昔は大事にされてきた家のお稲荷様のこと

 

ある女性が、ときどき夢の中でお稲荷さんのキツネが出てきて目の前で座って、

 

「何も言わないし、どんな気持ちかも伝わってこないけれど

毎年数回は見てきた夢で、

 

もしかしたら自分はキツネ憑きとか、

良くない霊に影響されているのかと思っていたそうです」

 

実際ある霊能者のところに行ったときに

 

「それは大変な狐が憑いているから、とるのに時間がかかる。

狐とかたくさん低級霊が視える」

 

そう言われて怖くなってしまったそうです。

 

それでも気になって仕方がないのでいらしていただいたのですが、

霊査していくと小さな鳥居が視えてくるのと

 

その前にたくさんのお供えものや

祈っている人たちの姿が出てきたのですが、

 

相談に来られた女性は

「自分の家ではそういうことはしていないのでわからない・・・」。

 

しばらく考えて

「でも、父方の先祖が昔に大きな商家を営んでいたことを聞いたことがあります。

自分も小さい頃にその家のあった場所に連れて行かれたことがありますが、

 

そのときにはもう住む人もいなくて広い敷地でしたから、

すごく寂しい感じがしたのを覚えています。

 

今では過疎化してしまった村なので土地もそのままに残ってはいます。

 

お話をしていて思い出したことがあるのですが、

そこの庭に小さな祠と古びた鳥居のようなものがありました」

それを思い出してくれました。

 

商家では今でもよく、お稲荷様をおまつりすることがありますが、

 

このお家のように誰も継ぐ人がいなければきちんとお礼を伝えて

 

お清めをして神ごとを終わらせることが必要です。

 

それを伝えるためにときどき夢に出てきたのと、

 

昔は大切にお祀りしてきたので神霊の怒りはないものの、

 

未だ不十分なことを知らせてきたのです。

 

その後お稲荷様を祀っていた神社へお礼参りとその神社できちんと御祈祷をしてい

 

ただいて夢も見なくなったそうです。

 

お迎えした神様はお返しされるときにも大切に。

 

どうぞ感謝を込めて

 

 

 

電話のノイズなど 霊的な介在

 

ある方と携帯電話で話をしていると、

ものすごい雨音か砂嵐のような雑音と、

ブチブチ途切れてしまうこと、

ときには電話が完全に

切れてしまうこともあるのです。

 

また相手の方にこちらの声が

まったく聴こえなくなったりなどなど・・・

 

ただの電波異常でないことがはっきりわかるのは、

霊的な核心を突くお話しになったとたんにおこるのです。

 

例えば出張などのお話をしているときに

お家の場所を伺っているときなど

急に雑音が激しくなったりするのです。

 

霊も磁気を帯びていますから、

人の話を聞きながら霊たちの感情が動き出すと

エネルギーが集中してくるように、

 

言葉ではなくエネルギーで

答えがかえってくるようなこともあります。

 

霊的な介在にはいろいろありますが、

電話が切れてしまうようなときには、

マイナスエネルギー(負が多い)に満ちています。

 

不浄仏霊の固まりだったりします。

もしもみなさんがどこかに行かれたりした後など、

 

友人同士でも電話で話しているときに

そんなことが続くようなら、

神社かお寺へ出かけて参拝してください。

 

それほどひどくなければ、

それで波長が変わりますからおさまってきます。

 

気持ちの良い神社かお寺で、心から手を合わせて気を整えられると良いです。

 

鹿島神宮(御手洗池) 茨城県鹿嶋市

 

おまいりを邪魔されているのでしょうか?

 

気の良いところであれば神社やお寺は

おまいりにいらしていただくこともありますが、

ある方が神社の鳥居の前についたときから、

急に足が重たくなって、ようやく本殿に歩いていくと、

今度は参拝前にそばに誰もいないのに、

 

持っていたバッグを叩かれたように感じ、

 

首もとを引っ張られたりする感じがあって、

 

「ようやくお参りしたけれど、

 

誰もいないのに霊が依ってきたのでしょうか?

