友人や知人のために動いてあげても、まったくわかってくれない。思ってあげているのに大して感謝も言われない・・・
思うこと動くことは無償の配慮でもありますが、
ただこれが、「思ってあげて、とか動いてあげているのに」、となると押しつけになってしまうこともあります。その上、思ってあげて動いてあげているのに、まったく面白くないとなる可能性もあります。
友人でも、恋人同士でも、ご夫婦の間でも、それは人の満足度がそれぞれに違いがあるから仕方がないこともあります。
こう言えば、こう答えてくれるはずとこちら側ではそう思っても、相手は違う方向に考えていることもあります。そのときに「黙り込むことよりも軌道修正してくれるのは、よく話し合う」大切さです。
一人ひとり感性は違います。話すリズムも違います。理解する方向も違っていることもあります。もし会社なら独り相撲で怒るわけには行きませんから、とくに身近な大切な人とはよく話し合っていくべきです。話さずに我慢して独りでに苦しいストーリーが出来上がってすれ違って、しあわせが逃げていかないように・・・・・。
心を閉じ込めないように 感受性
大切な人と別れたとき、死別、離別、信頼していた友人に裏切られてしまったり心が痛む問題は経験されてこられたこともあると思います。
そういうときには本当に心が痛みますし、傷ついてボロボロになって「心の温度」がマイナスになってしまいます。
心の痛みに突き動かされて、永遠に続いていくような不安と経験したことのない壁ともいえる問題で、しばらくは心の自由が奪われてしまうこともあるかもしれません。
体は何とか動いても、「心が動き出せないがんじがらめの状態」になる場合もあります。
特に感の強い人は激しく気持ちが反応を起こされることもあります。感受する感覚がするどいために心の痛みが倍増しているようなものです。
例えば現実的なことでは、「注射をされてもほとんど痛くない人と、それなりに痛みを訴える人と、ひどく痛いと感じる人」といるように、注射は表面的なことに対しての反応がそれぞれ違うように、霊的感受性が強い人は、心の痛みが内面的に倍増されやすくなることもあります。
「悲惨なニュースや事件の報道を見ることができない」こともあるかもしれません。
ニュースを見ていたり、聞いたりすることで「つらくて心が痛くなってきてしまう」、「しばらく笑えなくなるくらい気持ちが苦しい」「他人事なのにどうしても心が痛くなる」こともあるのです。
感性が高くてやさしい人ほど傷つきやすく、また外部の影響も受けやすいものですが、それならば心が痛いから情報がすべて入らない生活ができるかというとそれも不可能です。
こころを閉じこめて考えないように、「思いの世界が見えないかたちで伝わることを信じて、たとえ言葉では伝わらなくても、やさしい思いの波長は空間をやわらかく包んでくれます」。