ご先祖とお墓と供養

 ご先祖からのつながりで我々は現在があります。

供養のやり方は宗教的にもいろいろです。

先祖がつくったお墓がある場合。旧家なので代々お寺の檀家として大切に継いで守っているお家。

 

また、祖父母の代から違う土地に出てきたために先祖の墓がどこにあるか知らされないまま、新たに父母の墓が霊園にあるのでお盆にはお参りはしているなど・・。

このようにさまざまなケースがあります。最近では少しずつ変化してきており、どのようなご供養が適切なのか、またお墓も必要がないという考え方で、

散骨を望まれたり樹木葬や合祀墓と余り形に捉われることなく自然にありたいと願う人も増えています。やはり個人の遺志を重要視することが大切です。

 

 檀家制度は江戸時代に始まって以来、形骸化されて霊的な世界に旅立って逝かれたご先祖への思いや供養をお寺に託していくことになり現在に根付いてきました。

立派な戒名をいただき、墓も建立し、お坊さんにお経を読んでいただいて先祖を大切に敬い供養することも受け継がれてきた、きれいな供養の方法の一つだと思います。

先祖を介して過去を供養していく思いは現世の家運繁栄にもつながりますし、先祖も守ってくれます。

それでもただお金をかければ良いというものでもなく、先祖を敬う気持ちや感謝できること、亡くなった方へ供養の思いが大切です。

 

生きている側からすると亡くした父母や兄弟への思いや記憶は特に新しく、つながっていたいという気持ちの表現がお墓の姿になることは古代からありました。

 

宗教的な問題は現代ではこれもまた自由です。先祖や父母を思いやり供養をすると考えるなら、いま私たちは先祖から身体と遺伝子を受け継いでいるわけで、これ以上どうやって供養をしたらよいかと悩むよりも、

自分自身を大切にして生き抜いて人生を守っていくことが最高の供養でもあります。

それすらも粗末に考えていたら、たとえどんなに偉い僧侶に拝んで供養していただいたとしても、立派なお墓を建てたとしても気持ちが伝わらないのと一緒です。

形だけお線香だけ焚いていればそれでいいということになってしまいます。

直接血のつながりのない養子の人でも、先祖を守っている人もいます。

どちらにしても「縁」でつながっています。

 

本当の供養とかを考えていきますと、自分という存在が過去から受け継がれてきた、そのことに関して否定をすることなく、自身の過去を肯定し、受け入れることを思惟していかなければなりません。

 

 幽霊と言われる意識体が強いものはいまだ存在しています。供養して欲しいものが訴えてきたり、人の意識に入り込んできたりします。

お盆やお彼岸など霊的な現象も多く起ってくることもありますが、今後霊的な世界と人間界は非常にリンクしやすくなってきますから、物質的なこだわりの供養から形はシンプルでも魂魄を込めた供養にもなってくるのだと思います。

ご自分自身も大切に

 

 

 

人がいつも自分のことを噂している

※ご本人の了承を得て掲載しています

A子さん(30代)は生まれ育った東北地方から首都圏郊外に住み始めたころから、

A子さん「自分が歩いていても「バ〇」とか「お前のせいだ」とか言われたり、電車に乗っても、自宅にいても、窓の外から人が罵声をあげていくのです。

「だからお前はバ〇なんだ」「この野郎」といった内容ですが・・・・、

常に悪口を言われているのがたまりません。

職場でも後ろで私の悪口を囁かれていたりします。

 

みんなが私のことを知っていて、どんどん噂が広まっていく気がします。

そばにいる人にも聞こえてしまう大きな声なので、

私が変に思われているのだと思います。

聞こえてくる声が同じ声かは定かではないですが、必ず男の声です。

 

本気で自分が怒って相手に言うと

何も話していなかったりしたこともありました。」

 

A子さん現実の声か、霊的な声か

見極めがつかないほどリアルな体験されています。

 

