白くモヤモヤして黒板が見えない子供さん

霊的感性の強い子供さんが、学校へはなんとか通えるけれど、授業中に先生が黒板に書いたことを、答えなさいと指されると「わかりません」としか答えられずに叱られることが多いお子さんがいます。

先生も心配して勉強はできるのに、どうして答えられないのかと親も呼ばれて注意を受ける。 それでも「もやもや白くなって、人(霊)の姿もみえてしまうのです・・・・」とは子供さんも先生に言えない・・・・。

このお子さんの場合には目も悪いからということで、席も前のほうにしてもらって何とか黒板が見えるようにはなりましたが、感覚の強いお子さんは何かとズレが生じることも多いかもしれません。大人の方でもそうですが、普通の人には見えないものが見えたり感じたりします。 病院にいけば発達障害かもしれませんといわれてしまったり・・・・・・ 親御さんもなるべく急がず焦らず、お子さんの感性を理解してあげてください。

疲れやすいし、神経も高ぶりやすい。
霊的なものを背負い込むこともあります。
自然のエネルギーが満ちたところは癒してくれる力もあります。
先を心配しすぎずに。

 

ペットのこと

ペットの霊に関するご質問も多いのですが、ペットが家族と同じように、大切に愛されているのですが、ペットの死をとても悲しんで、気持ちがお別れできないでいる方も多いのです。

ペットの寿命が先だとわかってはいても、先に旅立たれたことが悲しい。
話せない動物がかわいそうで仕方がない。
もっと何かしてあげられることがあったのではないだろうか?
もしかしたらペットが恨んでいるのではないか?
留守番ばかりでかわいそうだった・・・。
ペットの霊魂はどこにいるのだろうか・・・

このように、思うことはきりが無くなりますが、たとえ大往生されても「もっと何かしてあげられなかっただろうか?」とも考えるものです。
悲しみから、話ができないペットがかわいそうだとなりがちですが、ペットさんはある程度は飼い主さんにまかせて生きているので、自分のいる環境がすべてでもあります。

飼い主(人間)さんのほうが、いろいろな情報がありますから、何かと比較してみることができますが、ペットさんは比較するものがあまりないのです。
ペットの死は、もし若くして亡くなる運命でも、受け入れていきますから、悲しんだりしていません。

ペットの霊魂は体を抜けて、はじめは飼い主さんの近くにいることが多いのです。 大きなしっぽを振って外に出たがっているような「音」が聞こえることもあるかもしれません。家の中を走り回ることもあります。(元気なころのように動き回ります)

くれぐれも、飼い主さんは見送り役ですからね。
亡くなった子(ペット)とお別れできなくていつまでもご遺体をお家に置かれたりしないように、きちんと火葬してあげてください。

ペットとのお別れは、親が(飼い主)、子(ペット)を見送ることが、ペットと暮らす大切なお約束ごとでもあります。
どうぞ心をきりかえて、良いお見送りができますように。

 

体に現れる反応

霊的に過敏な方は、耳鳴りや気配や、不安な気持ちが起こりやすかったりします。
それだけではなくて、体に何らかの異変が起こったりすることもあります。
例えば霊的な要因で赤みや痛みやかゆみが出てくることもあります。

刀などをみただけで展示されている刀でも反応してしまうこともあります。

そこに宿った刀の歴史は戦いで使われてきていますから、 時空を超えて伝わってくるような感じ方でもあります。

できるだけ早くその場を離れるしかありませんが、家に戻られたらお香をたいたり落ち着かせていけるようにしてください。

 

霊の意識よりも自分の意識

感受性が強い方はときとして

希望が感じられない・・・。
朝目覚めても起きたくない気持ちや、ようやく起きたところで虚無感が残っていたり、ある日急にそういう出来事が起こったときにそれは霊的な現象でもあります。・・・霊的な影響を受けていることも多いものです。

自分の中の心の叫びのような、けれども自分の意志や意識ではないような揺らいだ感覚・・・・。 それまでは気にもとめていなかったことが気になり始めたり、おもしろいと思っていたことが無機質なことがらに感じられてしまうこともあるかも知れません。

よい風景も美しい写真も「みんなはきれいだと思うんだろうな」と思いながら「自分は感動もないし素晴らしいと思えない」、人と関わりたくない、人が嫌いではないけれど詮索されたくない けれどもまったく社会と断絶している訳でもない。

