人の悩みが重たく感じてしまう人

人の悩みの中に気持ちが入り込んでしまう人がいます。

 

例えば、友人や知人と話をして悩みやグチを

 

親身になって聞いているうちに、

 

とても相手の感情や感覚意識に入り込みやすくなってしまう人がいます。

 

ときには話している当の本人よりも

 

気持ちが入り込んで、悩まされてしまうことになったりするかもしれません。

 

単純に心配性で考えすぎではないかと思われがちですが、

 

このような方はとても感受性が強く霊的な感性があることが多く、

 

人の気持ちが伝わりやすいのです。

 

人の世界も霊的な世界も思いの意識につながります。

 

一人に解放されたときには、気持ちを切り換えて深呼吸!

 

聞かされた悩みやグチを「吐き出して」

 

新しい新鮮なやさしい空気を「吸い込んで」切りかえて、

 

そしてお参りや森林浴ができたらよいですね。

 

気を入れ換えていけますように。

 

嫌われている

周りの視線が冷たく感じられて、

 

自分は周りの人たちからどのような人間に思われているのか、

 

そして嫌われているのではないだろうか・・・・

 

感受性が強く霊的な感性も強い方がそういうことを思いやすいのです。

 

そこまで考えてしまう人は人に対して気を使いすぎてしまうために

 

そういう感覚がエスカレートしてくることもあるのではないでしょうか。

 

人を責めないけれど、自分を責めてしまいがちになったり、

 

人に気遣いをし過ぎてしまい、話も合わせるし

 

人の心(内面)までもが気にかかってしまうのです。

 

感の鋭い人は他の人と同じ部屋に居るだけでも

 

圧迫感を覚えてしまうことにもなり、

 

少しでも異和感に反応してしまうことになってしまいますから、

 

ご自分の個性でもある自身の気持ちと感受性の高さに

 

気づかなければなりません。

 

何よりも、相手はもちろん自分がいけないのだと責めすぎず、

 

負に囲まれているような気持ちから

 

わっていくことも大切ではないでしょうか。

 

霊的な話をしていると顔がしびれたり手がしびれてくるような感覚がある方もいます

霊的なお話をしていると、顔や手などがしびれてくる感覚になる方がおられます。

 

すべての方がそうなるわけではありませんが、

 

いっときそういう状態になることがあるのです人によって、

 

「いままで自分についていたもの(霊)の意識が出てきて一生懸命に話を聴いているような感じがします」 と言われる方もいます。

 

霊的な世界は肉体ではありませんから、思いの意識が人の感覚意識に働きかけてくるような状態です。

 

その意識が、強く出てきたときにこのような現象が起こることもあり、

 

 

肉体が「死」を迎えても、すぐには霊界に移行できない場合で、

 

 

人の気持ちと霊たちの気持ちが動き始めたときに起こってくる現象で、

 

 

心(感情が)表現し出して人の感覚に影響を及ぼしてくるような状態でもあります。

 

 

ご自分で霊が見えるわけではなくても、霊がいるなと感じたり、

 

 

姿は見えないために霊的なことのご相談でいいのか迷われるかたもいます。

 

 

けれども感受性が強い方はお会いして話をしていると、

「自分より先に特に顔の前面にふわっと何かが出てきたように感じられたり、手のしびれ感が強くなってくることもあります」。

 

 

霊的なことを感受すると全身で電気のようなしびれ感を感じやすい方もおられます。

 

 

霊もまた電磁波を持っているため、霊的なスポットに行かれて体感されることもあるかもしれません。

 

 

もちろんあくまでも感覚ですから、病気とは違います。

 

 

しばらくして徐々におさまってくるのでしたら問題ありません。

 

 

霊的なものたちの時間が進み始めたことと、自分たちの意識感覚がまだ人間的な世界に近いところにありますから、人の感覚の中で現れてくるときもあります。

心に聞えた声なき声

ご本人のご了承をいただいて掲載しています

時折お会いするご相談者のAさんが、亡義父さんの古いお守りを見つけて、

 

