空回り

 

別のことを考えながら話を聞くから頭に入らない

自分否定をしすぎて常に畏れをいだいてしまう

誰かに叱責を受けるか、期待をされていないのではないか

苦と生

身に起こるすべてのことが陰(ネガティブ)の気に覆われたように、

暗い森の中に心魂を閉じ込めてしまうような・・・・・

 

陽(ポジティブ)を閉じ込めているのは何のせいか? 

おそらく「自分のせいだ」と答えてしまうかもしれません。

「すべて自分が悪いのだろう」と片付けてしまうとしたら、

その考え方そのものが人の意識に入り込んだ霊的存在の可能性もあります。

 

自分がすべて悪いのだという理由で

あきらめようとする意識を持たないように。

生きるという人生を獲得してきたからには

自然に先に進んでいこうとすることが出来るはずなのです。

 

コロナ禍で落ち込みやすいときでもありますから

確かに日々の出来事の中に原因やきっかけはあったにしても、

人生がやるせないほど生き方に「苦」だけを見出してしまう

そんなことが続いてしまうのは

霊的な影響で気持ちが前進できないこともあります。

 

生まれて生きて、自分自身の意識だけではなく霊たちの

意識を伴って往往にしてその霊の意識に

心が左右されてしまこともあります。

動かされないように

 

助けられたり助けたり ご縁

いくつもの過去世を生き抜いて

 

愛別離苦も経験されて

 

さらに強くより穏やかに

 

魂はいくつもの試練を越えて

 

たどり続けて光を受けて見つけた世界

 

日々の出来事に

 

自分を責めることなく 心を傷つけないように守り

 

常に目に見えるものばかりにとらわれ過ぎず

 

過去からのつながり

 

あるがゆえの今の人生たいせつに

 

助けられたり    助けたり   もご縁です

 

 

出会うこと 思うこと

良きことが自分の周りに集まる人は

心が後ろ向きにはなっていないときです。

良くない出来事ばかりだと

どうしてもあれがいけなかったからだ、

過去の後ろを振り返ってばかりになりやすく、

 

自分は今日もダメな一日だと思うと

本当にダメな一日となってしまうことが多く、

たとえ誉められても

「ダメな自分がどうして誉められるのか、

どうせお世辞かからかわれているんだ」

と捉えてしまうことになります。

 

苦しいこと探しで一日が

終わってしまうことがあるのなら、

自分の心の置き所をお参りに出かけるなどして

神仏にゆだねることも大切です。

 

見えるところだけで生きているわけではありません。

自分の心の中だってすべてみえるわけではありません。

けれどもその自分が鮮明に自分の良いところ、

他人の良いところを見つけ出さないことには

人生苦しみ探しの旅になってしまいます。

 

怖いと思っているとすべてがそのように見えてしまう心の不思議。

犬が大好きな人はどこに行っても犬に出会い

猫が好きな人はどこに行っても出会うことが多い。

 

物事はどこにもあるものに、

どの気持ちがあるかで

「出会うか、出会わないか、出会っても気づかないか」

になってしまいます。

 

良き流れに出会えることは

霊的な影響次第でも変わります。

そして大事なことは自分自身の気持ちが

マイナスを呼び込むほど落ち込む前に

見えない力に頼りゆだねることを奢らずに忘れないこと。

よき日々でありますように。

 

霊的に惑わされる

霊感や感受性の強い人は社会や生活上の悩み事や、

嫌なことでも相手と自分の性格の合わなさに

戸惑いやもめごとに悩まされながら、

時には我慢しながらバランスをとろうと頑張っていますが、

 

霊的な感覚の強すぎる人の場合に

相手の性格や霊的な憑きものの違和感を

肌身に受けやすくなってしまうこともあります。

 

特に体が疲れすぎたり、神経を使いすぎたり

コントロールしづらくなるほど疲弊してしまうと

冷静さを見失いがちにもなることがあります。

 

もちろん霊的なことも無視できませんが、

肉体的精神的に対処を先に考えなければならないときもあります。

しんどい相手でも押さえる心の力が強いときには、

それ以上には心の中には浸透してくることはできませんが、

 

自分が弱ってしまったときには

今までは相手と自分と対等に接することができていたのに、

自分自身の心が何らかの理由で落ち込んでいくなど、

相手の霊的な憑きものが何十倍にも大きく感じられてしまうこともあります。

 

また人が悪心を持つと、悪意を持つ憑きものは我が意を得たりと近づき、

人の心の隙間に入り込んでくることがあります

入り込まれて押し出そうとする力が弱く

悪心ばかりが強いときには

人も霊も深みにはまりこんでしまうことにもなりかねません。

肉体的にもエネルギーを使います。

 