まず聞こえてくる現象は、特に街中では直接話をしていない見ず知らずの人とすれ違ったときですら起こっているのですが、

人間的には出会うすべての人たちががバトンタッチで

A子さんの悪口を世間にふれ回るわけではありません。

そこから冷静に受け入れていきましょう。

 

それでもA子さん自身には声も聞こえ悪口を言われるのが

はっきりと聞こえてきているのは事実ですから、それも受け入れましょう。

まずは受け入れて考えていく努力をしてください。

その声が聞こえているときの状況に素直に気持ちを向けてみると、

人の会話ではないことがわかってくると思います。

 

職場でも言われるときは、A子さんの後ろで

大きく聞こえるように言われるとのことですが、

結局直接A子さんに話してはいません。

 

聞こえてきているのは「霊聴」なので、

同じ場所にいる人でもその声はご本人しか聞こえていないのです。

まずそのことから理解をしていくことです。

 

(仮に五人で同じ場所にいても、霊感の強い人しかお化けを視ることはないのと同じですから、A子さんに聞こえる「男の声」は他の人には聞こえていません。) 

 

霊的に気になるのは故郷から首都圏に越して来てからということです。

いまの住まいに問題があるようには感じられませんが、いろいろお話しているうちに故郷の実家の近くに大勢の人を供養した塚があることがわかりました。

 

*A子さんの実家は山奥のほうで、昔は鉱山もあり多くの犠牲者を出したところでもありました。

実家の墓所の近くに犠牲者を弔う塚もやはりあったようですが、

この家の人が塚の供養をすることがなくなっていたのと、

A子さんがご実家を出てしまうと、

いまは誰も住んでいないためにこのような形で現象が起きた(知らされた)のです。

 本来は、できないものはできないし、

人は同じところに住み続けていくわけにはいきません。

常識では確かにそうですが、この聞こえてくる

「罵倒する声」の場合は亡くなった人の意識そのもので、

特に罵声を浴びるような言葉がとても多く聞こえてきていることが気になり、

探ってみると、彼ら(亡くなった人たち)が

鉱山で働く中でかなり現場で罵倒されてきた感覚が強く、

亡くなっても、悔しさでその意識が強く残ってしまったのです。

 

先祖の墓地の近くに供養塚があっただけで

A子さんとは直接的には関係がないようにも思えますが、

どうもこの鉱山の採掘の指揮に当たっていた人物が先祖にいたようなのです。

 

A子さん本人が子供の頃にそんな話を聞いたことも覚えていました。

 そのようなわけで、実家に一度戻って供養をしてくることで、

声が聞こえることはかなり軽減され、時折耳鳴りがするようなときには、

部屋でお香を焚く程度でおさまるようになりました。

 

ただいままでのように、人に何か言われるのではないかという思いが

強く残って不安が消えるのに少し時間がかかりましたが、

もともと感受性が強いので自分で意識を下げていくことがないように、

不安を持つことよりも自信を持つことへと転換して

物事を受け入れるように伝えていきました。

 

 自分という存在のオーナーは自分であり、人生を引っ張るリーダーも自分自身でしかありません。過去の現象にいつまでも自身の大切な時間を奪われないようにしていくことも大切です。

 

 

 

母親が亡くなってからの出来事

 

もう30年以上前のことですが、私の母親が50代で病気のため、

3ヶ月弱の闘病生活の後に亡くなりました。

 

葬儀も終わり、いろいろな準備であわただしく動いていましたから、

悲しみに浸る時間もなく2、3日が過ぎた頃、

気がつくと胸が苦しいことに気がつきました。

 

胸が苦しく息苦しかったり少し楽になったりの繰り返しが続き、

看病や葬儀で疲れたのかと思っていました。

 

体を休めるためにも何もしないで寝ていようとするのですが、

呼吸は浅くなるし、余計苦しくて気持ちまでつらく悲しくなるのです。

 

自分が感情的になっているのかとも考えましたが、

母親の死は悲しいながらも受け止めているのに、

それでも気持ちのやり場がないような感じです。

 

