霊動 心霊写真

霊動など

霊感の強い人の中には横になっていたり、リラックスをしているときなどに体が揺れ動いているように感じる人もいます。

自分の霊体と肉体の差を微妙に感じやすくなっているのです。

寝ているときに、ファックスや電話が鳴って起きてしまうという人もいますが、実際にはファックスもきていないし、電話も鳴っていない・・ということもあります。

この場合にはご自分の精神的な忙しさから引き起こされていることも多いですが、

感が強すぎる方は体も心も疲れてくるとマイナス意識になりやすく、霊的なものを引き寄せやすくなる場合もあります。

霊は微細に電磁を帯び、特に電気系統に反応を起こしやすいのです。

またあきらかに霊現象の場合には、本当にかかってない電話が鳴ったり、テレビが勝手についたり、電気製品が続けざまに故障することもあります。

神社に出かけたり、気持ちの落ち着くところへでかけてみたり気の流れを整えることも大切です。

それでも続いておこるようなら、霊的なことを受け入れてみるかスピリチュアルなカウンセリングを考えてもよいと思います。

 

 

心霊写真について

心霊写真すべてが悪いものではありませんが、

写真に写った人の体の一部が欠損して写っているときなど不安ですね。

一つの警告でその体の部分に注意をはらわなければいけないときもあれば、なんでもないこともあります。

自身の疲れがありオーラが弱っているとき。

撮った場所の磁場が弱いとき(パワーが弱いところ)など・・・・・・・・

あきらかにいないはずの人の手足や姿が写っているときは

霊的存在です!けれども霊はもう肉体はありませんから、写真に写っている方、

もしくは写真を撮る方の生命エネルギーを借りて姿に映し出してきています。

赤い光線や、赤い幕が張られたような写真

その場所の地縛霊、感情的な高ぶりを受けることもあります。

白いモヤのような写真

霊的な形がはっきり出ている場合もありますが、ただ霞のようにモヤのようなものは周囲の心霊である事が多いのです。

もし霊がはっきり写っているものであれば、霊と人との波長が瞬間的に合ってしまうのです。

旅行先で楽しく写真を撮られて、一緒に写りこむ霊はありますが、行かれている方の楽しい意識に乗って写ったと思われるものがよくあります。

(共に楽しみたい、救われたい、羨ましいという思いです・・・・)。

心霊写真を持っていると不安な時には、お焚き上げしてくれるお寺にお参りに行かれて、お願いしたりなさると良いです。

ある事故で、事故後に電車内にいるはずのない乗客の方の姿(事故で亡くなっていますから)がはっきり写真に写っていたことがありましたが、その写真を拝見したときにわかったことは事故後まもなくということもで、それも突然の事故でもありましたから、人間的な気持ちがまだ確実に電車に乗っている意識感覚なのです。

その方の感覚が突然のことに掌握できていないようでした。けれども思いを残されるような方ではないことが伝わってきたこともありました。

 

・言葉一つでも ・敵ばかり

たった一言が足りなかったばかりに誤解が生じたり、上手く相手と意思の疎通ができないこともあります。

「思っていても言えなかったり、言ってほしいのに相手が言ってくれない一言ってあるかもしれません」こればかりは無理に相手から言葉を貰ってもオウム返しで面白くないものです。

多少のことなら人間誰でもそれくらいのことはあるから仕方ないとも思えるでしょうが、

いつも言葉足らずで損をしている人もいます。

反対にそうなるのはわかっていても、よけいな言葉を言い過ぎてしまうこともあります。余計なひと言が雰囲気を変えてしまうような力を持っているとも考えられますが、

言葉は言霊(ことだま)といわれるように、

言葉にも魂といわれる意識が乗っているということでもあるのです。

荒い言葉ばかり聞かされていると不安定になってしまうように、

心をのせていく大切な言葉は大事です。

 

