存在とか意識の向上

 

自分がのけ者に思えるとしたら、

そこにあなた以外の気持ちの存在があるかもしれません。

 自分という立場は、自分がそこに存在をしていることを確認できることから生じています。自分を確認したいし、その方法として他の人と比較して捉えることもよくあります。

 

 家族の中でも自分だけが、

「のけ者、よけい者」になっていたり、自分だけが他の兄弟と比べても冷たくされているという人もいます。

実際に気の毒なほど極端にそういう状況に置かれることがあります。

 

これはケースがそれぞれ違うことを承知しておいていただきたいのですが、皆と同じ扱いをされないことで、あえて自身が同じような仲間に入ることを妨げられていることもあります。

 

一番守るべき大切な人をあえて端に置いたり、あえて冷たくしてつらく悲しませたりしなければならないことも、ときにはあります。

  最近では少ないかも知れませんが、仕事がどうしても優先で本当に大切な奥さんやお子さんや家族のことを後回しにしてしまうとか、

 

もし母子家庭なら生活のために働く母親が、仕事のために子育てに時間が充分にとれないなどさまざまな状況と事情はあるものです。

 

 いずれの立場に置かれてもとても淋しくつらいことですがすぐに逃れることは不可能です。

 

 精神的向上には、あえて辛苦が付いて回ります。つらい状況に身を置かせる宿命の時期でもあるかもしれません。

 

ここで自分が我慢し耐える、つらさや苦しみ、うらやみ等から気持ちを救い上げていこうとする自分の本来有する高い霊性が、どんなに大変な現実にも負けることなく浮き上がってきます。

 

これにより苦しいときに苦しみを責め続けることなく、自身を見失うことなく、寄り付いてくる意識体(不浄霊)にも打ち勝つことになります。

 

寄り付いてくる意識体とは、人が悩んで苦しめば、

その気持ちに誘われてマイナス霊も近づいてきます。

 

(それは人かも知れませんし霊かも知れません)人の気持ちが変わらずにいるとその距離はますます近くなってくる、完全に同化してしまうととり憑かれるという現象になります。

意識の世界は4次元でリンクされてくるのです。

 

けれども人は落ち込み続けることから這い上がろうとする気持ちが自分の中で必ず生まれてきますから、そのときにプラスの霊である守護世界の精霊たちとリンクしてくることになります。

 

  考え方の例として、嫌な体験をするときに、もしも家族や恋人を責めるようなことがあったとき、その嫌な体験の相手がこの家族や恋人でよかったとも思えたら心の動きは変わり、この相手だったからここまで我慢できたのだ!と気持ちの過程どのような流れで心をおさめるかで霊的な成長が育まれてきます。

より良き日々でありますように。