。

日常生活で火事というのは恐ろしいことで、現実あってはならないことですし、もちろん実生活では、皆さんいつも気をつけて火の用心をされていると思いますが、

夢の解釈はいくつもありますが一つには夢で火事をみたり、火事に遭遇してしまうような場合、火は神聖なることも意味しています。

いま悩まされている問題が急展開で解決されてくる可能性を含んでいます。

火は清めるという意味を持っていますから浄化していくことも示しています。

霊的な浄化を指しますが、奥底の内的な部分が、一つ乗り越えたことを現しています。

また人のために心身を傾けている奔走しているときにも火事の夢をみる人もいます。

ただ火事の夢と言うのは、火というそのものがもつ神秘性とエネルギーを考えると、かなり早く厳しい浄化をさせられているということになります。

それに耐えうるだけの霊的な強さを兼ね備えているのですから心配はいりませんが、新たに自身がスピリチュアルな内面の浄化の禊をされているのです。

大きな試練がある人ほどそれを受け入れる器(魂、霊性)が兼ね備わっています。

俗に火事の夢はお金が入るといわれてもいますが、これはどうもケースバイケースのようですね・・・・・

けれども内面である霊的浄化によりよいことも生じてくることは確かです。

(まず、よりおだやかにやさしく、冷静さも加わってきます)

霊動 心霊写真

霊動など

霊感の強い人の中には横になっていたり、リラックスをしているときなどに体が揺れ動いているように感じる人もいます。

自分の霊体と肉体の差を微妙に感じやすくなっているのです。

寝ているときに、ファックスや電話が鳴って起きてしまうという人もいますが、実際にはファックスもきていないし、電話も鳴っていない・・ということもあります。

この場合にはご自分の精神的な忙しさから引き起こされていることも多いですが、

感が強すぎる方は体も心も疲れてくるとマイナス意識になりやすく、霊的なものを引き寄せやすくなる場合もあります。

霊は微細に電磁を帯び、特に電気系統に反応を起こしやすいのです。

またあきらかに霊現象の場合には、本当にかかってない電話が鳴ったり、テレビが勝手についたり、電気製品が続けざまに故障することもあります。

神社に出かけたり、気持ちの落ち着くところへでかけてみたり気の流れを整えることも大切です。

それでも続いておこるようなら、霊的なことを受け入れてみるかスピリチュアルなカウンセリングを考えてもよいと思います。

 

 

心霊写真について

心霊写真すべてが悪いものではありませんが、

写真に写った人の体の一部が欠損して写っているときなど不安ですね。

一つの警告でその体の部分に注意をはらわなければいけないときもあれば、なんでもないこともあります。

自身の疲れがありオーラが弱っているとき。

撮った場所の磁場が弱いとき(パワーが弱いところ)など・・・・・・・・

あきらかにいないはずの人の手足や姿が写っているときは

霊的存在です!けれども霊はもう肉体はありませんから、写真に写っている方、

もしくは写真を撮る方の生命エネルギーを借りて姿に映し出してきています。

赤い光線や、赤い幕が張られたような写真

その場所の地縛霊、感情的な高ぶりを受けることもあります。

白いモヤのような写真

霊的な形がはっきり出ている場合もありますが、ただ霞のようにモヤのようなものは周囲の心霊である事が多いのです。

もし霊がはっきり写っているものであれば、霊と人との波長が瞬間的に合ってしまうのです。

旅行先で楽しく写真を撮られて、一緒に写りこむ霊はありますが、行かれている方の楽しい意識に乗って写ったと思われるものがよくあります。

(共に楽しみたい、救われたい、羨ましいという思いです・・・・)。

心霊写真を持っていると不安な時には、お焚き上げしてくれるお寺にお参りに行かれて、お願いしたりなさると良いです。

ある事故で、事故後に電車内にいるはずのない乗客の方の姿(事故で亡くなっていますから)がはっきり写真に写っていたことがありましたが、その写真を拝見したときにわかったことは事故後まもなくということもで、それも突然の事故でもありましたから、人間的な気持ちがまだ確実に電車に乗っている意識感覚なのです。

その方の感覚が突然のことに掌握できていないようでした。けれども思いを残されるような方ではないことが伝わってきたこともありました。

 

・言葉一つでも ・敵ばかり

たった一言が足りなかったばかりに誤解が生じたり、上手く相手と意思の疎通ができないこともあります。

「思っていても言えなかったり、言ってほしいのに相手が言ってくれない一言ってあるかもしれません」こればかりは無理に相手から言葉を貰ってもオウム返しで面白くないものです。

