私達も霊的な存在です

私達も霊的な存在です

「霊はいるのかわからない」「わからないけれど知りたい!」「視えないから信じられない!」「でもお化けの話は怖い!」 怖いという感覚とか感情が出ているということ事態が、すでに心の奥底でその存在(霊的な)を知っていることの答えなのではないでしょうか。

人は経験したことに対しては、回避しようとか気をつけようとか、怖いとかを自然に防御しようとするからです。

例えば、歩いていて自転車が急に曲がってきてぶつかりそうになったときに、次に同じ場所を歩くときには「ここは危険だから注意をしよう!」というように記憶に残り、自然に回避しようと心がけるものです。

意識の世界においても同じで自然に心が動かされてくるのです。人として目で見えて、手にとって感じることのできない不安はあると思いますが、「霊という存在がいるのかどうかを知りたい」というように心が動かされてくるのです。

仮に「霊も何もあるわけがないから、知りたいと思うこともやめたほうが良いですよ」 と言われたらどうでしょう。それこそ考え思うことが断ち切られてしまいます。

「やはりそうなのか」と思う人もいるでしょうし、「いいやそんなことはない」と考える人といるでしょう。まさに感性の世界で精神世界は人間界に根付いてきています。

ご自分の心の奥底で知っているから受け入れたいと感じられるのです。

私たちは人間になって生まれてくるためには母親がいて父親がいます。

その前はどこにいたかを想像してみてください。

少なくとも人の姿では形ではなかったということは理解できます。

分子とか原子とか素粒子の存在です。みな同じく4次元の中で意識が漂いながら生まれてくるための準備をしてきたのです。

いまは3次元で生きて物事を判断している世界ですからとらえにくくなっているのは確かですが唯一自身の霊的な存在に意識が向けられるのは、「心の感受性」です。

霊の意識を心が感受してコンタクトをするようなものです。

心とか、考えることは人には脳があるから脳がすべてを司っているのだから、心なんて脳の一部なのだ。悲しくて泣くのも笑うのも感動することもすべて脳が動いているから成り立つんだと思う方もいるかもしれません。

確かに脳という存在は3次元に生かされるための物質的システムとしては肉体にとって大変重要な機能で多くを司ってくれるのだと思います。それを創りたもうたのは、ただ単なる進化だけではないはずです。話が前後してしまいましたが、ご自分の霊的な自由な霊性は心の奥に存在しています。時には考えずに感じることも大切です。

霊は、霊体そのものは私達すべてに備わっています。一番身近なのは心であり意識なのです。

何ごとにも一生懸命にやってみたがこれ以上考えられない、もうできることはやり尽くしたと、すべて詰め込んで考える事を離れてボーっとしたときに、よい名案や発想が生まれてくることもあります。自分の内的な世界からのしあわせなインスピレーションも逃さないように。

 

霊的な影響で二重人格のような現象

自分以外の人と接するときに多くの場合気を使っているものです。

たとえば朝、家族と喧嘩をした日でも学校や仕事場に行っても何事もなかったように、他の人達には挨拶をし、なるべく平静を装って普通の会話をするように心がけるものです。

一部親しい友人には愚痴をこぼすかもしれませんが、なるべく関係のない人には喧嘩やトラブルのことは話さないし、話したくないものです。常に心は感情のコントロールをしていくようにがんばっています。

ただ感情の起伏が激しく、感情をコントロールできなくなると抑えているつもりでも、継続してしまい、これではいけないと思う自分の気持ちの中にそれを否定するかのような感情が、「怒りであったり」「人を責めることだったり」「自分を責めることであったり」など

とめどなく気持ちの中に別の意識がいるような感覚が続いてくるときには、霊的な影響も受けていることもあります。

霊的なものの意識は人間がマイナス意識に陥ったときに入り込みやすくなります。

(意識や感情が動かされやすくなるような状態)

自分は二重人格ではないかと思うくらい、いつもの自分とかけ離れた感覚があったり、ただ霊の意識に操られてしまうと、自分の感情に戻りづらくなってしまい、人格が変わることもあります。

 

自分らしく

霊的に影響を受けている場合には、ご本人の意識に戻していかなくてはなりませんが、第一に理解していくには自分ではなくて霊的な影響(仕業)であることも受け入れることです。

意識の中で霊と自分の違いを振り分けて行かなければなりません。

精神的な病気といわれることにもかなり霊的な問題が関わっていることも多いのですが、霊的に違うものが入れ替わっている場合もあり、同じ霊意識(低級霊)が違う人格であるがごとくに動いている場合もあります。

ある人の場合には、常に不安と猜疑心がだんだん強くなってしまったり、極端なケースではまるで子供のようになってしまうこともあります。

「自分が思うことだから自分ですよね」と言われる方もいますが、感情や感覚意識にも霊は憑くということもあります。徐々に自分らしく変化されていくことを大切に考えています。