落ち着いたスペースで瞑想深呼吸をしたり、

柏手を叩いて波長を切り替えることも大切にしてください。

 

夢の一つに入浴やトイレで排泄をしている夢というのもあります。

 

夢から覚めても、

排泄している夢の中の自分が

恥ずかしいような気がする方もいるかもしれません。

 

けれどもこの夢は霊的なことを現していますし

浄化されている夢ですから心配しなくて大丈夫です。

神社にお参りにいったり、

先祖のお墓を訪ねたりしただけでも浄化の夢をみることもあります。

夢はスピリチュアルなメッセージです。

 

特に浄化を表している場合

そのメッセージを排泄などで現わされたときには

霊的な浄化でもあり、わかりやすいメッセージのひとつでもあります。

 

 

いつまでも過去のできごとに心が引きずられないように

 

感性がつよくて霊的な影響を受けやすい方の中でも、

 

非常に自分の過去の出来事から思いが抜け出せないかたもいます。

 

あのときこうしなければこうならなかった・・・・

 

それを考えても自分の判断と決断を

 

いつまでも責めてしまってなにも完結できないままで苦しんでしまいます。

 

必要なのはだからこれからどうするべきなのか

 

自分を責めない

 

人を責めない

 

過去を責めない

 

過去にたたずまない

 

今から未来へ

 

進むべき方向を見つめること

 

心も同じ

 

自分の心に引きずられないように

心に悔やまれて残る反省は自分を苦しめるばかりです

*ご本人の承諾を得て掲載しています

過去の出来事がいつまでも心に残ることもあります。

ただしどこまで過去に縛られてしまうのか、

人を恨まずに自分ができなかったことを悔やんだり

長い間責め続けていても、

自分を責め続けていることになって、

いつまでもその意識から抜け出せずに引きずってしまいます。

60代の主婦Aさんは、お仕事も辞めて10年前に

ご主人の母親(義母さん)が病気もあったので

ご自分たちのお家で同居することになりました。

食事のお世話もカロリー計算も必要な義母さんに、

Aさんは毎日一生懸命に介護されていたのですが、

もともと口の達者な義母さんは、

ことごとく食事のこと、

やることなすことに小言を言われたり、

息子であるご主人にはやさしく接しても、

いちばん世話をしているAさんにはいつも厳しい。

 

数年がんばったある日、

Aさんはもう自分では介護できないことをご主人に話したところ、

これまでの状況を見てきたご主人も理解してくれて、

施設に入ってもらうことにしました。

それでも施設に入ってもご主人が面会に行くと、

そこでもAさんへの恨み言が義母さんが言っているようで、

Aさんには面会に行かない方が良いと言ってくれたのです。

ご主人の他のご姉弟たちにも

Aさんのことを悪くしか話さなかったそうです。
3年ほどして義母さんは亡くなり、

義母さんのお位牌やご供養はAさんご夫婦のお家ですることになり、

さんは毎日お花お線香、お供えを欠かすことなくされていますが、

それでもAさんは自分がもっと義母さんにやってあげれば良かった。

なぜ追い出すように施設に入れてしまったのか、

もっとこう仕上げたらああしてあげたら良かったのではないか、

どうしてできなかったのだろう・・・などなど
苦しい反省ばかりでAさんは苦しんでご自分ばかりを責めていました。

確かに義母さんにとって息子のお嫁さんであるAさんのことが、

初めから気に入らなかった感もあります。
嫁姑というものはなかなかむずかしいお宅が多いものです。

ただAさんはご自分を責めすぎて、心身ともにまいっていたのと、

何もAさんだけが悪いわけではありませんから、

もっといろんな力や支えや協力が必要だったのです。

Aさんに介護を任せて他の義姉弟は無関心でした。

義母さんはもう霊的な世界にいますから、

生前の気持ちが徐々に薄らいできています。

ですから義母さんが恨んで取り憑いていることもありません。

そういう事もご説明したのですが、
それでもAさん「もっと面倒見れなかったか、

私が小言にガマンできなかったのがいけなかったのではないか・・

私が悪かったのではないか」
そう繰り返しては苦しんでいらっしゃいました。

 

これではご自分をいつまでも縛り付けて
自分でおまえが悪いと鞭でたたいているようなもので

いつまでも心が痛いままです
過去はできる限り心から手放して記憶は残りますが、

執着にならないように、過去は学びです。

やさしいAさんはボランティアもされたり、

ご家族のことも大切にされてきました。

義母さんのことは、お寺で護摩木でご供養をしていただき

Aさんの思いを込めて、

これで義母さんと心の仲直りをしていただくように

参拝していただくことにしました。

 