敵ばかり

日常生活で、近所づきあいでも仕事でも友人関係でも、自分が敵と思われることは悲しいことです。自分が何もしていなくても敵とみなされたり、阻害されてしまうこともあります。大小の差はあっても少なからず経験された方もいらっしゃるかもしれません。

「人より敵が多い人は、強さの裏返しでもあるのです」。

けれども敵がいることで悩んでいるのなら、自身の心の中を振りかえってみることも必要ではないでしょうか。

「なぜ自分だけが責められ敵視されるのか、

敵にならなければならないのか、自分には絶対に戦う意識がなったか」、

「自分も相手を敵視していなかったか」、

「敵と思われないかと不安に思っていなかったか」・・・・・・など一度振り返っていくことも大事で冷静さをもたらしてくれます。

あるいは霊的な問題を抱えていることもあります。

ご自分ではそれほど感じられなくても、他人から見るととても暗い人間に思われていたり、

現状を我慢だけではなく、修正しながら進まなければならないこともあります。

その結果が自身の居場所でないこともありますし、流れを変えて新たにスタートしていくこともできます。

人生は流動しています。

不幸を知るから幸福を知ることができますように。

霊感体質の方は多いですが

霊感体質の方は多いですが

霊感の強い人の中でも霊的な反応を受けたり浄化してくると、様々な反応はそれぞれの人によって違いますが、頭痛がしたり気分が悪くなったり、重たくなったり、あるいはちょっと言いにくいことかもしれませんが、ゲップやガスが出やすくなることもあります。

普段は普通なのに、霊的なことを感受してしまうとこのような反応が起こることもあります。

心霊スポットはもちろんですが、お墓など霊的な場所にでかけると、病気でもないのに途端にお腹が張ってきたりという反応が出てしまったり、それでもその場所を離れていくと徐々におさまって落ちついてきたりするかもしれません。

なんでもないときはお腹も張らないしゲップも出ないし、いたって食欲もあり健康でも、

霊的にマイナスなものを感じたり受けたりすると、霊的な防衛能力が働いて反応しやすいこともあります。

心身が違和感を伝え浄化しているのですからため込んでいるより楽です。

霊的な現象から解放されてくるとおさまってきます。

マイナスな状態からプラスに転換されるためには深呼吸して落ちつかせていかれることや、

神社仏閣など気のエネルギーの高いところへ出かけてみることもリフレッシュされるはずです。(山、自然、神社・・・・etc)

 

どうしていいのかわからない

右にいくか左にいくべきか、文字どおり人生の岐路に立ち迷うことや難題の壁にぶつかることがあります。

感情やプライドにまかせて、右か左かの選択をすることもあるでしょうが、何かを決断するには感情だけでは自分と相手もしくは周囲に迷惑などがでる可能性もあります。

それでもその迷惑などをできる限りに最小限に、くい止められる方法をなるべく考えることが大切です。

ただ自分を傷つけるだけでも良い結果とは言えないですが・・・。

「霊的に影響を受けていたり、霊の意識が人を通して表面的にでてくることがあると、自身を追い詰められたり傷つけてしまう傾向にあります」。

どうしたらいいのかわからないということは、その人が弱く優柔不断であるといわれたりしやすいかもしれませんが、迷いが多すぎてしまうこともあります。

自分の気持ちも右か左が決断できずに人に流されやすくもなってしまい、どうしてよいかわからなくなってしまうのです。

自身のスピリチュアルな側面を軽く目を閉じ心に意識をおいて、内面をゆっくり見直してあげてください。あせらず深呼吸

守護霊

守護霊は何をしているのか、なぜ助けてくれないのか、神様はいるのだろうか?