多少のことなら人間誰でもそれくらいのことはあるから仕方ないとも思えるでしょうが、

いつも言葉足らずで損をしている人もいます。

反対にそうなるのはわかっていても、よけいな言葉を言い過ぎてしまうこともあります。余計なひと言が雰囲気を変えてしまうような力を持っているとも考えられますが、

言葉は言霊(ことだま)といわれるように、

言葉にも魂といわれる意識が乗っているということでもあるのです。

荒い言葉ばかり聞かされていると不安定になってしまうように、

心をのせていく大切な言葉は大事です。

 

敵ばかり

日常生活で、近所づきあいでも仕事でも友人関係でも、自分が敵と思われることは悲しいことです。自分が何もしていなくても敵とみなされたり、阻害されてしまうこともあります。大小の差はあっても少なからず経験された方もいらっしゃるかもしれません。

「人より敵が多い人は、強さの裏返しでもあるのです」。

けれども敵がいることで悩んでいるのなら、自身の心の中を振りかえってみることも必要ではないでしょうか。

「なぜ自分だけが責められ敵視されるのか、

敵にならなければならないのか、自分には絶対に戦う意識がなったか」、

「自分も相手を敵視していなかったか」、

「敵と思われないかと不安に思っていなかったか」・・・・・・など一度振り返っていくことも大事で冷静さをもたらしてくれます。

あるいは霊的な問題を抱えていることもあります。

ご自分ではそれほど感じられなくても、他人から見るととても暗い人間に思われていたり、

現状を我慢だけではなく、修正しながら進まなければならないこともあります。

その結果が自身の居場所でないこともありますし、流れを変えて新たにスタートしていくこともできます。

人生は流動しています。

不幸を知るから幸福を知ることができますように。

霊感体質の方は多いですが

霊感体質の方は多いですが

霊感の強い人の中でも霊的な反応を受けたり浄化してくると、様々な反応はそれぞれの人によって違いますが、頭痛がしたり気分が悪くなったり、重たくなったり、あるいはちょっと言いにくいことかもしれませんが、ゲップやガスが出やすくなることもあります。

普段は普通なのに、霊的なことを感受してしまうとこのような反応が起こることもあります。

心霊スポットはもちろんですが、お墓など霊的な場所にでかけると、病気でもないのに途端にお腹が張ってきたりという反応が出てしまったり、それでもその場所を離れていくと徐々におさまって落ちついてきたりするかもしれません。

なんでもないときはお腹も張らないしゲップも出ないし、いたって食欲もあり健康でも、

霊的にマイナスなものを感じたり受けたりすると、霊的な防衛能力が働いて反応しやすいこともあります。

心身が違和感を伝え浄化しているのですからため込んでいるより楽です。

霊的な現象から解放されてくるとおさまってきます。

マイナスな状態からプラスに転換されるためには深呼吸して落ちつかせていかれることや、

神社仏閣など気のエネルギーの高いところへ出かけてみることもリフレッシュされるはずです。(山、自然、神社・・・・etc)

 

どうしていいのかわからない

右にいくか左にいくべきか、文字どおり人生の岐路に立ち迷うことや難題の壁にぶつかることがあります。

感情やプライドにまかせて、右か左かの選択をすることもあるでしょうが、何かを決断するには感情だけでは自分と相手もしくは周囲に迷惑などがでる可能性もあります。

それでもその迷惑などをできる限りに最小限に、くい止められる方法をなるべく考えることが大切です。

ただ自分を傷つけるだけでも良い結果とは言えないですが・・・。

「霊的に影響を受けていたり、霊の意識が人を通して表面的にでてくることがあると、自身を追い詰められたり傷つけてしまう傾向にあります」。

どうしたらいいのかわからないということは、その人が弱く優柔不断であるといわれたりしやすいかもしれませんが、迷いが多すぎてしまうこともあります。

自分の気持ちも右か左が決断できずに人に流されやすくもなってしまい、どうしてよいかわからなくなってしまうのです。

自身のスピリチュアルな側面を軽く目を閉じ心に意識をおいて、内面をゆっくり見直してあげてください。あせらず深呼吸

守護霊

守護霊は何をしているのか、なぜ助けてくれないのか、神様はいるのだろうか?