どうしようかと写真を撮ろうとすると心の中に「撮ってはいけない!失礼なこと!」と伝わってきたそうです。

 

後日ご相談に来られたときに、お守りで反応しているので、

 

 

幸い半日でいける神社でしたから、

 

お礼参りとお守りをお返ししてきてもらうようにお伝えしました。

 

その後あらためてお守りをお返しにいかれたそうですが、

 

Aさんも10年ぶりくらいに参拝に訪れた神社で、

 

早朝に出かけたため境内は参拝の人もまばらでしたが天気もよく

 

心地よくお守りもお返しできて参拝して、後ろへ下がろうとしたその時、

 

「努力に勝る宝なし!!」という言葉がストレートに心にポーンと入ってきたそうです。

「今のは何?」自分の思考ではないのは確かなのです。声ではない声で力強く伝わってきた。

 

心に聞こえた。

ちょうどその頃はAさん義父母がご高齢で相次いで亡くなり、

 

相続の話しがでて、ご主人の異父兄がいることが判明し、

 

当然そちらの兄弟にも相続が発生するため、予定していた支払い運用などがすべて変わってしまう。

そのため、Aさんはご主人が受け取れるはずの資産が

 

かなり少なくなるのでまるで「宝をゴッソリ失ったという気持ち」とでも言う表現に近い気分で

 

Aさんもご主人も義姉さんも
落胆していた時期でした。

 

お話しは戻りますが、

 

こういうときに「努力に勝る宝なし」と神様に言われたことに気付きました。

 

神様からみれば、宝は物質的なもの以外を示して言ってたのです。

 

Aさんご夫婦は家業の手伝いもしながら義父さんには金銭的にもお世話になってもきました。

 

おんぶに抱っこして生活いたかも知れない・・・

 

現在はAさんご夫婦、出来るお仕事をしてがんばっています。
「努力に勝る宝なし」
宝は金銭だけのことではないですね。

 

勉強して学んだこと、
習得したこと、信頼など

 

落ちこんでしまいつらい

落ちこみやすいというのは誰にでも、何かのきっかけであるものです。

 

「自分は落ちこむことなどまったく関係ない!」という人でも、

 

失敗が重なったりショックな出来事が起こったり、ふとしたきっかけが気持ち

 

を落ちこませてしまい、

 

ものごとをマイナスに考えやすくなってしまい「うつ的」になってしまった

 

り。

 

体も心も動きづらく、人との時間のスピードに

 

合わせられないような感覚にもなるのではないでしょうか。

 

いろいろな治療を受けたりされている方もおられるでしょうが、どんな解決法

 

もどれもが正しいのだと思います。

 

そういうことにちょっとだけスピリチュアルなことをとりいれて、と言っても

 

難しいことではなく、

 

ご自身の心身と魂を結びつけている世界に気持ちを向けて考えて、

 

 

こころの置き場をつくっていくことも解決法のひとつでもあります。

 

感性が強い人は、人の内側の気持ちも伝わってしまうこともあるので、

 

内面的に苦しくなってしまいがちにもなるので、

 

神仏を祀る気の流れの整ったところへいかれて、

 

神社仏閣など気持ちもリセットして

 

人生進んでいかれますように

 

 

加藤眞澄HPへ

「魔界・魔物」について

魔界とか魔物とよばれる世界は、「低級霊」 と混濁してしまいがちですが、

 

簡単に説明してしまうと 「低級霊より、もっと地獄」 なのです。

 

低級霊なら、自分が何者かどうしたいかに関しては、我欲が強いために逆にど

 

うしてよいのかわからずに迷いの世界にいます。

 

低級霊 と違って、「魔物」 の違いは自分はどうしたいのか、なぜここに存

 

在するのかをよく知っています。

 

「低級霊」を操れるほどのパワーがあるのです。

 

むしろ低級霊は単純ですからこの「魔」の力には弱く服従して動かされること

 

もあります。

 

「魔界とか魔物」は説得して言うことを聞くような存在ではないのです。

 

魔には説得は効きません。

 

低級霊はまだ説得が効きますが、「魔」には心がない、怒りと冷酷な恨みや

 