笑っているときも、泣いているときも、家族に恵まれたか環境に恵まれたか否かはそれぞれの方で違いますが、恋愛すること、結婚すること、離婚すること、病気と向かいあったこと、悩みをかかえたことなどなどが、すべてがひとつの流れの中で巻き起こっていることでもあります。

一つ岐路をすぎると「ほっ」として、視野が広がります。苦しみを越えて安堵と幸福感、ゆとりも出てこられるでしょう。

それまではあまり考えてもみなかった奥の深い思いやり、やさしさ強さなど大切にしなければいけないことが沢山みえて気づきはじめてきます。

人に優しくなれることは、難所を越えたあとにご自分がご自分を守ろうとしたときに自分への思いやりもより強く魂の成長へとつながりをもたらされて、充実感が一つ増してくるのです。

神も守護霊もご自分の精神世界をもたれる人には常に働きかけています。

日常でも人にばかり頼っていると、いつの間にか人が離れて行ってしまいますが、黙々と頑張っていると自然に力を貸してくれる人が現れたり、巡りあったりしていくものです。

霊的な世界も同じで、精神的に投げやりになったり、あきらめない限り守護も離れたりはしません。

けれども生きるための実権は自分自身にありますから、上手くいかないから守護霊が悪いという責め方はできません。

決めて動いていくことを最大限に守る

もし間違っている道なら最大限に止める

それが守護の役目です。でも人よりは決して前に出ることはないのです。

 

「世の中不公平」ばかりでもありません

人と同じようなことをしているのに、例えば駐車違反をしてもある人は何ごともなく見つからずに終わるのに、ある人はたった一度それもほんの数分で駐車違反とされてしまうこともあります。

同じ場所でも時間や条件によって不公平な結果になってしまうこともあります。運の善し悪しで言われたりしますが、見つかって損をしたから不公平な目にあったと思われてしまいがちですが、損得だけで考えると本当に損をした!「ツイてない」で片付けられていくかも知れません。

損を裏返して考えればなぜそうなったのか、何がいけなかったのか、次はどうしたら2度と同じ目に合わなくて済むか。を考えさせられますが一見損得の真理で、損なことの中に秘められた徳が組み込まれているパラドックス(逆説)があるのです。

スピリチュアルな感覚でお話しますと、このようなケース以外でも、自分が誰よりも先に注意を受けたり指摘されるとしたら、誰よりも先によくなれるチャンスを与えられたようなものでもあります。

損をした方にばかり気を取られて責めたててばかりいても気付かないままになってしまいます。自分はついてないなとか思うこともあるけれど、ちょっとした隙間にしあわせが隠されていることも忘れずに。

思いやり  感受性

友人や知人のために動いてあげても、まったくわかってくれない。思ってあげているのに大して感謝も言われない・・・

思うこと動くことは無償の配慮でもありますが、

ただこれが、「思ってあげて、とか動いてあげているのに」、となると押しつけになってしまうこともあります。その上、思ってあげて動いてあげているのに、まったく面白くないとなる可能性もあります。

友人でも、恋人同士でも、ご夫婦の間でも、それは人の満足度がそれぞれに違いがあるから仕方がないこともあります。

こう言えば、こう答えてくれるはずとこちら側ではそう思っても、相手は違う方向に考えていることもあります。そのときに「黙り込むことよりも軌道修正してくれるのは、よく話し合う」大切さです。

一人ひとり感性は違います。話すリズムも違います。理解する方向も違っていることもあります。もし会社なら独り相撲で怒るわけには行きませんから、とくに身近な大切な人とはよく話し合っていくべきです。話さずに我慢して独りでに苦しいストーリーが出来上がってすれ違って、しあわせが逃げていかないように・・・・・。