 

おまいりを邪魔されているのでしょうか?」

 

と不安でご連絡がきました。

 

これまであまり神社へ参拝したことがなかったため

 

とても不安になってしまったようでした。

 

これは霊たちの存在が、

おまいりに行くことを受け入れて喜んでいるものと、

畏れて受け入れがたい霊がいますから、抵抗をするのです。

 

はじめのうちは多少は仕方がありません。

 

ある方はお寺にいかれたとたんに、門前で足が止まってしまったり、

足がなまりのように重たくなってしまう人もいます。

 

霊的な反応を受けやすい方はこのような体験をされてしまいがちです。

 

そのためにも。浄化できることが必要です。

 

今後、何度かおまいりにいかれると、

だんだん落ち着いてきますので心配ありません。

 

自信をもって、

これだけ反応しているということは、

内在していたということでもありますから、

おもてに出て浄化していきます。

 

神社やお寺は気の流れを整えてくれるところですから、

気持ちがよいと感じられるところは出掛けてください。

 

 

真清田神社(ますみだ神社)愛知県一宮市

子供なりに笑ったふりをして無理に皆に合わせていた

 

お子さんは大人をよく見ていますし気も使っていますが、

感性が強いお子さんでしたら友達と遊んでいても

なんとなく皆と同じようにおもしろく笑えない。

 

子供なりに笑ったふりをして無理に皆に合わせていたり。

 

小さい時から人の気持ちを察してしまいやすく

感情が伝わってきてしまう事もあります。

 

大人の人にもなんとなくだけど、この人はどう思っているとか、

やさしいことを言ってても、すごく怒っているなとか・・・・

 

気になりすぎてしまい、だんだん友達と遊ぶのも嫌になって、

学校にも通いずらくなってしまうこともあります。

 

人嫌いではないですし、家族とも仲良く話せる、

人が思っていることと行動が違う人がいることもわかる。

 

感受性が強すぎるために、怖がりすぎてしまっているのです。

 

たとえばある特定の人と会うと、

体が重たくなったり、威圧感が強くて疲れたり、

 

そういうときにどうするかを考えておくことが大事です。

 

ただ感受性が過敏な場合と

霊的な感受性が強い場合とタイプは違う事もありますが、

 

余りにもたくさんの物事を感受してしまうと疲れすぎてしまいます。

 

気の変わることをして

整えていくことを必要としています。

 

お子さんがとても過敏な体質だとしたら気分転換をしてあげることも大切です。

 

その人によって落ち着くところは山が良いとか海が良いとか異なりますが、

お近くの公園がほっとするなど人それぞれです。

 

より良き人生でありますように

富士山元宮 山宮浅間神社

思うことが現実化していくための力、徳をもって

 

思うことを自分の将来のために、

 

なにかをしていくことで、

 

将来手にいれることのできる人生になります

 

よほどの欲やわがままでない限りは可能です

 

ただ現状に不満や悪口雑言ばかりや、

 

つねに他人の悪い批判と人に恨みや妬みをもち続けていくと、

 

例え金銭的に裕福でも、

 

自分の心を破壊していることになります

 

徳がなくなるのです

 

徳というのは正義や善から生じた恵みです

 

自分がつくる徳、先祖が残してくれた徳

 

自分がつくる徳は、

 

心に悪意を持たず、思いやりをもって

 

人のことを大事に助けたりできること。

 

先祖が残してくれた徳は、

 

欲深くないご先祖が人のために施した功績でもあります

 

徳を積んでいける人は、長続きしていけます

 

目には見えない力にも守られていくことができ

 

思うことが現実化していくことも増えてきます。

 

穏やかな日々でありますように

 

茨城県日立 御岩神社 参道

 

加藤眞澄ホームページへ

 

ご先祖とお墓と供養

 ご先祖からのつながりで我々は現在があります。

供養のやり方は宗教的にもいろいろです。

先祖がつくったお墓がある場合。旧家なので代々お寺の檀家として大切に継いで守っているお家。

 

また、祖父母の代から違う土地に出てきたために先祖の墓がどこにあるか知らされないまま、新たに父母の墓が霊園にあるのでお盆にはお参りはしているなど・・。

このようにさまざまなケースがあります。最近では少しずつ変化してきており、どのようなご供養が適切なのか、またお墓も必要がないという考え方で、

散骨を望まれたり樹木葬や合祀墓と余り形に捉われることなく自然にありたいと願う人も増えています。やはり個人の遺志を重要視することが大切です。

 

