同じところに留まってはいられない

 

たまたま電車で隣同士に乗り合わせただけなのに心地良い人がいるものです。

新幹線の肘掛一つでも隣の人を気使って肘をかけずに姿勢良くしている人など、老若男女の関係なくマナーのある人と接することは、お互いに居心地が良く快適に過ごせる時間を共有できます。

 

 けれども反対に平気で隣の人に肘がはみ出すくらい深く肘をかけてくる人、大声で携帯電話で話す人、足を思いっきり広げて座る人などは、隣の人も周りの人も不快ですし、疲れていたらなお一層まいってしまいます。

 

日常でも穏やかに心地良い人たちだけに囲まれて、できることならずっとそういう時間を過ごしていたいと思っても、穏やかで心地良い気持ちだけで過ごしていくことはむずかしいものです。

 

次の行動と約束や時間に移り過ぎてゆくのです。

マナーのない自分勝手な人とも電車から降りたら別れることになります。

良いことも嫌なこともその場に限りなく存在することはありません。

同じところにはいられないのです。

 

 毎日の出来事も一見同じようなパターンで日々過ごしているかのように思えますが、日常も違っていることに気づいてみると、なかなか面白いものです。

まず自分が考え方を変えてみるだけで見方も変わってきます。

 

どうせそうだからと自分でパターン化してしまうと、今日もまた同じでつまらないなということになります。惰性的に過ごすのではなく、日々何かを発見できるように意識を向けることです。空を見て流れる雲一つをとっても決して同じ雲は現れません。

生活している場はあまり変わらなくても、時間も人も自分の感情や思考は同じところにいることはないのです。  

 

 私たちの一生はそれぞれ皆異なります。

同じ環境に育っても同じではあり得ません。楽しくてもいつまでも楽しいわけではないし、同様に悲しいこと苦しいこともいつまでも続くことはありません。

 

ただ楽しいということ以外の苦しくて嫌な思い出は、尾を引くことが多く気持ちが乱されてしまいやすいのですが、自分の過去からの積み重ねをいかに受けるのか、重圧と受け止め立ち止まってしまうのか、あるいは強く賢くなるための経験として感謝できるかによって、先に進んでいくための瞬間瞬間の感情や思考はすべてが流動して存在しているのです。

 

体の細胞も流動して使命を果たしていることで、私たちの体は維持されています。すべての相互関係がうまく働いていかなければ、思うように人生は成し得ることができないのです。 

 

 人生が楽しいか、つらいかは価値観次第で変わることですが、どの時点で自分が支えられてきたかと考えるとつらいことが逆に自分を支えるパワーをくれていたりするものです。もっとも楽しいことばかりが続いたとして、自堕落なことになってしまうでしょうが、悲しく苦し過ぎても疲れ果ててしまいます。

 

いますぐの解決は不可能なことも山ほどあると思います。

けれどもほんのいっときでも、花を見て「きれい」とか、空を見上げて深呼吸できるゆとりを自身に与えていくことを意識して、次の流れに向かって進もうとすることで、心の時間が常に流動しトータルバランスがとれるのです。

 

この一瞬一瞬が同じところにはいられないのです。 

今できることからゆっくりと

 

石上神宮