自分が亡くなる夢

現実の自分はとても元気で問題もないのに、

夢の中でご自分が亡くなる(死んでしまう)夢をみる人もいます。
あまりよい気持ちではないかも知れませんが、けれども真逆な意味をもたらされていることが多いのです。
自分が亡くなる夢はむしろ霊的な成長をしたことを伝えています。

人の体が成長していく間に次々に細胞が生まれ変わって新陳代謝がおこなわれてくるように、霊的な体である霊体も見えない部分で、新陳代謝を起こして成長しているようなものなのです。

そのため人によっては自身の霊的な体である霊体の成長にともなって、不必要な霊体の状態を夢にあらわされてみることがあるのです。

また霊的にとり憑くものが離れていくとき、あるいは離れていく前後にこのような夢をみることもあります。
大きな問題が解決されてきたり、精神的に成長をしてきたときにこのような夢をみることが多いようです。

夢は物質的な外的なことと、霊性である内的なご自身のつなぎ手としても重要な存在で自分を見つめ直すことにも役立ちます。

夢をみないと良くないのか?と思われるかもしれませんが、内的な自身を捉えられる方法はいくつもあります。

神社やお寺の参拝、自然の多いところへでかけたり、座禅、瞑想、呼吸法、気持ちに意識を向ける時間も大切なご自分のためのひとときではないでしょうか・・・。

加藤眞澄ホームページへ 霊能者スピリチュアル

https://www.dimension-shin.com/

神だのみ

人生苦しい時の神頼みという言葉がありますが、苦しいときにはお願いをすることも、気持ちをゆだねることもあっていいと思いますが、何でもかんでもご利益主義になりすぎないほうが精神的に「楽」ではないでしょうか。「努力をして行きますから見守って力をかしてください」というように・・・・・・・。

私も若いころある神社へお参りにでかけたとき、地元の方に 「ここの神社はご利益があるからね、会社の経営不振で始めてここの神社にお参りに来た家族が、どん底の会社から立ち直って、会社がドンドン業績も良くなって、その会社の社長が毎年お礼参りに来ているよ」 と聞き、

それから3年続けてお参りをしたことがありました。

そのうちに「神社が好きでお参りに来ているのか?それともご利益があるからと聞いたから毎年来ているのか?」 と考えこんでしまいました。

ただご利益だのみで、これ以上続けていくともし行かれない年にすごく気になってしまい、不安要素が強くなる気がして、続けていくことはやめたこともあります。

ご利益やお願いだけに気持ちを向けてしまうと身動きがとりづらいこともありますからこのことは、よい勉強になりました。

神社などに行くことはよいことですが、できるだけお願いよりも、

「これだけ人生勉強をしてきました。これからもよろしくお願いします」。と神様に手を合わせることは、自分への反映でもありますし、大きな自然の中の一部であることを改めて再認識していくことで、生きている意味としあわせをつかんでいくための方法のひとつだと思います。

https://www.dimension-shin.com/

生まれたところ・住むところ

生まれてくる場所は、過去からのつながりのもとで決められてくると思います。「縁が深ければ、前世や過去世にかかわりの強かったところ」 に生まれてくるでしょうし、少なくとも「ここに」生まれてこなければならない理由は、魂のせ界をたどればあきらかではないかと思えます。

そして生まれたからには、「住むところ」です。 ほとんどの場合、幼いときには親の住むところが、共に住むところになるわけです。

けれども大人になって、独立してくると、今度はご自分の 「縁」 そのものです。

もちろんしがらみはありますが、それも含めてご自身の縁でもあります。

家を守り、同じところに住む人もいますし、仕事でどうしても別のところに何度か移る人もいます。

またはせっかく越したのに霊的現象などがあると特にそうなのですが、引越してしまうケースもあります。

そして特別に嫌なことがなくても、逃げをとることでもなく、「次の何か?」 を求めて住むところを変えていく人もいます。見えない何かに心が向けられ引っ張られているかもしれない。冒険心も強いかもしれない。

それならば、こういう考えを持つとよいかもしれません。

「新たな自分を見出したくてそうしている」

「過去世も含めた自分の魂の過去に、そしてこれから出合う人や、ことがらのすべてに感謝をしていくためにそこへいく」 というようにスピリチュアルな感性で考えると、より奥行きが広がるのではないでしょうか。

