くだらないことをしていて何になるのか、毎日同じことをしてもつまらない、そんなことの繰り返しが自分をつくりあげていく基盤になってくれることに気づかないものです。
大きな変化がなければ意味がないと思いがちですが、日々の小さな変化が積み上げていくものは大変なものです。
登山に例えると、富士山でもエベレストでもで、一歩ずつ一歩ずつがあってこそ、山も登れるのです。今日の一歩はたくさんの可能性をつなげてくれます。
そして身のまわりに起きてくることは、すぐには受け入れられないできごとに巡り合うかも知れないけれど、信じてきた道にはこういう問題とぶつかるためだったと受け入れて、人生に取り込んでいく気持ちが自分を生きることではないでしょうか。
人と比べてはいけないといわれても、人がいるのだから仕方ない。
ただし、人はそれぞれの人生、自分は自分の人生「もし人をうらやましいと思う」くらい「自分の人生が大変!」ならば、他の人以上にパワフルな魂が自分を支えているからこそ自分にしか乗り切れない、そう思って前進することです。
人から自分に対して嫌なことを聞かされても落ちこんでいられない、もし相手の悪口や、言い訳をしても余計に誤解の糸がからまってしまいます。からまり続けてもがき続けないために嫌なことを聞かされても、言う人がおもしろがっていることもあるかもしれません。
「余計なことかもしれないけれど心配して言っている」
陰ながら助けていてくれればいいではないですか。
「心配して言われたほうは気にしてしまい、傷ついてしまいます」
そういうことにも気がついてくることもあるかもです。すべての出来事が「意味あること」です。
私の母親が昔、ちょっとしたことで電車にいつも乗る車両よりかなり後の車両に乗ったことで、電車事故で一命を救われたことがありました。
いつも乗る車両だったら、亡くなっていたか、大怪我をしていたかもしれなかったとよく話していましたが、日常でも小さな出来事が、大事から守っていてくれるのではないでしょうか。自身の気力と守りの力が働いていると思います。
すべてのことは意味があることでつながっているのではないでしょうか。
よくない出来事が自分にとっては好転していくためのきっかけをもたらしてくることさえあります。