守護霊

守護霊は何をしているのか、なぜ助けてくれないのか、神様はいるのだろうか?

笑っているときも、泣いているときも、家族に恵まれたか環境に恵まれたか否かはそれぞれの方で違いますが、恋愛すること、結婚すること、離婚すること、病気と向かいあったこと、悩みをかかえたことなどなどが、すべてがひとつの流れの中で巻き起こっていることでもあります。

一つ岐路をすぎると「ほっ」として、視野が広がります。苦しみを越えて安堵と幸福感、ゆとりも出てこられるでしょう。

それまではあまり考えてもみなかった奥の深い思いやり、やさしさ強さなど大切にしなければいけないことが沢山みえて気づきはじめてきます。

人に優しくなれることは、難所を越えたあとにご自分がご自分を守ろうとしたときに自分への思いやりもより強く魂の成長へとつながりをもたらされて、充実感が一つ増してくるのです。

神も守護霊もご自分の精神世界をもたれる人には常に働きかけています。

日常でも人にばかり頼っていると、いつの間にか人が離れて行ってしまいますが、黙々と頑張っていると自然に力を貸してくれる人が現れたり、巡りあったりしていくものです。

霊的な世界も同じで、精神的に投げやりになったり、あきらめない限り守護も離れたりはしません。

けれども生きるための実権は自分自身にありますから、上手くいかないから守護霊が悪いという責め方はできません。

決めて動いていくことを最大限に守る

もし間違っている道なら最大限に止める

それが守護の役目です。でも人よりは決して前に出ることはないのです。

 

「世の中不公平」ばかりでもありません

人と同じようなことをしているのに、例えば駐車違反をしてもある人は何ごともなく見つからずに終わるのに、ある人はたった一度それもほんの数分で駐車違反とされてしまうこともあります。

同じ場所でも時間や条件によって不公平な結果になってしまうこともあります。運の善し悪しで言われたりしますが、見つかって損をしたから不公平な目にあったと思われてしまいがちですが、損得だけで考えると本当に損をした!「ツイてない」で片付けられていくかも知れません。

損を裏返して考えればなぜそうなったのか、何がいけなかったのか、次はどうしたら2度と同じ目に合わなくて済むか。を考えさせられますが一見損得の真理で、損なことの中に秘められた徳が組み込まれているパラドックス(逆説)があるのです。

スピリチュアルな感覚でお話しますと、このようなケース以外でも、自分が誰よりも先に注意を受けたり指摘されるとしたら、誰よりも先によくなれるチャンスを与えられたようなものでもあります。

損をした方にばかり気を取られて責めたててばかりいても気付かないままになってしまいます。自分はついてないなとか思うこともあるけれど、ちょっとした隙間にしあわせが隠されていることも忘れずに。