そして、よき出会いと感謝と一期一会を大切に、人にも空にも大地へも「心癒して癒されて」

心と魂は常に共存していますが、魂の過去の縁が今の環境にもつながっていることを受け入れて乗り越えていくこともしあわせをもたらしてくれる流れにもなってくるのではないでしょうか。

 

生まれ変わりについて 

前世や過去世はありますが、いま生きている、この「体と心」でそっくりそのままに生まれ変わりということではありません。

この人生にはこの「心と体」だけです。

でもこの一生を終わって、「死」をむかえて体という肉体が消えていくと霊体が残ります。

その霊体もやがて脱ぎ捨てる時期が来ると、「魂」が残されて、魂の本質の世界に戻ります。

分けて考えていくとそういうことになりますが、すべてが一本の糸のように、つながり続けています。

魂の本質というのは、次元の違う世界で捉えるしかありませんが、自分が戻るのは自分が生み出されてきた「魂のふるさと、親元である精神的な世界の空間」でもあるのです。

一つの人生を終えた魂が親元に戻り、人生の中で「見て、学んで、感じとることにより」 培ったすべての成長を蓄えていきます。

ですから、前世とか過去世に関して「魂の世界から」は、それぞれが一部分の魂をたずさえて、いくつもの人生を歩み、体験していくことになります。

そのため、極端なことをいいますと、同じ魂から生まれ変わっても、もしかしたら前世でとても歌が上手くても、次の人生では音痴かもしれないということです。

逆に前世で歌が好きで上手だったから、この人生で歌って人を感動させる役目をもった人もいることになります。

それは違う人生ではありますが、歌の上手いという特徴の一部分が強く働きかけているのです。

体で例えるならば、何十兆個もの細胞の一つがその特徴をもたらしているように、ほんの一部が前世や過去生とつながりをもたらされています。

あえて記憶を眠らされているように、

それが大きく関わってくる人も、そうでない人もおられると思います。

先ほどの話に戻しますと、それでも、「歌で人を感動させる以外での、苦労もまた人生につけ加えてきています」から、それぞれの試練を乗り越えていかなくてはなりません。

多くの場合、特に優れた良いところは少ししか、もたらされてきていません。優れた部分だけを使いこなしてしまうからでもあり、足りないところは人生でできる限り学んできなさいというようなものです。

魂の世界からいいますと、「生まれ変わりはあります」

けれどこの姿をもつ同じ姿ではありませんから、二度とないこの一生を「宝」にして、日々よき明日に向かわれますように。

自分はどうしたいのか

好きでもないことをしなくてはいけないこともありますし、人とのお付き合いでしたくない話もしなくてはならないことも生活の上では山ほどあります。

世の中と上手く付き合っていくためにはすべてを避けて通ることは不可能です。

どうしても仕事を継続させるためには、ミーティングやパーティにも出席しなければならないとか、親戚の集まる席に参加しなければいけないなど・・・・。

表面と内面・思いと行動・望みと現実、これらの事柄が交差している世界で生きているのですが、プライベートな時間に本当の自分はどうしたいのか? と時折は振り返って考えてみてはいかがでしょうか。

飲食に関しても、「本当に自分は家に帰ってからもビールが飲みたいのか?」 「食べ過ぎているのにまだ食べたいのか?」または職場で怒っていたら「家でもプリプリ怒っていたいのか?」「それが自分なのか」、「内面の自分の心は元気に満ちているだろうか?」と思いをはせてみたときに、気持ちが落ちついて心が安らかならよいですが、過ぎたるは及ばざるがごとく、お酒などが逃げ場になってしまったようなときには本心ではなくなっているのかもしれません。

一日でストレスが解消できるのならよいですが、人として社会でのご自分と、内的な意識世界のご自分のバランスを守られていかれるように、やさしく包みこむ気持ちを心に向けてはいかがでしょうか。

 

霊と意識

「霊現象」と言われることは、皆さんがご存じのように亡くなった人が現世に現れる状態を現象と想像されるのではないでしょうか?