病院へ行くほど悪いわけでもない。
それはただへそ曲がりなのではなく裏側を読み取ってしまうことが原因でもあります。友人と会う約束をしている日、会う前から気分が重くなっていたら、その友人が悩みを抱えていることを話してきたり・・・・・

このように知り合いからの影響も受けることもありますが、空間に漂う希望がなく後ろ向きな意識霊とつながってしまうこともあります。どちらにしてもご自分の霊的意識を高めていかれる必要がありますが、スピリチュアルな世界は思いが伝わっていくことも出来ます。

怖がらずに、まずは自分自身の気持ちに出来る限り前向きに。
前向きに生きるためには霊の意識より人間(自分)の意識が優先です。
生き続ける気持ちの力をみなぎらせて行けますように。

 

 

ちょっとしたスピリチュアルな体験

*何気なくいつもいくことがない本屋さんに入って、
足が向くまま興味のあるコーナーである本の見出しに目がいき、
軽く髪の毛を数本引っ張られるような不思議な感覚と
「この本を買っていかなければ」と心が動いて、
いざ本を買い求めて読んでみて人生の大きな転換期となって
仕事も変り生き方も変わっていく経験をされた方もいます。

誰の導きか、自分の思いと良き方向へ導こうとして知らせてくれる守護霊の存在です。
自己意識が高まってくると霊的な交流も人との出会いも変わってくるものです。

*誰かに肩を叩かれた気がして振り向いても誰もいない。
会社でも帰りの電車でも、買い物をしているときも、
軽く左肩を叩かれて呼ばれた(ような)気がして振り向く、が、誰もいない。
数回そういうことが重なって思い出したのは、母親の命日だということを思い出したり。

ご先祖が伝えてくれたのだと思ったこともあります。

 

パワースポットブーム

パワースポットや神社仏閣への参拝もブームですが、ブームに乗って何でもかんでもパワースポットになってしまっている嫌いがあります。パワースポットの中でもプラスが強いところとマイナスが強いところとがあり人によってはダメージスポットになってしまうこともあります。

パワースポットに行ってきたのに体調が崩れてしまう方もいますから、実際にいかれたときに少しでも自分に合わないところだと感じたときには人によって波長の強弱が異なりますから無理をしないことです。ただ御利益だけでいくことよりも、自身の感覚を大切にしてください。

神社仏閣がブームになってきていることの一つは、人は見えないつながりで不思議な縁をもたらされて、連綿と続いてきた歴史の中でつながりの中で共生している空間にあるスピリチュアルな存在に感性が重きをおきだしています

見える世界と見えない世界が、共にありながら現実的には常に姿を見ることのない世界の神仏守護霊たちの大切なこと
この世に肉体を持って生きるもの
体をもたずに空気のように存在する意識の働きかけがなければ、人も自然界も存在しないことに「気づき」がおこりはじめているからこそブームがきているのです。

不思議なことや現象、出来事にも出合ってくることも多くなります。 スピリチュアルブームは喜ばしいことの一つですが、反面人が呼び寄せ、頼り崇めてきた神仏をほっておくと、邪霊の住処にもなってしまうことがあります。 私有地に小さな氏神様をお祀りされるお家もありますが、代が変わってお祀りを怠ってしまい家族仲やご商売が上手くいかなくなることも実際にあります。

思いを念入れしたものを粗末におろそかにしないように。
お札でもお守りでも出来る限りは同じところへお礼参りに行かれて返されることがよいですが、遠方でどうしてもいかれないときには、お近くの神社でお願いして返してください。 感謝の気持ちを持つことで必要なパワーがチャージできるのです。

不安や恐怖に翻弄されないように

新年早々ただならぬ騒がしさが霊的に右往左往して来ています。

世界も大変動の年ですが、個人の心の精神的世界観も同様で隠れあぶれた魔がピンポイントで存在がはっきりしてくることになります。

これまでずっと悩まされてきたことに結論を出してくるでしょうし、何が悪いのかも気がつかされてきます。良くなるための精神的な自己との葛藤も強いかもしれません。

悩みに悩まされることから解決して行くための動きが出てくるときです。

もし問題点があるとしたら、ご自分の内なる魂(神であり、真我であり、正であり、宇宙法則であり、義であり)が現在の自分を修正しようとするために、心の中がもがいてしまうかもしれませんが、それは霊的意識が軌道修正をしようとしているためでもありますから、必ず落ち着いてくることが出来ます。そのために不必要に憑く霊の影響があるときには心の中に違和感を感じてくることも出てくるかもしれません。