ら、人が知る限りでの「苦が幾重にも無限に合体された世界」が「魔界」とい

 

う存在です。魔物がときどきそこから顔を出すこともあります。戦争に継ぐ

 

も「魔」の力でもあるのです。

 

プラスとマイナス、ブラックホールとホワイトホール、天と地のように、両方

 

の存在が必要なところはありますが、「魔」に出る隙を与えないようにしてい

 

かなければなりません。

 

「魔の世界」はその世界でだけおさまっていくべきなのですが、人の心に入り

 

んで自分たちが操っていこうとする動きも捨てておけません。

 

人の我欲がいけないのか、

 

人の心を占領しようとする魔がいけないのか・・・・・・・・・・。

 

どちらも良い訳がありません。人の慢心は恰好の餌食にもなってしまいます

 

、それに魅入られないようにしていくためには、正しいものと正しくないもの

 

見極めていくこころが働いてくれるだけでいいのです。

 

心が魔を受け入れないためには簡単なことですが空が青くてきれいだとか、澄

 

だ空気が心地良く感じられる自分があるだけで充分です。

 

心が魔を受け入れないためには何の武器も必要としません。

 

 

山の龍神が山から離れてしまった

ご本人の了承を得て掲載しています。

ある地方にお住まいのKさんは、

 

自宅の庭から500メートルほど先に見える山々があり、

 

その山の一つに大きな公園が出来ることになったそうです。

 

当然山の頂上は、木が伐採されてしまうでしょうし、

 

景観も変わってくることがさみしいと感じていたそうです。

 

あと何ヶ月で工事がはじまるという頃だったそうですが、

 

Kさんがいつものように明け方目覚めて雨戸をあけて山を見上げると、

 

 

もうすぐ工事が始まるという山から龍神が飛び立って

 

隣奥の山に飛んでいったのをはっきり見えたそうです。

 

「山の守り神、木の精霊か長い時代守られてきたものが

 

変化してしまうことがさみしいと思いながら、

 

龍神に自然と手を合わせていました」とのお話しでした。

 

自然界の神霊は姿だけでなく、

 

光だったり風だったり雷鳴だったりと多様です。

 

ただ人為的に手が加わり破壊しすぎてしまうと

 

戻らなくなりますから、うまく共存できるように願いたいものです。

 

 

例えば庭づくりでも気の流れを大事にされることも大事だと考えて、

 

お庭をすべてコンクリートで堅めすぎないように。

 

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霊的な影響が強くでやすい人

ご本人の了承を得て掲載しています。

B子さんは霊的な感受性が強いのですが、

 

人の感情にも動かされやすいところもあります。

 

職場でも特に揉めたりしたわけでもないのに、

 

一方的に相手から嫌われたり、昨日まではうまくいっていてもいきなり

 

意見が合わなくなることがありました。

 

新たな仕事に変わっても同僚との相性が合わず精神的にきつくなってしま

 

うとのことで、新たに変わったら、必ずその土地の氏神様にお詣りしてお

 

くようにお伝えしていたのですが、なかなか時間がとれずいけてないとの

 

こと。

 

このような方は霊的にも人の感情もとても受けやすいので浄霊もしていき

 

ますが、折々に神社仏閣へ行かれて気持ちと乱れた波長のリセットも大切

 

です。

 

その後B子さんは早朝の出勤前に氏神様へお詣りされてから 

 

職場に出ると、合わない同僚とのシフト変更をしてもらえたのです。

 

なによりお詣り後に精神的に楽になったそうです。

 

B子さん「自分でも霊的に影響されていることはわかっても気持ちが動か

 

されてしまう時もあります。

 

長年、神社、お寺も好きで参拝してきましたが、

 

参拝して気持ちや波動が変わるのか、

 

無理なお願いでなければ自然に叶うようになってきました。

 

人の感情や霊的に感じてイライラすることもありますが、

 

できるだけ深呼吸して一息つきながら判断するようにしています。

 

は神仏はとても大事な存在だと思っています」とのことでした。

 