もちろんそれも霊的な現象ではありますが、「気持ちや意識の中に同調してくることでもあります」。霊的なことはお化けを視ることだけではありません。

人の意識の中に存在しようとする場合もあります。

そうなると感情がひどく高ぶったり、落ちこんだり、心が荒れてくる状態も霊的に引き起こされてくることもあり、それがとり憑かれるということの一つになります。

それでも疲れているときやほんの少しのスキに霊的な現象を起こすこともありますが、心の基盤がしっかりしてくることにより回避できるようにもなります。心が不安定なときに霊的な現象が起こりやすくもなってしまうのです。常に心あたたかく。

自分がきらい 霊媒体質

霊的なことがらの中には霊媒体質のかたもいらっしゃるのではないでしょうか。

自分でない何か(霊)に動かされたり、言葉を話したり、感情が出てきて涙を流したり感情が必要以上に高ぶってしまうような状態でもあります。

 

ご自分の感情もしゃべり方も違うし、的外れなことを話し始めたり、体の力が抜けたような状態で急に泣き出してみたり、自分ではないような感覚にもなりやすいです。

霊媒体質の人は確かに動かされやすい面がありますが、何度も繰り返されたり、なおかつコントロールが効かないときには、自身が霊的意識に負けてしまっていることになります。

 

そしてこのような状態(霊的体質、霊媒体質)である自分を憎んだり嫌いになってしまったりすると、それこそその思いは霊的意識たちに動かされてしまいますから、自分の強さと意識を取り戻していくための浄化をしていかなければなりません。

精神的に苦しんで、自分を責め苛むことがないように。

 

責める気持ちというのは低級霊の格好の住処になりますからね。精神的にまず「低級霊をしあわせにするより自身のしあわせを考えることがとても大切です」。

物質には豊かでも心がやせ細っていかないように・・・・・

時のながれ

人が亡くなって強く思いを残しすぎたときに、思う心は残り、肉体は「無い」ということになります。

「そうなると思いの強い意識だけが、時の流れを越えて居残る」「居座る」ようなもので、黙っていたらその思いが風化されるのならよいけれど、その思いを生きている人につなげて行こうとすることもあります。

これが世のため人のために動かそうとするならよいのですが、逆に人を使って勝手な欲がらみの思いを果たしていこうとする霊もいます。霊は人の意識にリンクしてしまうこともあるのです。

例えば「自分だけがつらい思いをしたのだから皆が敵だ!」など、思いだけが残り、それも過去の時間のまま残るわけですからこういう霊の意識にとり憑かれると後ろ向きになり非常に落ち込みやすくもなります。

落ちこむと過去の嫌な事ばかりが頭の中に浮かんでくる事もあり際限なく過去を責め続けてしまわないように「時は流れている」ことを忘れずに、マイナス意識に心を奪われないように。

生きる人はプラス思考と、時間の中で進んでいかなければなりませんから過去にばかり捉われたり、縛られたりはしていられません。よき未来のために。

霊的に背負い込む   

心配事が解決されたときに胸が軽くなり、肩の荷がおりたようだと感じたことはありませんか?

悩みごとも苦労も背負いこむと表現されることがありますが、それは胸が重苦しくなったりと量れる重さとは違いますが、悩みごとを抱えているときにも精神的に気持ちの重さが増してくることはあります。

普通は一つひとつの問題が解決されていくと身も心も軽くなっていくものですが、「霊的な影響を受けているときには特別な悩みを抱えていなくても精神的に心の重さや肩や体の重さを感じることもあります」

そういう現象を体験された方でなくては理解しづらいかも知れませんが、霊的問題を背負いこむように重さを感じられていることもあるかもしれません。

ある人と話しをしただけで体の重さを感じる方もおられます。

ものすごく重いものを背負い込んでいるように感じ重い石を乗せられたようにズシンと伝わってくることもあるかもしれません。

「霊」「お化け」を背負っていると思われるのは、霊の思いを背負い込んでいるのです。

悩みごとを抱えているときにも、心も体も重くなったように感じられるように、「霊」の思いを背負いこんでしまう場合にもこのような状態を引き起こしてきます。

 

周囲はいつも自分の鏡

おだやかに過ごしたいと思う日でも、学校や職場で「おはよう」の一言が返ってこなかったりしただけで、その日の気持ちがしぼんでしまうことがあります。例えばそれがきっかけでデリケートな心の人はすべてに勢いがなくなってしまうかもしれません。

もしご自分が他の方以上にデリケートな感受性を持っているのかもしれないと感じたら、そのときから少しずつ身のまわりに起こることのとらえ方を変えて行くことが必要ではないかと思います。

出合う人の感情や感覚にとても敏感に左右されやすく、または感覚を受けてしまうのであればなおさらに、どのように落ち着かせていかなければならないのか対処するしかありません。