マイナス概念はマイナスなことを呼び込んで大きくしてしまうこともありますが、年明け早々に皆逃げ惑う夢やビジョンを感じた方もいます。すぐにそういうことが起こるとは思えません。

それから恐怖の夢やビジョンはどうしても現実的な災害や不況やテロなどとつなげて物質世界だけで解釈されてしまうことが多いのですが、確かに今の世界情勢では現実はそうとしか解釈できないかもしれません。

予知的なことの中にはその通りになるものもあれば、決してそのとおりにならないものもあります。いい加減な世界ともとられやすいのですが、人の心の不安が現実をつくり上げることも大いにありますし、予知で知ることにより悪いことであったら「どうしたら大事を小事に出来るのか」と受け止めていくことでも未来が変化しますから、予知予言というのはただ当たりませんねと笑い飛ばすことも出来ないと思っています。

一期一会の毎日をいかに大切に感謝を持って生きることにエネルギーを費やしたほうが先々を考えすぎる恐怖は離れます。

 

霊的な善と悪との代理戦争

霊的なことを感じやすい方の中には、ただ彷徨っている霊を感じるのではなく自分の周辺、あるいは自分の心の中に霊的な意識を感じることもあります。

それは自分でありながら自分ではないような感覚で悪意のある意識であったり、違和感を感じるような意識であったり、悪意さえ感じるような感覚や言葉がよぎったりすることも体験されるかもしれません。

あるいはそれを自分自身が持って生まれた悪心や因縁だと固定概念で決め付けているかもしれません。

その悪意の意識にご自分が流されてしまうか、流されることなく自分の中の善意が悪意(悪心)を持つ霊という意識に打ち克つことが出来るかがを体験させられます。

このように霊的な善と悪との戦いも個人の意識の中でも起こっていることがあり、

例えば「不幸にしてやる」という意識が働きかけてきたら「自分のできる限りに生きているものを誰に未来を決められてたまるか」というように心のバランスを保つことも大切です。

霊的な悪との戦いも常に個人の意識や感覚の中で起されていますし、人間界は霊的な世界との連動です。霊的な善と悪との代理戦争も個人の意識の中で起こります。

霊界にたどり着けない悪意識もまた自分たちの世界をつくろうと気もちを引き込もうとするものもいます。今の進化は悪意識を持つ霊たちの心の焦りと戸惑いも浮き立たせていますから、「我ここにあり」の精神で流されることなく、不安はバランスをとろうとするために生じることもあります。

善霊は守られなければなりません

今年に入って様々な出来事が、これまでの流れ以上に早く次々と積みかさなるようにおこってきています。

事件でも突如犯人の意識が身勝手な事件を巻き起こすことになり、負がさらけ出されています。内在していた自分の気持ちの善悪のバランスを崩したときにとりつかれたようになってしまうのです。世界でも独裁政権下にあった国々が民衆の力で変化をさせる動きになっていますが、これまでの水面下に隠されていた本当の力、本心が表沙汰になってきて、それは社会にも世界にも個人にもでています。

暗い出来事に気持ちが引っ張られてしまうと本当にそういう世界に入り込んでしまうのです。負けないためには希望と明日に向かっていく気持ちと、これまでの自分がようやくここまでに至ってきた人生という運命を信じて進まなければなりません。

「負」の現象が起こってきています。その反面では「正」も出ています。
負のエネルギーに吸い込まれていかないように

例えば人を思いやることや人を助けると言うことはどういうことか悩まされてきた方にはそれが大きな課題となってきます。

ある例をあげれば今まで親しい人を何度も助けてあげたり支えてきたとしても、相手はそうは感謝を感じていないこともあります。

それどころか2度3度4度と繰り返されて、愛情面でも金銭面でも相手は当たり前のように頼ってくることやあるいは自分の窮状を話すことで情に訴えてくる。もちろん事情はきりなくあるかもしれませんが、他人を犠牲にして成り立つのは決してよいことではありません。