長年真摯に受け止めてこられた結果でもあると思います。

 

 

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霊は意識の中に存在します

霊というだけで、怖い顔やお化けを連想することは、多いと思います。常日頃

 

に「霊」をとりあげるとお化けで出るようにあらわされてきたせいでもあるでし

 

ょうが、姿が出てくれば確かに霊だとわかりますし、それこそ体を通り抜けて

 

いくような体験に遭遇したのなら嫌がうえにも納得せざるおえないでしょう。

 

けれど霊といわれている存在は姿そのものが残るというよりも、肉体はすでに

 

ありませんから気持ちが残るのです。

 

例えば、まだ小さなお子さんがいるのに、親がある日突然の病気や事故で命を

 

落としたとしたら、おそらくお子さんのことが心配で心配で思いが残ることに

 

なるでしょうが、けれども体がすでにありませんから、気持ちはあるけれど、

 

実際に抱きしめてあげたりすることはできません。

 

このような場合には、おそらくお子さんを、今後面倒を見て育ててくれる人の

 

意識の一部をかりて子供さんを見守り、ときには気持ちを伝えてこようとする

 

かもしれません。

 

それとはまた違う意味で、亡くなった後も気持ちが残り、人を恨んだり、行き

 

場所さえ迷っている意識世界に入り込んでしまう霊もいます。

 

四面楚歌のような霊的世界で身動きがとれず、自分が何者かも説明できない世

 

界でもがき、肉体も存在しないために人の意識に入り込むこともあります。

 

人間もいつも精神的にベストな状態ばかりではありませんから、ときに落ち込

 

みやマイナス思考や極端なストレス状態になったときに、意識がコネクトして

 

しまうこともあります。自分であって自分ではないような感覚にもとらわれや

 

すくなることも現象の一つです。

 

特にもともと霊感の強い人が体験しやすいのですが、意識に憑いた霊を救うこ

 

とも必要ですが、まずはじめに自分自身が気付いて受け入れること。そして見

 

えない世界に手を差しのべていくことが霊的な解決の糸口になると思います。

 

嫌だと思うことを、受け入れて考えてみると以外とスムーズに悩みの扉が開い

 

てくるときもあるのではないでしょうか。

 

気持ちや考え方を変化させながら乗り越えるごとに、しあわせが「心の中に姿

 

をあらわしてきます。

霊のきもち

霊感というのは霊が視えることや、声が聞こえてしまう現象、

 

感が鋭い人のことを主に霊感が強い人と言われています。

 

霊感が強くて視えてしまうことが当然のできごとと思う人も少なくありません

 

が、感が強すぎてしまうがためにどこに出かけてもいつも霊的なことを感じと

 

ってしまう人もおられます。

 

霊というと嫌な存在ととらえてしまうと解決しにくいもので、むしろどうして

 

霊として残っているのか、どうしたいのか、何かを伝えたいのかなどをコンタ

 

クトしていくことでもっと気持ちが伝わってくることもあります。

 

ある地方の方で、ご実家の所有する山に入ると誰もいないのにもかかわらず、

 

いつも怖くて誰かに見られている感じが強く、

 

それでも山の管理に入るときには必ず木刀を持って、

 

「エイッ」と空を切ることで恐怖心と自分を囲むようにいる気配のする

 

霊たちを追い出そうとしていた方がいます。

 

これでは追い出すよりも気持ちが戦ってしまうことになりますから逆効果でい

 

つまでも浄化できないこともあります。

 

霊でも自分という存在をわかって欲しいこともあります。

 

悔しさや、泣いたり悲しい意識を残しているためにこの世に気持ちが残ってし

 

まっているかもしれません。

 

霊感が強い人の中でも霊の気持ちを理解していくことによって、その霊が「悲

 

しいと言っている、怖がっている、助けて欲しいと伝えてくる、救われたいと

 

思っている」など感覚的なことを次々に振り分けていくことが出来てくると、

 

上手に霊界とコンタクトすることが可能でもあります。

 

ときには霊の気持ちにも心の耳を傾けてみることも方法のひとつです。