母の霊が近くにいることもわかりましたがそんなとき、

夢うつつの状態で母親が入院中のベッドに寝ている情景が鮮明に見えたのです。

はっきり目覚めたときに、この苦しさは亡くなる前の母親の状態なのだということがわかりました。

 

ただ母親の霊的意識が迷っているのではなく、

早く亡くなってしまいもっと話したいことがあるようでしたが何もしてあげられないということに、つらさを感じていたようです。

 

訳あって別居して暮らしていたのでその思いが意識として強くあるために、

伝わってきて同調したのです。入院中の意識も記憶に新しく、

苦しい感覚が残っていても肉体を離れているので

体の辛さ重さは解放されてきます。

つらく悲しいのは思いの意識です。

私は大丈夫だからと霊に伝えて祈り、

初七日も過ぎたころ楽になってきたのでした。

 

お身内の方を亡くされたときに、

つらさや苦しさなど伝わってくることもありますが、

亡くなった事を理解されている霊でしたら

初七日や四十九日も過ぎてくると霊も肉体の感覚から離れてきます。

 

それまではこの世に思いが残っても仕方のない時期なのかも知れませんが

あまり長い間続いているようですと

少し問題を抱えていることもあるかもしれません。

 

 

お稲荷様 白狐さん T子さんの話

ご本人の承諾を得て掲載しています。

T子さん(40代主婦)は最近疲れているせいか何となく落ちこんでくる。

とくに大きな悩みでもなく、いつもと同じ日常の中で

 

だんだん落ちこんで鬱のような心境でした。

それでも仕事にも行けるし家事もできる。

けれどもだんだんと、とても落ちこんできて、

 

そのうちに仕事のとき以外では首も下を向いてしまい。

考えることもマイナス思考ばかりで何もおもしろくないし、

心の中が日々ネガティブになってしまう。

 

そんなある日、T子さん自分の右肩に白いものが見えた気がして、

はじめは気のせいかと思って確認するとまたも白いものがみえる。

 

顔だけでしたがふっくらした白狐の顔が見えるのでした。

そういえば毎年行っていたお参りに今年お詣りに行ってない!

事を思い出しました。

 

T子さんご家族はご主人のご実家を手放して引っ越しをしました。

手放したご実家の土地では周囲も

お稲荷様を祀っているお宅も多かったのですが、

しかし時代と共に敷地にあった外宮も無くされて、

のかわり毎年きちんと本社へお詣りしましょうという話しをしていました。

それが今年はいけないまま忘れていたのでした。

T子さんがだんだん落ちこんできていた理由なのです。

 

ようやく思い出して参拝に出かけたT子さん、

早速ご本殿でお詣りして、気持ちが晴れてきて

落ちこんで下を見ていた気持ちも

首も上に上がってきたのには自分でも驚いたそうです。

 

いくつもあるお社の中に自分の右肩にみえたのと同じ

姿をした白狐のお社がありました。

 

今回はご祈祷も受けて、これからは忘れないように

年一度は参拝に来なければと思い帰路についたのです。

 

※ご先祖代々家の氏神様として恩恵を受けてきた神様を

形は違うかもしれませんが大切にしていくことが必要なこともあります。

 

 

 

夢の一つに入浴やトイレで排泄をしている夢というのもあります。

 

夢から覚めても、

排泄している夢の中の自分が

恥ずかしいような気がする方もいるかもしれません。

 

けれどもこの夢は霊的なことを現していますし

浄化されている夢ですから心配しなくて大丈夫です。

神社にお参りにいったり、

先祖のお墓を訪ねたりしただけでも浄化の夢をみることもあります。

夢はスピリチュアルなメッセージです。

 

特に浄化を表している場合

そのメッセージを排泄などで現わされたときには

霊的な浄化でもあり、わかりやすいメッセージのひとつでもあります。

 

 