心を閉じ込めないように  感受性

大切な人と別れたとき、死別、離別、信頼していた友人に裏切られてしまったり心が痛む問題は経験されてこられたこともあると思います。

そういうときには本当に心が痛みますし、傷ついてボロボロになって「心の温度」がマイナスになってしまいます。

心の痛みに突き動かされて、永遠に続いていくような不安と経験したことのない壁ともいえる問題で、しばらくは心の自由が奪われてしまうこともあるかもしれません。

体は何とか動いても、「心が動き出せないがんじがらめの状態」になる場合もあります。

特に感の強い人は激しく気持ちが反応を起こされることもあります。感受する感覚がするどいために心の痛みが倍増しているようなものです。

例えば現実的なことでは、「注射をされてもほとんど痛くない人と、それなりに痛みを訴える人と、ひどく痛いと感じる人」といるように、注射は表面的なことに対しての反応がそれぞれ違うように、霊的感受性が強い人は、心の痛みが内面的に倍増されやすくなることもあります。

「悲惨なニュースや事件の報道を見ることができない」こともあるかもしれません。

ニュースを見ていたり、聞いたりすることで「つらくて心が痛くなってきてしまう」、「しばらく笑えなくなるくらい気持ちが苦しい」「他人事なのにどうしても心が痛くなる」こともあるのです。

感性が高くてやさしい人ほど傷つきやすく、また外部の影響も受けやすいものですが、それならば心が痛いから情報がすべて入らない生活ができるかというとそれも不可能です。

こころを閉じこめて考えないように、「思いの世界が見えないかたちで伝わることを信じて、たとえ言葉では伝わらなくても、やさしい思いの波長は空間をやわらかく包んでくれます」。

・鏡がこわいとき ・子供さんを愛すること

テンションが下がっているようなときには鏡で姿をみることもイヤで仕方ないこともあるかも知れません。

自分の姿を鏡でみることが怖い、鏡があるのが怖いと感じることがあります。

霊的な感受力が強い人は、鏡を直視できなかったり、恐怖感を持つことさえあります。

自分を嫌いだから鏡を見たくないと思うこともあるでしょう。見たくないと感じるのはご自分以外の霊的な存在が介入していることもあります。

単純にいえば、ただ鏡さえ見られないのはおかしいといわれてしまうこともあるかもしれませんが、

鏡の中に何かが映りだしてしまうような不安感が出る人もいます。

「自分が悪くてそういう状況になってしまうのだ」という恐れを抱いてしまわないように、

気持ちを落ち着けて、一呼吸してご自身の意識と目でしっかり「自分」の姿を自信をもって受け入れて映していくことです。

 

子供さんを愛すること

子供さんを育てていながら、どのように接したらよいのかわかない、愛し方がよくわからない、もしかして子供のことがきらいなのかもしれないとか考えてしまったり、余りにも子供さん主体の生活に偏りすぎてしまうこともあるようです。

ご自身を好きになれないという親御さんもいますが、

「ご自分の輝きに気付いていない」にすぎないのです・・・・。

ご自分の子供さんに対して、どのような態度をとっていくべきかと悩まれてこられる方もいます。「子供さんを愛していないのではなくて親御さんのほうが自分自身を大切に愛していない」こともあるのです。

自分を犠牲にして人のために何かをしてあげるということは良いことかもしれませんが、他人に対しても、もちろんご自分の子供さんに対しても、まずは自身を愛する気持ちがなくては、心から子供さんを支えてあげることは難しいのではないでしょうか。

子供さんに対してもただ抱きしめてあげることは、それ自体は温もりが伝わるでしょうが、親御さん側がご自身を好きでいられる心が子供さんには一番伝わっていくのではないでしょうか。不安な思いは子供さんは敏感に察知してしまうでしょう。

人は成長するにしたがって多くの人生の難門にぶつかっていきますし、たくさん傷ついていきながら成長をしていきます。傷つくことを恐れては人生を歩めないですから多少は仕方ありません。

子供さんもいずれは社会に出られるでしょうし、悩み傷つくことも少なからずあるでしょうが親御さんが自信をもって、つつみ込み心からの愛情と慈しみを充分に与えてあげることが大事なことです。