スピリチュアルなことに興味を持たれる方は思いやりが強くどちらかというとご自分に罪の意識を科せてしまう傾向にありますからご注意を。ことわざで「情けは人の為ならず」(意味=情けをかけることは人にしてあげた報いは必ず帰ってくる)といわれますが、自分の心と生活を乱すほどの情けではいけません。

しあわせは自分が感じられてからこそ分け与えることができるのです。世の中の明暗がつまびらかにされてくるときに、人の心もまた嘘偽りなく反応してきます。自分の中にガマンしてきたことが、本心が先行してくるでしょうし隠そうとしても隠しきれないことに気がつかされてきます。

素直な人は素直に
良識ある人はより穏やかに

前世とか過去世のとらえかた

自分の前世は何者で、だから今とどうつながっているのか

最近はご自分の前世や過去世の記憶がはっきりと覚えているという人も増えています。
過去世は魂のアイデンティティの<一部>ではありますが、自分という全部ではありません。

自分の過去はという受け取り方では、本来間違いだと思っています。霊的(スピリチュアル)な世界に入ってくるときに自然に感じられるようになってくるのですが、すべてがときあかされてくることになります。

いくつもの時代に、性格も性別も役割も人生のプランも全く違う体験をしていく役割のために生まれたことはあります。

けれどもそれは今の自分ではありません。自分がここに生まれてくるまでにリンクしている一部ではありますが、自分すべてと思わない方がよいのです。

ご夫婦でも前世の縁がつながってと言う解釈だけではないのです。
新たな人生を構築するためのつながりのきっかけをつくってくれた一部にすぎません。

よく出会った瞬間に「結婚する人だとわかった」というのは前世だけでの問題よりも、魂がこの世界に人として生まれてくる前に霊界からもたらされた、人生に組み込まれている約束ごとの一つでもあるわけです。

それでもここに来ると懐かしいとか、やたらと縁があると言うこともよくあることです。確かに記憶の一部が反応していることも否めませんが、もしそこが懐かしくて居心地がよいのなら、良い記憶の一部が思い出されているかもしれません。けれども人生は非常にたくさんの情景をみて体験されていきますから、その何シーンかにずっと浸っているわけにもいかないのです。

特に自分自身の前世ではないかということに、意識が常にとらわれて考えてしまうと、すべてが前世過去世から人生を導き出してしまうことにもなります。

たとえば今がもし不幸なら前世で人をいじめたから不幸なのだと納得させてしまうケースもありますね。すべてがつながりがあるとしても、以前の記憶がよみがえってくるというのは、ほんの一部に過ぎませんが、細い針先で体を突かれてもひどく痛いように感じられるようなことにもなるかもしれません。

そのような感じ取り方をしていく人もいます。過去世とかとらえるときに難しいのは、自分が生まれてきたその家の先祖なども縁がありますから、もしかしたら先祖の過去をとらえてしまい、逆に苦しんでしまう人もいます。

前世も過去世も今の自分ではない人格で存在したかもしれません。しかし、今の生命を与えられている以上は自己を形成していくことが大切です。魂の世界に戻っていくときにすべてのことが組み込まれていたことに気づくことができます。

過去世かなと感じたら、とりあえず心の中で傍観してできる限り客観的にみるようにしてください。その感じ取っている過去世が゙良いこと、あるいはとても悪いことだとしてもです・・・・・・・

今を生きる自分ではないことを確認していかなければなりません。
そしてそれが自分以外の霊的なものに誘導されていないことを確認していく必要があります。

ここで過去世が非常に自分の意識に強くまとわりついてしまうようなら、自身の中に受け入れていく必要はありますが、自分自身のキャパを広げていかなければなりません。
前世?の記憶と今の自分とが重複した状態で精神的に問題が出てくるような場合には、前世や過去世を捉えようとする前に、今自分は何処にありきでどこに生きているのか、霊的な軸がしっかりしていないと振り回されてしまうことになりますからご注意を・・・・・

前世で偉かった、あるいは苦しんだ思い出と、自身の創りあげた世界でのたうちまわることが無いようにしていただきたいのです。

悪い記憶がよみがえったときに、それに苦しむことにならないためにも、自分自身の見えないつながりを広げて考えて自分と向き合うことです。何より今の自身の魂と霊性を守ることが人として生まれ出てきた使命の大切なひとつでもあるのです