「一つ区切りをつけることで気持ちが解放されたようです」とおっしゃっていました。

Aさんはがんばって日々を前向きに過ごされています。

生きると言うことは、乗り越える問題が次々とありますが、

どう思いどう乗り越えていけるか、

乗り越えた後に思い残しがないように

できる限り一生懸命になさって来たのですから

苦しみ過ぎないように 

良き日々でありますように

 

霊感が働く方は人の思っていることも感じとってしまうことも多いのです

霊感でもちろんすべてを感じ取るわけでもないのですが、

一度思いこんでしまうと相手は絶対にそう思っているに違いないという方向にいってしまい、

エスカレートしてしまうと想像でつくり上げてしまうことにもなりかねません。

 

相手のイメージをつくりこんでしまうと、

こうではないかあーではないかと思いを巡らしすぎてしまったり、

自分のことを考えるよりも人のことばかり考えこんで

身動きがとれなくなってしまうこともあります。

 

そういう時間はただただ苦しい。

そして楽しくありません。

それに相手が変わるのかというと変わらない、

唯一変わる可能性があるとはっきりしているのは自分だけです。

 

思い続けるか思いを手放すか・・・・・

思いだけに心を巡らせるのではなく、ご自分がいまここにいることに、

小さな幸せと感謝を常に感じようとすること。

 

つまらない一日でもどれほど幸せなことであるかは、

大震災などで住む場所も追われ、

不自由な生活を強いられる方々をみればよくわかります。

 

つらい人がいるから我慢しようというのではなく、

「しょげていたら、自らをもっと追い込んで留めを刺して起き上がれない気持ちになってしまうよりも、

自分を苦しめている考え方をほんの少し切りかえてみることも大切です」

 

それでも人はいまあるところよりもより幸せな明日を望みます。

よりよい明日を望むからには今日の笑顔が次の笑顔を生み出してくれます。

感が強くても、相手のすべてが読みとれてわかるわけではありません。

 

特に悪いほうばかり気になるときには欠点以上に評価が厳しくなります。

悪意はなくてもそれこそ箸の上げ下ろしひとつにも

すべてが感に障ってくるかもしれません。

マイナスの連鎖を引き起こさないようにご注意。

 

 

 

心穏やかに

朝目覚めて気持ちが晴れ晴れとしている日もあれば、

今日も1日過ごすことが大変だと思う日もあるかも知れません。

低気圧だと心身も重たくなりがちでもありますが、

それでも今日も1日がんばらなければなりません。

 

身の回りのひとつひとつに気持ちを向けてみることも良いですね。

 

例えば部屋に飾っている花の写真があるとしたら、

改めて見直してきれいだと思えるように

気持ちを少し変化させていくことも大事です。

 

ゆっくりがんばって
お休みなら、体を動かさなくても、心はいろいろ考えます。

心は動いていますから、負の思いで満たさないように、

願うことご家族への思いお気に入りの置物へ意識を向けたり、

鉢植えの花を見つめたり、心が尖らないように、

 

リモートワークが増えていますが、

人とのコミュニケーションがとりづらいこともあり

ストレスを抱え込みやすくもなってしまいます。

 

散歩など気分転換も気持ちを変えてくれるものです。

生きることは何をしたかも大切ですが、見えない心が何を思うかが大事です。

思いの粒子はつながって行くことになります。

 

自分にも環境にも満足できない。
つらいと感じるときもあるかも知れません。

都会の中で不自由はなくても

自然環境とかけ離れていることも原因かも知れませんね。

お部屋にポトスなどあまり手間のかからない植物でも置かれて

育ててみることも良いですね。

とくにマンションなど3階以上くらいになると、

地の気が届きにくくなりやすいので、

植物も大切にしてください。気を補ってくれます。

 

心穏やかに

 

 

人(相手の)のことを思いすぎてしまう人の弱点

人のことを思いやることは

やさしい気持ちがあるからこそですが、

その思いやりの心が、

情が深すぎてしまいときに

相手から弱点を攻撃されてくるような出来事も

人生の中で起こることもあります。

 

例えば、落ち込んでいる相手に心配のあまり、

良かれと思ってメールや電話で毎日のように

話し相手になって上げてそれが当たり前になり過ぎてしまったり、

 

親しい人に困っているからお金を貸してほしいといわれて、

何度か貸しているうちに、少額であっても

借りる方も当たり前のように借りにくるようになってしまい、

貸せないというと「いままで貸してくれたのにどうしてだ!」と

逆ギレさえされるように、

よかれと思いやってあげたことが

結局相手の弱点を増長してしまう結果にもなり、

自分自身も苦しむことになってしまうこともあります。

 

お金に限らずですが

相手の要求だけを満たしすぎて、

その結果何もお互いのためにならないこともあります。

霊的にも相手の霊に負けてしまうのですから、

人にも霊にも入り込まれる隙をつくらないように。

内面の自分(霊的な自分の真我)を見失わないように。