どれほど食べるものやお金があり、生活に不自由しなくても、その上健康でいられても、それでも悩みがないと言いきれる方は少ないです。
満足しても次にはそれなりの試練や、もしくは責任がかかってきます。責任とは人より豊になったことの維持と還元でもあります。そうしないとしあわせはまた過ぎ去ってしまいます。
物質的には人の役に立つことへの仕事で還元されることもありますし、ボランティア活動もそうです。企業なら事業展開で利益を生み出し、社会に還元していくことかもしれません。
個人個人はそれぞれ生まれ持った宿命が違います。お互いに違う宿命があるからこそ意見の食い違いや葛藤が生じます。そこからお互いを理解していくために付き合い方を模索していきますから、気が合わない相手でも、やむを得ずつきあうためには妥協できる部分をなんとか見出そうと努力します。
出会いたくない、付き合いたくない人はいるものです。苦痛でもしばらく仕事をしなければいけないことにもなるわけですが、自分が苦手な人と接していくうちになんとかうまく対応できるようになってくるものです。
日常のさまざまな局面で、誰の元にも「人生のテーマ」が与えられてきます。もっと大きく人生全体の流れを捉えてみると、「人生のテーマ」が軸となって生涯に大きな影響をもたらしています。 例えば商店を経営している家の跡継ぎに生まれ否応なく(最終的には本人の意思ですが)、跡を継ぐことになったり、または家になじめず親子関係がうまくいかずに悩んで早くから実家を離れて暮らしていく人もいたり。
人生の基本的なテーマは変えることはできませんが、けれどもその環境に反発もするし、自身が置かれた立場や状況にうろたえて精神的な壁に自身が囲まれてしまいます。
このようなときに人間的な自分が人として存在している、状況だけに縛られて苦しむのではなく、精神的な存在・霊的存在である自分が支える力にもなっていることを忘れないでください。
「そんなことは思い出すこともできないし、記憶もない」かもしれませんが、人は前世、過去世や過去の時間の構築があってこそ、その存在が成り立ってきています。
大切なことは人や自分を傷つけてその場を切り抜けようとすることよりも、どう切り抜けていけばできる限り後悔のない、自身の存在する流れを未来につなげ、育んでいくことができるかをポイントに置いて、最終的な人生のテーマはしあわせな心を育むことでもあります。
*人生は流動していますから同じところであまり長くたたずんでいられません。
そして「不幸を知るから幸福を早く知ることができます」