 檀家制度は江戸時代に始まって以来、形骸化されて霊的な世界に旅立って逝かれたご先祖への思いや供養をお寺に託していくことになり現在に根付いてきました。

立派な戒名をいただき、墓も建立し、お坊さんにお経を読んでいただいて先祖を大切に敬い供養することも受け継がれてきた、きれいな供養の方法の一つだと思います。

先祖を介して過去を供養していく思いは現世の家運繁栄にもつながりますし、先祖も守ってくれます。

それでもただお金をかければ良いというものでもなく、先祖を敬う気持ちや感謝できること、亡くなった方へ供養の思いが大切です。

 

生きている側からすると亡くした父母や兄弟への思いや記憶は特に新しく、つながっていたいという気持ちの表現がお墓の姿になることは古代からありました。

 

宗教的な問題は現代ではこれもまた自由です。先祖や父母を思いやり供養をすると考えるなら、いま私たちは先祖から身体と遺伝子を受け継いでいるわけで、これ以上どうやって供養をしたらよいかと悩むよりも、

自分自身を大切にして生き抜いて人生を守っていくことが最高の供養でもあります。

それすらも粗末に考えていたら、たとえどんなに偉い僧侶に拝んで供養していただいたとしても、立派なお墓を建てたとしても気持ちが伝わらないのと一緒です。

形だけお線香だけ焚いていればそれでいいということになってしまいます。

直接血のつながりのない養子の人でも、先祖を守っている人もいます。

どちらにしても「縁」でつながっています。

 

本当の供養とかを考えていきますと、自分という存在が過去から受け継がれてきた、そのことに関して否定をすることなく、自身の過去を肯定し、受け入れることを思惟していかなければなりません。

 

 幽霊と言われる意識体が強いものはいまだ存在しています。供養して欲しいものが訴えてきたり、人の意識に入り込んできたりします。

お盆やお彼岸など霊的な現象も多く起ってくることもありますが、今後霊的な世界と人間界は非常にリンクしやすくなってきますから、物質的なこだわりの供養から形はシンプルでも魂魄を込めた供養にもなってくるのだと思います。

ご自分自身も大切に

 

 

 

お稲荷様 白狐さん T子さんの話

ご本人の承諾を得て掲載しています。

T子さん(40代主婦)は最近疲れているせいか何となく落ちこんでくる。

とくに大きな悩みでもなく、いつもと同じ日常の中で

 

だんだん落ちこんで鬱のような心境でした。

それでも仕事にも行けるし家事もできる。

けれどもだんだんと、とても落ちこんできて、

 

そのうちに仕事のとき以外では首も下を向いてしまい。

考えることもマイナス思考ばかりで何もおもしろくないし、

心の中が日々ネガティブになってしまう。

 

そんなある日、T子さん自分の右肩に白いものが見えた気がして、

はじめは気のせいかと思って確認するとまたも白いものがみえる。

 

顔だけでしたがふっくらした白狐の顔が見えるのでした。

そういえば毎年行っていたお参りに今年お詣りに行ってない!

事を思い出しました。

 

T子さんご家族はご主人のご実家を手放して引っ越しをしました。

手放したご実家の土地では周囲も

お稲荷様を祀っているお宅も多かったのですが、

しかし時代と共に敷地にあった外宮も無くされて、

のかわり毎年きちんと本社へお詣りしましょうという話しをしていました。

それが今年はいけないまま忘れていたのでした。

T子さんがだんだん落ちこんできていた理由なのです。

 

ようやく思い出して参拝に出かけたT子さん、

早速ご本殿でお詣りして、気持ちが晴れてきて

落ちこんで下を見ていた気持ちも

首も上に上がってきたのには自分でも驚いたそうです。

 

いくつもあるお社の中に自分の右肩にみえたのと同じ

姿をした白狐のお社がありました。

 

今回はご祈祷も受けて、これからは忘れないように

年一度は参拝に来なければと思い帰路についたのです。

 

※ご先祖代々家の氏神様として恩恵を受けてきた神様を

形は違うかもしれませんが大切にしていくことが必要なこともあります。

 

 

 

里山、山神 土地神、守り

 

最近は里山田舎暮らしにあこがれている人も多くなってきました。

実際に里山暮らしの為に都会から地方に引っ越していかれたご家族もいます。

 