誰とも会わないようにするのは不可能ですし、生涯自分とだけ向き合って世の中でただ一人で生活することはむずかしいです。

人生を進む上での答えは自らが決断する事が大切ですが、人がいてくれるから、人の良いところ、悪いところなどいろんな側面をみられてこそ、自分に照らし合わせて修正できるのではないでしょうか。

デリケートな人は特別に敏感な神経と豊かな感情をもたらされているはずですから、気づくのも早いです。そのために何故いつも自分だけがこのような場面と遭遇するのか疑問も出ます。無視をすることはよけいに気になりますね。

周囲の状況はいつもヒントが隠れています。メッセージが込められています。無視をするのも受け止めるのも自由ですが、あなたに何かを教えてくれます。

例えば電車内で「見苦しい態度や服装をしていたらそうはなりたくないと思えます」「快く自然にご年配の方に席を譲る人を見るとそうしようと思える」など・・・・・。「自分だけがイヤな目でみつめられることもあるかもしれません。霊的なものが視ているようなものですから、それこそつられて行かないように、自身の呼吸に集中していくことです。

空を見上げて深呼吸 気を変えて

ご自分に「ほっとして」あげてはいかがでしょうか。

お墓のこと どこにあるか知らない

代々にわたって何百年も続いてお墓を守られているところは少なくなりました。枝分かれするように分家されていきますからやむを得ませんが、近頃では祖父母のお墓も知りませんという人もいます。

親に連れて行ってもらったことがないから知らないということもあります。

お墓がなければ不幸になるとは思いませんが、せめて祖父母のことくらいはご両親がお子さん方に、お話しをするくらいのことはしないといけません。

 

事情があるにせよわかる範囲でも、生みの親や先祖のことを次の世代に話をして、だから自分達が生まれてきていることの実感を伝えて、ご存知ならご先祖のお墓参りもご一緒にいかれるべきです。

お墓への認識は変化してはいますから、自分が亡くなってもお墓はいらないという人も増えています。

立派なお墓があれば思いも残さずに成仏できるかというと、それは違います。何もなくても、潔く人生を全うできたのならお墓の「ある、なし」は関係ありません。

それならご先祖のお墓があり、場所もわかっているのならお参りに行かれたほうが良いというのと矛盾している!と思われるかもしれませんが、現在まで守られてきたお墓というのは、それだけご先祖の思いが代々に渡って、大切に継いで守ってこられた意味があるのです。

 

それは先祖を供養して行かなければいけない思いと、先祖が作った不幸ごと(因縁など)への償いや、霊や魂の世界への心の窓口にもなってきた場所でもあるからです。そこには守り続けてきた先祖の思いが溢れています。

その墓所を継ぐとか継がないの問題ではなく、縁ある家に生まれてきたことにお参りすることは先祖も喜んで迎えてくれます。時代は急に変わるのではなく、過去もできる限り大切にされていくべきではないでしょうか。

もし墓所がわからなくても、ご先祖に思いを馳せることも供養のひとつです。近くのお寺から静かに手を合わせたり、お線香を手向けたりすることでもよいです。

しあわせは物だけでは決して得ることはできませんから。

結婚すると守護霊も変わってきます

女性の場合は結婚されると

ご主人の姓に変わる方が多いですが

姓を変わられるということは、

守護もご主人のお家のご先祖や

ご縁に変わってくることでもあります。

いままで守ってくれていた守護はいなくなるのではなく、

一歩引いたところで見守ってくれる存在でもありますが、

あらたなお家の影響は大きいです。

性格が変わったように明るくなる方もいます。

またそれとは反対のケースもあります。

結婚だけではありませんが、

人生の流れは常に流動しています。

 

 

 

いつも心配ばかり

悩みを抱えていた問題が解決されて楽になったときに、

「ほっと」して喜んでいいはずが、

また次の心配を想像してしまい、

まだ起こってもいないことに頭を抱えてしまっても

どうしようもありません。

常によい想像よりも悪い想像ばかりしていると、

人生が楽しくない方向に行ってしまいます。

自分が思う方向へと人生は進みます。

(ただし法外な欲ばりではないこと)

人のために何が出来るかを大切にされたらよいです。

心持ちだけでも

小さなことでも

チャリティでも

募金でも

ボランティアでも

仕事でも

悪循環を変えていくことが大事です。

 

 

 