その暖かな愛情を受けて成長したならば上手に人生の波に対処ができるはずです。

特に今後の社会においてはとてもメンタル面での成長が重要視されてくる時代になってくることでしょう。

親子は育てながら育つことでもありますが、よき親としてご自分を大切に愛していかれることが先決ではないでしょうか。

愛をはきちがえて、あまりに他人を無視しての自己中心でも困りますが・・・・・・。

 

そして愛情は何かを買い与えることではありません。

何かを買えるお金を渡すことでもありません。

親が忙しくてもきちんと子供さんの心の状態を見守っていることが重要でもあります。

ゆったり広い空を見上げて、しばし瞑想、内面を大切にする、ほんの少しのゆとり時間はいかがでしょうか。まずはご自分を愛すること大切にすること

・人の悩みが重たく感じる ・水子さんのこと

人の悩みの中に気持ちが入り込んでしまう人もいます。例えば、友人や知人と話をして悩みやグチをこぼしているのを親身になって聞いているうちに、とても相手の感情や感覚意識に入り込みやすくなってしまったり、

ときには話している当の本人よりも気持ちが入り込んで、悩まされてしまうことになったりするケースもあります。単純に心配性で考えすぎではないかと思われますが、このような方はとても感受性が強く霊的な感性があることが多く、人の気持ちが伝わりやすいのです。人の世界も霊的な世界も思いの意識につながります。

一人に解放されたときには、気持ちを切り換えて深呼吸!

聞かされた悩みやグチを「吐き出して」新しい新鮮なやさしい空気を「吸い込んで」切りかえて、そしてお参りや森林浴ができたらよいですね。気を入れ換えていけますように。

水子霊さんのこと

水子さんのことを心配されている方も多いのですが、「水子の霊がうらんでいるとか、怒っているということはありません」。

純粋無垢な状態の生命でしたから、親がやむをえない理由で産むことができなかった事情に対して怒りを起こしたりすることはないのです。

ただし水子さんに一度も、思いも寄せてあげることもないような、自分だけが幸せになればよいという考え方では問題もあるかもしれませんが、少なくとも水子さんを気にかけている方の場合には怨まれるということはありえません。

現実世界に子供として産んであげることはできなかったとしても、お子さんには変わりありません。けれども一生涯とらわれて悲しんでいることも、決してよい影響をもたらすことはないのです。

本当に申し訳ないと感じられるのなら今後のご自分が幸せになるために前向きになることが大切なことだと思います。

後ろ向きで悲しんで、落ち込んで心を痛めている親の姿を見ることは子供としても心が一番つらいものです。

親が笑顔を与えてあげることで子供さんは安心して育っていくことができます。それは現実世界でも、天にいるお子さん(水子さん)も同じことです。

心の世界、思いの世界には終わりはありません。

申し訳ない気持ちで悩んでいる方もいらっしゃると思いますが、

心でその子を愛してください。心でその子を育ててください。

誰にも言わなくても思いをつなげること、忘れないことは供養なのです。その前にご自分自身を愛すること幸せになることを忘れないように・・・・・・・

夢もいろいろ 車に乗っているゆめ

車を運転して走っている夢をみたときには、どこを走っているのという事も意味をもちますが、普通の道路もしくは高速道路を順調に車が走り快適な運転ができているのであれば、人生の進むべき道が正しいことをあらわしています。

夢の中ですから、車の速さは現実的に走る速度とはまったく異なって「とても遅かったり、逆にものすごい速さで進んでいる」こともあります。

夢の中でスピードが速すぎる場合に、ハンドルを握るあなた自身と「車と速度のバランスがとれていなかったり、速すぎて怖い」と感じたとしたら、それはあなた自身が現実的な生活面においての焦りや、気持ちばかりが急ぎすぎることへの注意をうながしていることでもあります。

知人が見たある夢は、「車に乗っていて、本人は助手席に座り運転席では違う人が運転していて、楽しく乗っていたら目の前の小さな木にぶつかって、池の中に車ごと落ちてしまって、スゴく腹をたてている夢」をみたのでした。