笑っているときも、泣いているときも、家族に恵まれたか環境に恵まれたか否かはそれぞれの方で違いますが、恋愛すること、結婚すること、離婚すること、病気と向かいあったこと、悩みをかかえたことなどなどが、すべてがひとつの流れの中で巻き起こっていることでもあります。

一つ岐路をすぎると「ほっ」として、視野が広がります。苦しみを越えて安堵と幸福感、ゆとりも出てこられるでしょう。

それまではあまり考えてもみなかった奥の深い思いやり、やさしさ強さなど大切にしなければいけないことが沢山みえて気づきはじめてきます。

人に優しくなれることは、難所を越えたあとにご自分がご自分を守ろうとしたときに自分への思いやりもより強く魂の成長へとつながりをもたらされて、充実感が一つ増してくるのです。

神も守護霊もご自分の精神世界をもたれる人には常に働きかけています。

日常でも人にばかり頼っていると、いつの間にか人が離れて行ってしまいますが、黙々と頑張っていると自然に力を貸してくれる人が現れたり、巡りあったりしていくものです。

霊的な世界も同じで、精神的に投げやりになったり、あきらめない限り守護も離れたりはしません。

けれども生きるための実権は自分自身にありますから、上手くいかないから守護霊が悪いという責め方はできません。

決めて動いていくことを最大限に守る

もし間違っている道なら最大限に止める

それが守護の役目です。でも人よりは決して前に出ることはないのです。

 

「世の中不公平」ばかりでもありません

人と同じようなことをしているのに、例えば駐車違反をしてもある人は何ごともなく見つからずに終わるのに、ある人はたった一度それもほんの数分で駐車違反とされてしまうこともあります。

同じ場所でも時間や条件によって不公平な結果になってしまうこともあります。運の善し悪しで言われたりしますが、見つかって損をしたから不公平な目にあったと思われてしまいがちですが、損得だけで考えると本当に損をした!「ツイてない」で片付けられていくかも知れません。

損を裏返して考えればなぜそうなったのか、何がいけなかったのか、次はどうしたら2度と同じ目に合わなくて済むか。を考えさせられますが一見損得の真理で、損なことの中に秘められた徳が組み込まれているパラドックス(逆説)があるのです。

スピリチュアルな感覚でお話しますと、このようなケース以外でも、自分が誰よりも先に注意を受けたり指摘されるとしたら、誰よりも先によくなれるチャンスを与えられたようなものでもあります。

損をした方にばかり気を取られて責めたててばかりいても気付かないままになってしまいます。自分はついてないなとか思うこともあるけれど、ちょっとした隙間にしあわせが隠されていることも忘れずに。

思いやり  感受性

友人や知人のために動いてあげても、まったくわかってくれない。思ってあげているのに大して感謝も言われない・・・

思うこと動くことは無償の配慮でもありますが、

ただこれが、「思ってあげて、とか動いてあげているのに」、となると押しつけになってしまうこともあります。その上、思ってあげて動いてあげているのに、まったく面白くないとなる可能性もあります。

友人でも、恋人同士でも、ご夫婦の間でも、それは人の満足度がそれぞれに違いがあるから仕方がないこともあります。

こう言えば、こう答えてくれるはずとこちら側ではそう思っても、相手は違う方向に考えていることもあります。そのときに「黙り込むことよりも軌道修正してくれるのは、よく話し合う」大切さです。

一人ひとり感性は違います。話すリズムも違います。理解する方向も違っていることもあります。もし会社なら独り相撲で怒るわけには行きませんから、とくに身近な大切な人とはよく話し合っていくべきです。話さずに我慢して独りでに苦しいストーリーが出来上がってすれ違って、しあわせが逃げていかないように・・・・・。

心を閉じ込めないように  感受性

大切な人と別れたとき、死別、離別、信頼していた友人に裏切られてしまったり心が痛む問題は経験されてこられたこともあると思います。

そういうときには本当に心が痛みますし、傷ついてボロボロになって「心の温度」がマイナスになってしまいます。

心の痛みに突き動かされて、永遠に続いていくような不安と経験したことのない壁ともいえる問題で、しばらくは心の自由が奪われてしまうこともあるかもしれません。

体は何とか動いても、「心が動き出せないがんじがらめの状態」になる場合もあります。

特に感の強い人は激しく気持ちが反応を起こされることもあります。感受する感覚がするどいために心の痛みが倍増しているようなものです。

例えば現実的なことでは、「注射をされてもほとんど痛くない人と、それなりに痛みを訴える人と、ひどく痛いと感じる人」といるように、注射は表面的なことに対しての反応がそれぞれ違うように、霊的感受性が強い人は、心の痛みが内面的に倍増されやすくなることもあります。

「悲惨なニュースや事件の報道を見ることができない」こともあるかもしれません。

ニュースを見ていたり、聞いたりすることで「つらくて心が痛くなってきてしまう」、「しばらく笑えなくなるくらい気持ちが苦しい」「他人事なのにどうしても心が痛くなる」こともあるのです。

感性が高くてやさしい人ほど傷つきやすく、また外部の影響も受けやすいものですが、それならば心が痛いから情報がすべて入らない生活ができるかというとそれも不可能です。

こころを閉じこめて考えないように、「思いの世界が見えないかたちで伝わることを信じて、たとえ言葉では伝わらなくても、やさしい思いの波長は空間をやわらかく包んでくれます」。