感受性が強すぎて

霊的な感受性が強い方の中には、

体に痛みを感じられる方もまれにいらっしゃいます。

薬を飲んだり

病院に行ったり

漢方薬を飲んだり

おまいりされたり

浄霊したり

そのときどきで一時的にはよくなっても

感受性が強いときには体に説明しがたい痛みが出る。

すべてが対処療法でしかないかもしれませんが、

ご自身の体質を理解した上で、

いまは何が必要かを考えて

必要な対処で(薬なのか、お参りなのか)

上手につきあっていかれることが必要です。

ある方はご自分がとても落ち着くというお寺のご仏像をみて

しばらく眺めているととても楽になるという方もいます。

心身のバランスを保てる事に出会えますように。

 

 

魂の違いを感じることもあるかもしれません

人を好きになったときに人間的は大好きだけれど、魂は好きになれない・・

反対に魂は好きだけれど人間性が好きになれない・・

交際している相手の人をとても好きで、

趣味も合うし、同じことに興味も持つことが出来る。

けれども

どうしても『魂がちがう』と言う感覚と寂しさを感じたりする虚しさ

仲の良いご家族の中にいても、ご自分だけ孤独になってしまうかもしれない。

私自身そういう感覚に悩んでいた時期もありました。

ソウルメイトなど魂の合う人もいますが,

感性が強い方は魂の違いを感じることは多いかもしれません。

現世ではいろいろな魂が生まれてきています。

同じ魂の世界だけでは心地よいところにばかりいて、

変化も学びも起こりづらいですから、現世でまるで異業種の魂と出会って交流し

切磋琢磨してお互いに育っていくことになります。

すべての価値観が同じではないことも、考えさせられるので新たなよき変化と成長でもあります。日々大切に

お魚と甘いものが大好きだった母親

先日は母の日でしたが、私の母はもう30年も前に亡くなっております。

ですから母の日に何かをプレゼントをすることもできないのですが、そんなことを思って

いましたら、昔のことを思い出しました。

母が亡くなって49日のときに、母の親しい友人がいらしてくださって「先週お母さんの

夢を見てね。家にきて大好きなお魚を食べたい。煮魚が良いって私のところへきたわよ。

だから翌日お魚を煮てテーブルにお供えしておいたわよ」と言ってくれたのです。

その親しい母の友人は、お料理屋さんを営んでいて、お料理はプロですから、おいしい煮

魚を食べたくて一度でしたが夢で現れたのでした。

 

また一周忌の前くらいに、私が異常に甘いものが食べたくて仕方ないのです。

それも自分ではいつも食べたいとは思わないはずの「おはぎ」がすごく食べたいのです。食べたくて仕方ない

 

いつもならケーキのほうが好きでしたから、そこではっと!気がついて、おはぎは母の

大好きな食べものでした。おはぎとか羊羹とか無類の和菓子好きだったのです。

忙しさもあってお供えもできていませんでした。

お供えもして、それに人に食べていただくことが好きでしたから。

時折いらしてくださる母の友人たちにもご一緒に召し上がっていただいたりして

それからはそういうこともなくなりましたが母の日にそんなことも思い出しました。

いくつになっても母親はよく思い出します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

行き止まりの繰り返し

順風満帆な人生はなかなかありません。満足いく人生を歩んでいるつもりでも、ある日突然に、夢も希望も潰されるような自体が起こったり、自らがやっていることに魅力を感じなくなることさえあります。

それらが霊的かと言えばもちろん組み込まれた試練かもしれません。

 

人はご自分の人生を受けて生まれてきた以上は、自分とつながりの深い意識に動かされ、表面的には理不尽とも思えることに見舞われることもあります。

苦労と喜びの行き交うような人生が「結果を考えると、魂の大きな成長にもなるのです」

でもそれはいろいろ落ちついていかないと気づけないことでもあります。

 

「大変な経験をしたけれど、大きな人生勉強になってよかった!」などと思えるのは・・・・・。

生きる方向性の「壁」にぶつかったら、身動きできずに止まってしまったり、とりあえず右か左か後ろにちょっと戻ってみるか、勢いがある人は無理やりに壁を押してみるか、立ち往生してしまうか、進み方もそれぞれです。

 

人生あみだくじではないですが、いい加減な意味ではなく、壁にぶつかったらどの方向に行くべきかを、柔軟に考え、同じあやまちをしないために次のしあわせを見つけるためにも次の流れを見出していかなければなりませんが、

疲れ切ってしまうと良き流れや波動が悪くなってしまうのです。

ご自分なりのリフレッシュをしながら次に進むことも大切です