そのご家族は地方の暮らしにも馴染むのが早く、

お仕事は会社までは車で一時間弱かかりますが、

ご主人は休日は自宅で家族用の畑仕事をする事が楽しみで

「大変だけど自然を感じられて力をもらっている気がしている」そうです。

 

ただしばらくすると畑仕事をしていると

となく誰かの声がするように感じるようになった。

 

誰かに声をかけられているような気配がして

振り返ってみても誰もいない・・・・・

そんなことが何度か続き、あるとき一緒に畑仕事をしていた奥さんに

「いま誰かの声がしなかった?」と聞いても

「いいえ別に、私は何も話していなかったし誰の声も聞こえなかったけれど」

と言われたり、そういうことが何度か続いたのです。

 

お話を伺っていると、声無き声の存在は悪い感じもしない、

けれども何を言いたいのかを思ったときに「山に来い」

という声なき声で伝わってきました。

 

霊的な姿は白髪の老人のようで毅然とした姿が出てきます。

山と土地の守りのようです。

 

「とにかく一度家の裏手側の一番近くの山へいかれてください祠があるはずです」とお伝えしましたら、

「そこにはまだ行ってないですが、小さな神社の祠がある」という話を

地元の人から聞いていたそうです。

 

山とこの土地を守る、昔からの山の土地神がいますから

一度ご挨拶にいって、お供えをして

お参りをしてくるようにお伝えしました。

山も土地も守る為の神霊もいるのです。

 

実際このご主人はお参りに出かけて、

お供えのお酒をもっていくと

その山で声がはっきり聞こえてきたそうです

「やっときたか。よーくきたな」と聞こえてきたのと、

「大切に暮らし土地を大事にすることを見守っているぞ!」

という気持ちも伝わってきたそうです。

 

里山も古くから何代も大切に暮らしてきたところを、

守ろうとする意識も強く残っていることもすくなくありません

新しいところへいったら、

まずは氏神様からお参りをして住まい始めていくことも、

新たに住む土地の縁とつながり

過去の歴史への崇敬の念をもって

大切に住まうことの意味でもありますから

ご縁をいただいた土地の神様も大切に。

 

※写真は本文とは関係ありません

出会うこと 思うこと

良きことが自分の周りに集まる人は

心が後ろ向きにはなっていないときです。

良くない出来事ばかりだと

どうしてもあれがいけなかったからだ、

過去の後ろを振り返ってばかりになりやすく、

 

自分は今日もダメな一日だと思うと

本当にダメな一日となってしまうことが多く、

たとえ誉められても

「ダメな自分がどうして誉められるのか、

どうせお世辞かからかわれているんだ」

と捉えてしまうことになります。

 

苦しいこと探しで一日が

終わってしまうことがあるのなら、

自分の心の置き所をお参りに出かけるなどして

神仏にゆだねることも大切です。

 

見えるところだけで生きているわけではありません。

自分の心の中だってすべてみえるわけではありません。

けれどもその自分が鮮明に自分の良いところ、

他人の良いところを見つけ出さないことには

人生苦しみ探しの旅になってしまいます。

 

怖いと思っているとすべてがそのように見えてしまう心の不思議。

犬が大好きな人はどこに行っても犬に出会い

猫が好きな人はどこに行っても出会うことが多い。

 

物事はどこにもあるものに、

どの気持ちがあるかで

「出会うか、出会わないか、出会っても気づかないか」

になってしまいます。

 

良き流れに出会えることは

霊的な影響次第でも変わります。

そして大事なことは自分自身の気持ちが

マイナスを呼び込むほど落ち込む前に

見えない力に頼りゆだねることを奢らずに忘れないこと。

よき日々でありますように。

 

お守りが身代わりになり守ってくれることも

神社やお寺でいただいたお守りは持っているだけで安心できますし、

守られていることに意識を向けることもできます。

身につけていたお守りが切れたり、

いつの間にか無くなったりしてときには身代わりの役割もあります。

知人の女性が車の衝突事故に遭ったときに、

相手の車が自分の方へ向かってくるときに

車の内側の運転の邪魔にならないところに、

付けていたお守りが落ちたのをハッキリわかったそうです。

車が衝突する前にお守りが先に落ちたのです。

女性は軽傷ですんだのですが、

避けられなかった事故の中でも守られたことを強く感じられたそうです。

お守りが壊れたり無くなった時は身代わりでもあります。

より良き日々でありますように