生まれてきたくて生まれてきたか
この世に生まれてきたことに関して、退行催眠などで生まれる前の記憶をたどらせてみると生まれてきたくて生まれてきた記憶のある人と、わからないと答えたケースがあるようです。
催眠状態でなくとも生まれてきて良かったと考える人もいます。けれども「親が勝手に産んだから生まれてきたんだ!」と、自分が不本意ながらこの世に生まれてきたことを主張する人も多いし、このことでは誰もが一度は悩んできたかもしれません。
これはどちらとも言えることです。なぜなら魂の過去から捉えていくと、どうしてもここで、魂の世界には生まれてこなければならない道理(法則)があります。
流れに動かされてくるのです。親の責任でも先祖のせいでもありません。むしろ本当は自分自身の責任で人生を生きる役目と身体をいただいて生まれてきたのです。いつまでも親のせい、環境のせい、人のせいにして逃げてはいられないのです。何かのせいにして逃げていること自体が、最終的に自分自身を追いつめることになり、つらくしてしまうのです。
それならば自分自身だけが悪いのかと問われると、少し違う部分もあります。人が生まれてくるとき、それは「自分一人が生まれてきた」と、誰もが姿を見ればそう思うでしょうが、この世に生まれてくるということは、縁があって生まれてくるわけですから魂の前世の流れも共に誕生してきます。環境や状況の善し悪しにこだわる必要はありません。
すべてが必要であり、意味があることだからです。私たちの身体の機能でも無駄なところは何もありません。すべてが必要なものとして機能してくれています。
それが目には見えないものだとしても因縁だ、悪因縁だと恐がる必要はありません。善い方向に転換していくことが必要なだけです。つらい人生は修行だとかいわれることもありますが、苦行だけでは乗り越えられません。先ほど過去の流れも共に生まれてくるとは述べましたが、それだけではなく、より磨きをかけて肉体、心、精神、意識、霊性を通して魂が成長していくために、生まれるときと同時にいくつかの試練も与えられてくるのです。
生きていく上では、苦しくともそれらの試練を乗り越えて進んでいかなければならないこともあります。
ときにはこれ以上自分には耐えられないと何度も思いますが、ときにはこれ以上自分には耐えられないと何度も思いますが、きつくとも必ず自分が乗り越えられる事柄でありますし、そういうつらい状態のときに、自身のスピリチュアルな部分に心を向けることで周りの助けも得られます。
つらさにも自身を育ててくれるという大きな意味があります。ただつらいだけではありません。
(スピリチュアルカウンセラー・加藤眞澄)