心に悔やまれて残る反省は自分を苦しめるばかりです

*ご本人の承諾を得て掲載しています

過去の出来事がいつまでも心に残ることもあります。

ただしどこまで過去に縛られてしまうのか、

人を恨まずに自分ができなかったことを悔やんだり

長い間責め続けていても、

自分を責め続けていることになって、

いつまでもその意識から抜け出せずに引きずってしまいます。

60代の主婦Aさんは、お仕事も辞めて10年前に

ご主人の母親(義母さん)が病気もあったので

ご自分たちのお家で同居することになりました。

食事のお世話もカロリー計算も必要な義母さんに、

Aさんは毎日一生懸命に介護されていたのですが、

もともと口の達者な義母さんは、

ことごとく食事のこと、

やることなすことに小言を言われたり、

息子であるご主人にはやさしく接しても、

いちばん世話をしているAさんにはいつも厳しい。

 

数年がんばったある日、

Aさんはもう自分では介護できないことをご主人に話したところ、

これまでの状況を見てきたご主人も理解してくれて、

施設に入ってもらうことにしました。

それでも施設に入ってもご主人が面会に行くと、

そこでもAさんへの恨み言が義母さんが言っているようで、

Aさんには面会に行かない方が良いと言ってくれたのです。

ご主人の他のご姉弟たちにも

Aさんのことを悪くしか話さなかったそうです。
3年ほどして義母さんは亡くなり、

義母さんのお位牌やご供養はAさんご夫婦のお家ですることになり、

さんは毎日お花お線香、お供えを欠かすことなくされていますが、

それでもAさんは自分がもっと義母さんにやってあげれば良かった。

なぜ追い出すように施設に入れてしまったのか、

もっとこう仕上げたらああしてあげたら良かったのではないか、

どうしてできなかったのだろう・・・などなど
苦しい反省ばかりでAさんは苦しんでご自分ばかりを責めていました。

確かに義母さんにとって息子のお嫁さんであるAさんのことが、

初めから気に入らなかった感もあります。
嫁姑というものはなかなかむずかしいお宅が多いものです。

ただAさんはご自分を責めすぎて、心身ともにまいっていたのと、

何もAさんだけが悪いわけではありませんから、

もっといろんな力や支えや協力が必要だったのです。

Aさんに介護を任せて他の義姉弟は無関心でした。

義母さんはもう霊的な世界にいますから、

生前の気持ちが徐々に薄らいできています。

ですから義母さんが恨んで取り憑いていることもありません。

そういう事もご説明したのですが、
それでもAさん「もっと面倒見れなかったか、

私が小言にガマンできなかったのがいけなかったのではないか・・

私が悪かったのではないか」
そう繰り返しては苦しんでいらっしゃいました。

 

これではご自分をいつまでも縛り付けて
自分でおまえが悪いと鞭でたたいているようなもので

いつまでも心が痛いままです
過去はできる限り心から手放して記憶は残りますが、

執着にならないように、過去は学びです。

やさしいAさんはボランティアもされたり、

ご家族のことも大切にされてきました。

義母さんのことは、お寺で護摩木でご供養をしていただき

Aさんの思いを込めて、

これで義母さんと心の仲直りをしていただくように

参拝していただくことにしました。

 

「一つ区切りをつけることで気持ちが解放されたようです」とおっしゃっていました。

Aさんはがんばって日々を前向きに過ごされています。

生きると言うことは、乗り越える問題が次々とありますが、

どう思いどう乗り越えていけるか、

乗り越えた後に思い残しがないように

できる限り一生懸命になさって来たのですから

苦しみ過ぎないように 

良き日々でありますように

 

霊感が働く方は人の思っていることも感じとってしまうことも多いのです

霊感でもちろんすべてを感じ取るわけでもないのですが、

一度思いこんでしまうと相手は絶対にそう思っているに違いないという方向にいってしまい、

エスカレートしてしまうと想像でつくり上げてしまうことにもなりかねません。

 

相手のイメージをつくりこんでしまうと、

こうではないかあーではないかと思いを巡らしすぎてしまったり、

自分のことを考えるよりも人のことばかり考えこんで

身動きがとれなくなってしまうこともあります。

 

そういう時間はただただ苦しい。

そして楽しくありません。

それに相手が変わるのかというと変わらない、

唯一変わる可能性があるとはっきりしているのは自分だけです。

 