落ちた車は何人かの手助けにより、池から上げられましたが、とても汚れていたのです。

この夢の中の出来事は、「車は自分自身と人生をあらわしています」。自分の人生のハンドルは自分が握って運転してかなければなりませんから、人任せにハンドルを預けていてはいけないということでもあります。

このような夢をみた人も思い当たることがあり、仕事も家庭もつい誰かがやればいいんだと、人に押しつけていた傾向があったようです。

腹が立っていたのは自分自身への注意でもありました。 車を池から出してくれた何人かの人は、霊的な守護を教えています。また実生活でも助けてくれる人たちもいます。

今回お話している車は自分自身をあらわしていますが、車がガイド役であったりするケースもあります。夢は精神的なしあわせへのメッセージでもありますから注意深く受け止めてみてください。

 

私達も霊的な存在です

私達も霊的な存在です

「霊はいるのかわからない」「わからないけれど知りたい!」「視えないから信じられない!」「でもお化けの話は怖い!」 怖いという感覚とか感情が出ているということ事態が、すでに心の奥底でその存在(霊的な)を知っていることの答えなのではないでしょうか。

人は経験したことに対しては、回避しようとか気をつけようとか、怖いとかを自然に防御しようとするからです。

例えば、歩いていて自転車が急に曲がってきてぶつかりそうになったときに、次に同じ場所を歩くときには「ここは危険だから注意をしよう!」というように記憶に残り、自然に回避しようと心がけるものです。

意識の世界においても同じで自然に心が動かされてくるのです。人として目で見えて、手にとって感じることのできない不安はあると思いますが、「霊という存在がいるのかどうかを知りたい」というように心が動かされてくるのです。

仮に「霊も何もあるわけがないから、知りたいと思うこともやめたほうが良いですよ」 と言われたらどうでしょう。それこそ考え思うことが断ち切られてしまいます。

「やはりそうなのか」と思う人もいるでしょうし、「いいやそんなことはない」と考える人といるでしょう。まさに感性の世界で精神世界は人間界に根付いてきています。

ご自分の心の奥底で知っているから受け入れたいと感じられるのです。

私たちは人間になって生まれてくるためには母親がいて父親がいます。

その前はどこにいたかを想像してみてください。

少なくとも人の姿では形ではなかったということは理解できます。

分子とか原子とか素粒子の存在です。みな同じく4次元の中で意識が漂いながら生まれてくるための準備をしてきたのです。

いまは3次元で生きて物事を判断している世界ですからとらえにくくなっているのは確かですが唯一自身の霊的な存在に意識が向けられるのは、「心の感受性」です。

霊の意識を心が感受してコンタクトをするようなものです。

心とか、考えることは人には脳があるから脳がすべてを司っているのだから、心なんて脳の一部なのだ。悲しくて泣くのも笑うのも感動することもすべて脳が動いているから成り立つんだと思う方もいるかもしれません。

確かに脳という存在は3次元に生かされるための物質的システムとしては肉体にとって大変重要な機能で多くを司ってくれるのだと思います。それを創りたもうたのは、ただ単なる進化だけではないはずです。話が前後してしまいましたが、ご自分の霊的な自由な霊性は心の奥に存在しています。時には考えずに感じることも大切です。

霊は、霊体そのものは私達すべてに備わっています。一番身近なのは心であり意識なのです。

何ごとにも一生懸命にやってみたがこれ以上考えられない、もうできることはやり尽くしたと、すべて詰め込んで考える事を離れてボーっとしたときに、よい名案や発想が生まれてくることもあります。自分の内的な世界からのしあわせなインスピレーションも逃さないように。

 