思い続けるか思いを手放すか・・・・・

思いだけに心を巡らせるのではなく、ご自分がいまここにいることに、

小さな幸せと感謝を常に感じようとすること。

 

つまらない一日でもどれほど幸せなことであるかは、

大震災などで住む場所も追われ、

不自由な生活を強いられる方々をみればよくわかります。

 

つらい人がいるから我慢しようというのではなく、

「しょげていたら、自らをもっと追い込んで留めを刺して起き上がれない気持ちになってしまうよりも、

自分を苦しめている考え方をほんの少し切りかえてみることも大切です」

 

それでも人はいまあるところよりもより幸せな明日を望みます。

よりよい明日を望むからには今日の笑顔が次の笑顔を生み出してくれます。

感が強くても、相手のすべてが読みとれてわかるわけではありません。

 

特に悪いほうばかり気になるときには欠点以上に評価が厳しくなります。

悪意はなくてもそれこそ箸の上げ下ろしひとつにも

すべてが感に障ってくるかもしれません。

マイナスの連鎖を引き起こさないようにご注意。

 

 

 

つらい

つらいときはっきり原因がわかっているときと、

原因がはっきりしないつらさがあります。

 

原因がはっきりしなくても、

ちょっとしたきっかけで「つらい」という気持ちの落ちかたを

してしまうこともあります。

 

自分の心が自由を失ったように「つらい」。

病院に行くほど問題なく生活はできるけれど「つらい」。

 

そのような心の状況下に霊的な影響がかかわっていることもあります。 

霊的といっても霊だけが憑くという原因だけではありません。

心の深い部分はご自分の霊魂でもあります。

 

「つらさ」は霊的な自分と、

肉体的な自分とのバランスが少し乱れているときかもしれません。

たとえば人間的な肉体の自分は「こういう生き方をしなければいけない。

 

あれもこれも欲しい、まだ足りない。」などと思っているとしても、

本体である霊的な自分はそこまで望んでいないし

本来の生き方をはずれようとしている考え方を

引き戻そうとしているかもしれません。

 

「つらさ」に疲れたら、なるべく上を見上げて

心と向き合える空間と時間をつくってください。

人と比べすぎないことも、人の言葉にとらわれすぎないことも大事です

 

 

おみくじはメッセージ

神社やお寺で何気なく引いてみたおみくじの内容も

 

必要なヒントであることが多いのです。

 

吉凶にこだわりすぎないで内容を大切に受け止めてみてください。

 

おみくじの言葉に心を傾けるかは気持ち次第ですが、

 

何度か読み返してみると気づきが出てくることもあります。

 

おみくじだけに限らず、日常の中でとても気になる言葉をきいたり、

 

何気なく開いた雑誌や本に書かれていたことが気になって考え方を変えてみようとか、

 

いつもは行かないところへでかけてみるきっかけとなったりすることもあるかもしれません。

 

日常でも、ご自分が知りたいと思うことなどが自然に情報として巡り会ったり、

 

人から話をきいたりして疑問が解けることもあるように、

 

ご自分が強く思うことが、形を変えてヒントや答えがやってくることがあります。

 

日常の小さなことにも心を傾けて大切になさってください。

 

出会われたことを大切に。

 

編集または更新する画像をクリック

アイキャッチ画像を削除

お守りが身代わりになり守ってくれることも

神社やお寺でいただいたお守りは持っているだけで安心できますし、

守られていることに意識を向けることもできます。

身につけていたお守りが切れたり、

いつの間にか無くなったりしてときには身代わりの役割もあります。

知人の女性が車の衝突事故に遭ったときに、

相手の車が自分の方へ向かってくるときに

車の内側の運転の邪魔にならないところに、

付けていたお守りが落ちたのをハッキリわかったそうです。

車が衝突する前にお守りが先に落ちたのです。

女性は軽傷ですんだのですが、

避けられなかった事故の中でも守られたことを強く感じられたそうです。

お守りが壊れたり無くなった時は身代わりでもあります。

より良き日々でありますように