霊的な影響で二重人格のような現象

自分以外の人と接するときに多くの場合気を使っているものです。

たとえば朝、家族と喧嘩をした日でも学校や仕事場に行っても何事もなかったように、他の人達には挨拶をし、なるべく平静を装って普通の会話をするように心がけるものです。

一部親しい友人には愚痴をこぼすかもしれませんが、なるべく関係のない人には喧嘩やトラブルのことは話さないし、話したくないものです。常に心は感情のコントロールをしていくようにがんばっています。

ただ感情の起伏が激しく、感情をコントロールできなくなると抑えているつもりでも、継続してしまい、これではいけないと思う自分の気持ちの中にそれを否定するかのような感情が、「怒りであったり」「人を責めることだったり」「自分を責めることであったり」など

とめどなく気持ちの中に別の意識がいるような感覚が続いてくるときには、霊的な影響も受けていることもあります。

霊的なものの意識は人間がマイナス意識に陥ったときに入り込みやすくなります。

(意識や感情が動かされやすくなるような状態)

自分は二重人格ではないかと思うくらい、いつもの自分とかけ離れた感覚があったり、ただ霊の意識に操られてしまうと、自分の感情に戻りづらくなってしまい、人格が変わることもあります。

 

自分らしく

霊的に影響を受けている場合には、ご本人の意識に戻していかなくてはなりませんが、第一に理解していくには自分ではなくて霊的な影響(仕業)であることも受け入れることです。

意識の中で霊と自分の違いを振り分けて行かなければなりません。

精神的な病気といわれることにもかなり霊的な問題が関わっていることも多いのですが、霊的に違うものが入れ替わっている場合もあり、同じ霊意識(低級霊)が違う人格であるがごとくに動いている場合もあります。

ある人の場合には、常に不安と猜疑心がだんだん強くなってしまったり、極端なケースではまるで子供のようになってしまうこともあります。

「自分が思うことだから自分ですよね」と言われる方もいますが、感情や感覚意識にも霊は憑くということもあります。徐々に自分らしく変化されていくことを大切に考えています。

 

 

霊的な影響で二重人格のような気もち

自分以外の人と接するときに多くの場合気を使っているものです。

たとえば朝、家族と喧嘩をした日でも学校や仕事場に行っても何事もなかったように、他の人達には挨拶をし、なるべく平静を装って普通の会話をするように心がけるものです。

一部親しい友人には愚痴をこぼすかもしれませんが、なるべく関係のない人には喧嘩やトラブルのことは話さないし、話したくないものです。常に心は感情のコントロールをしていくようにがんばっています。

ただ感情の起伏が激しく、感情をコントロールできなくなると抑えているつもりでも、継続してしまい、これではいけないと思う自分の気持ちの中にそれを否定するかのような感情が、「怒りであったり」「人を責めることだったり」「自分を責めることであったり」など

とめどなく気持ちの中に別の意識がいるような感覚が続いてくるときには、霊的な影響も受けていることもあります。

霊的なものの意識は人間がマイナス意識に陥ったときに入り込みやすくなります。

(意識や感情が動かされやすくなるような状態)

自分は二重人格ではないかと思うくらい、いつもの自分とかけ離れた感覚があったり、ただ霊の意識に操られてしまうと、自分の感情に戻りづらくなってしまい、人格が変わることもあります。

 

自分らしく

霊的に影響を受けている場合には、ご本人の意識に戻していかなくてはなりませんが、第一に理解していくには自分ではなくて霊的な影響(仕業)であることも受け入れることです。

意識の中で霊と自分の違いを振り分けて行かなければなりません。

精神的な病気といわれることにもかなり霊的な問題が関わっていることも多いのですが、霊的に違うものが入れ替わっている場合もあり、同じ霊意識(低級霊)が違う人格であるがごとくに動いている場合もあります。

ある人の場合には、常に不安と猜疑心がだんだん強くなってしまったり、極端なケースではまるで子供のようになってしまうこともあります。

「自分が思うことだから自分ですよね」と言われる方もいますが、感情や感覚意識にも霊は憑くということもあります。